副題「正義感という悪癖」
私は子供の時から正義感が強すぎて「よろしくない」と言われてきた。正義を嵩(かさ)にきてやり過ぎてしまうところが確かにある。要するに融通が利かない。
正義なんて十人十色、自分の判断だけを基準に物事を断じる危険性は私も承知している。だから大人になるにつれ、相手の立場を想定して「こういう事情だったかもしれないじゃん」という形で融通をつけるようになった。
大抵のことはこれで波風立てずに過ごせるようになったけど、いまだにどーーーーおしてもインチキな嘘を看過できない。
前回、二度目の登場をした外科医詐称男の三度目の登板です。ついに私の臨界点を突破した。彼はおそらく発達障害に近い何かであろう、とこれは職場で何度注意されてもデタラメをやらかす彼を許容するための私なりの落とし所だった。←実際にちょっと尋常じゃない不手際が彼には多すぎた。
端的にいうとどれだけ説明しても正しい処理を行うことができずに道具や資材を大量にお釈迦にしてしまう。ミスをするのは人間であれば誰しも仕方ないことだが、彼の場合は常識の範囲を越えるものが多く金銭的に見ても相当な損失を被っているので企業であればこれを理由に退職を促すことができるレベル。だけど結局、直接的には誰の懐も痛まないので黙認され続けている。
実に不愉快なのは彼が黙認されるのを良いことに自分のミスを絶対に認めず、それゆえいつまでたっても改善がなされないこと。
このこと自体は君には関係ないことだから目くじら立てる必要ないじゃないかと言われればそれまでだが実に歯がゆい。いや、共有機材を壊されたりすると実際には私にも実害が及ぶのですけどね。
私の見立て通り彼が本当に発達障害であるのなら、なるほど一般的な会社社会で生きていくのは困難だ。アカデミックな場所でちょっと風変わりな人として生きていく方がまだ方策はありそうだ。彼にもできるようなことが見つけられるといいね、とこれは本心でそう思ってた。(と、勝手に彼を発達障害認定しているのもどうかと思うが ^^;)
でもそれは飽くまでもそういう能力をここで見つけられればの話。まずもって日頃の彼の仕事ぶりを見ていれば適性が全く無いのは誰の目にも明らか。能力もないのにアカデミックなポストを得られるなら誰もこの業界でこんなに苦労はしない。
それなのに彼にも学位が与えられるらしいという話を聞いて、これは流石に私の臨界点を超えた。彼がやってることを実験室で実際に見ているので、あれで論文が作成できるとは到底思えない。言っちゃあなんだが、これ以上ここに居座られても困るからさっさと学位を授与して出て行ってもらおうという意図を感じる。そんなことってあるだろうか?
ダメなものはダメと毅然として欲しい。
彼は医師でもないのに「僕は外科医です」と自己紹介しちゃう人なんですよ?今までは「そりぁ無いわ〜HAHAHA」と真っ赤な嘘と黙認されて済んだけど、見合う能力もないのに卒業の経歴を与えてしまうと今後は彼は大手を振って「天下の〇〇大学の院卒でございまーす」とあのポンコツぶりを発揮しながら喧伝して回るんですよ。
能力の無い人にお墨付きである学位を与えてしまうとそれはつまり「あー、〇〇大学ってたいしたことないんだな」と世間に広めることになるんですけど?
ええ、私には何一つ関係のないことではありますが、これは日本の科学技術の信用を大いに失墜させることに関係してくる。そういう考えが上層部の先生方の頭にないことに私は憤懣やるかたない気持ちだ。ええ、あっしには何一つ関わりのねーことでござんすがね。
人々の黙認が日本の未来を、ひいては世界を少しずつ悪くして行くのだ。
と、このように正義感が肥大すると大仰になってそれはもはや悪癖。憤りからネットに書き殴ったりなんかするのも「よろしくない」と、それはわかっちゃいるけれどやり場のない怒りで脳みそがまた沸騰しちゃいそうです。
いらっしゃいませ
にほんご べんきょう してきて ください
いらっしゃいませ。ずっと試運転中です。予告なく変更しまくるつもりが仕様変更については手付かずです。
2018年11月21日水曜日
2018年11月14日水曜日
アンシェアな人々
前回「誰にでもすぐに引き継げる形で働かねばならぬ」と書いて思い出したのですが、この業界(テクニシャン)では「この作業に従事できるのは自分だけ」というポジションを死守しようとする人がいる。過去にそういうタイプの人に何度か遭遇した。
極力間違いが起きないように一人で管理したいという側面も否定はできないが、多くは雇用契約の更新を切られないよう自衛のために他の人に仕事を回さないケースが多かった。この業界の雇用形態はその年の予算の有無に直結するのでどうしても短期雇用契約が主になっている。誰しも金の切れ目が縁の切れ目の中で綱渡り状態で働いているので「あの人じゃないとこの仕事は誰にもわからない」というトラップを作る人がいてもそれを責めることはできない。
以前、ほぼ全員がそういう考えの人で構成された職場を経験しているが非効率的なことこの上なかった。そこでは一人でできるような作業でもあえて細分化して大人数で取り組んでおり、互いの領域は不可侵とする不文律が出来上がっていた。よって誰かが休めばたちどころに作業はストップする。
ある意味ワークシェアリングと言えるのかもしれないが、いや違うだろ。自分の領域部分については絶対に誰にもやり方を教えないので不測の事態が起きた際には誰も対処ができない。
本来は誰でもできる形にした上で皆でフォローしあってやるのが正しいワークシェアリングではないのか?
誰でもできる形にシステムを構築して惜しみなく自分のスキルも伝授した。私は新人さんと力を合わせて働くつもりだったのに、彼女は能力的に色々問題を生じる人だったので結果的に仕事をシェアすることはできなかった。彼女から見たら私は「仕事を譲ろうとしないアンシェアな人」だったのではなかろうかと思うとそれが今でも若干気になるき。
「能力の低い人ほど自己評価が高い」というトピックについて前回書いておきながら、はて自分はどうなのだろうか?と不安になってきた次第。
ことほどかように、人の悪口は自分に却ってくる。
この分野では誰にも負けないと自負するものも持ってはいるが、ありがたいことに周囲の人もまた私が太刀打ちできないようなスキルを各人が持っているので「自分は優秀」と自惚れる余地がない。自分の得意の分野について皆で知恵を出し合って協力して仕事を進められる今の職場は本当に環境が良く恵まれていると思う。
でもね、たぶん、きっと…
来るよ!新たな悪口。「優秀な人達に混ざっている僕も優秀なのだ」という勘違いで自己評価を過大に膨らませた職場のとある人物が最近、自身のブログのプロフィールに嘘八百を並べているのが職場内で発覚した。学歴や職業を平気で詐称しているので、果たしてこれを野放しにして置いて良いのかどうか実に悩ましい。他の人は呆れつつも放置の姿勢なんだけど、私はどうしてもこうした行為が生理的に受け付けない。
自己評価が高いだけあってこの人も相当に能力が低い。正直、職場内をウロつくだけで妨害行為になるレベル。そういう意味では他者に何もシェアするものがないので、こういう人もアンシェアな人と言えよう。
はい、以前も登場した「黙秘な人々」の彼のことです。もー、嘘は暴きたくて仕方ない。極力彼にはもう触らないようにしてる他の人達と比べて、いかに自分が小者であるかを痛感するよ(涙目)。
極力間違いが起きないように一人で管理したいという側面も否定はできないが、多くは雇用契約の更新を切られないよう自衛のために他の人に仕事を回さないケースが多かった。この業界の雇用形態はその年の予算の有無に直結するのでどうしても短期雇用契約が主になっている。誰しも金の切れ目が縁の切れ目の中で綱渡り状態で働いているので「あの人じゃないとこの仕事は誰にもわからない」というトラップを作る人がいてもそれを責めることはできない。
以前、ほぼ全員がそういう考えの人で構成された職場を経験しているが非効率的なことこの上なかった。そこでは一人でできるような作業でもあえて細分化して大人数で取り組んでおり、互いの領域は不可侵とする不文律が出来上がっていた。よって誰かが休めばたちどころに作業はストップする。
ある意味ワークシェアリングと言えるのかもしれないが、いや違うだろ。自分の領域部分については絶対に誰にもやり方を教えないので不測の事態が起きた際には誰も対処ができない。
本来は誰でもできる形にした上で皆でフォローしあってやるのが正しいワークシェアリングではないのか?
誰でもできる形にシステムを構築して惜しみなく自分のスキルも伝授した。私は新人さんと力を合わせて働くつもりだったのに、彼女は能力的に色々問題を生じる人だったので結果的に仕事をシェアすることはできなかった。彼女から見たら私は「仕事を譲ろうとしないアンシェアな人」だったのではなかろうかと思うとそれが今でも若干気になるき。
「能力の低い人ほど自己評価が高い」というトピックについて前回書いておきながら、はて自分はどうなのだろうか?と不安になってきた次第。
ことほどかように、人の悪口は自分に却ってくる。
この分野では誰にも負けないと自負するものも持ってはいるが、ありがたいことに周囲の人もまた私が太刀打ちできないようなスキルを各人が持っているので「自分は優秀」と自惚れる余地がない。自分の得意の分野について皆で知恵を出し合って協力して仕事を進められる今の職場は本当に環境が良く恵まれていると思う。
でもね、たぶん、きっと…
来るよ!新たな悪口。「優秀な人達に混ざっている僕も優秀なのだ」という勘違いで自己評価を過大に膨らませた職場のとある人物が最近、自身のブログのプロフィールに嘘八百を並べているのが職場内で発覚した。学歴や職業を平気で詐称しているので、果たしてこれを野放しにして置いて良いのかどうか実に悩ましい。他の人は呆れつつも放置の姿勢なんだけど、私はどうしてもこうした行為が生理的に受け付けない。
自己評価が高いだけあってこの人も相当に能力が低い。正直、職場内をウロつくだけで妨害行為になるレベル。そういう意味では他者に何もシェアするものがないので、こういう人もアンシェアな人と言えよう。
はい、以前も登場した「黙秘な人々」の彼のことです。もー、嘘は暴きたくて仕方ない。極力彼にはもう触らないようにしてる他の人達と比べて、いかに自分が小者であるかを痛感するよ(涙目)。
2018年10月30日火曜日
重複する不幸
不幸とは重なるものなのか、いや、悪い巡り合わせが重なった時に人はそれを不幸と呼ぶのであろう。本当に間の悪さというものは重なると多大な悲劇を引き起こす。
4ヶ月だけ一緒に働いた人の残務整理でこのところ大忙しだったことは細々とこぼしてきた訳ですが、今日こそ書いてやるぜコンチクショーめ。
と、書いては消し書いては消しであっという間に一月が経ってしまった。どう頑張って取り繕っても悪口になってしまうんですよ。
それだけ仕事の上で酷いことをされたのでえーい書いてしまえ!と思う一方で、居なくなった人の悪口はちょいとみっともねーなと思う気持ちもある。
もとより、人に読ませる文章を書くときは私的な事は書かずなるべく一般化して書くようにと私の師匠(なぞ)もよく言っていた。ふむ
以前、聞いたことがある。能力の無い人ほど自己評価が高くなりがちなんだそうな。
その手の人は「これで完成!」のゴール地点を元々低いラインに設定しがちなので、周囲からは頑張りを認めてもらえず不平や不満を溜めやすいそうだ。自分はこんなにやってるのに!という気持ちから過大に自分の能力をアピールしがちで、結果言ってることと実力の落差から余計に周囲から認めてもらえなくなる。
裏をかえせば、自分が認めてもらえていないと感じるときは冷静に周囲を見回してフラットに自分の立ち位置を確認する必要がある。私も以前の転職時にそれを痛感していたので、冷静な視点無しに職場を変えても同じことの繰り返しになるよ、と声を大にして彼女に言いたい!
なにせ世間は狭いし、私もこの業界は長く勤めているので知り合いもいたるところにいる。彼女の新たな職場にも御多分に洩れず私の知人がいるわけだ。「ねえ、この人ってもしかして例の人じゃない?」と持ちかけられた話題の人物は…例の人でした。
私が想像した通り、新しい職場で前の職場の不平を漏らしながら(つまりは私の悪口だ^^)相変わらずトンチンカンな仕事ぶりを発揮している様子だった。
彼女は多分、永遠に新人さん。今の職場も年内には終焉を迎えそうな勢いでやらかしているらしい。
さて冒頭の「悪い巡り合わせ」というのはこのことではない。新人さんの杜撰な仕事の上にもう一人、間違った手法の仕事を重ね合わせてくれちゃった人物がいて、そのためにずっと私は修正作業にあけくれていたのです。ミスが一つだけなら傷は浅かったろうに、一つの間違いから広がる可能性の枝が二つ絡まることで実に難解なパズルとなって立ちふさがった。新人さんが関わらなければとか、段取りを理解してない学生さんが関わらなければとか、悔やんでもそれはせんなきこと。そんなことを言い出したら結局、全部一人でやるのが一番安全で間違いないということになってしまう。それは事実なんだけど(^^;)
でもそれは行き着くところ、自分の代わりがいない仕事になる。「自分にしか出来ない仕事」があることを誇らしく思う人もいるかもしれないが、私は仕事としてそれは間違っていると思う。何より、それじゃ私が休めなくなるじゃないか!
昨年、脳梗塞を起こした時に思ったのは誰にでもすぐに引き継げる形で働かねばならぬということ。人が関わることで最初の段階でどんなに面倒くさいことになったとしても、作業は割り振って行う。それを意識するのが責任を持って仕事をするということではないかと思った次第。
良き巡り合わせで、仕事を共有できる人が見つかりますように。なむなむ
4ヶ月だけ一緒に働いた人の残務整理でこのところ大忙しだったことは細々とこぼしてきた訳ですが、今日こそ書いてやるぜコンチクショーめ。
と、書いては消し書いては消しであっという間に一月が経ってしまった。どう頑張って取り繕っても悪口になってしまうんですよ。
それだけ仕事の上で酷いことをされたのでえーい書いてしまえ!と思う一方で、居なくなった人の悪口はちょいとみっともねーなと思う気持ちもある。
もとより、人に読ませる文章を書くときは私的な事は書かずなるべく一般化して書くようにと私の師匠(なぞ)もよく言っていた。ふむ
以前、聞いたことがある。能力の無い人ほど自己評価が高くなりがちなんだそうな。
その手の人は「これで完成!」のゴール地点を元々低いラインに設定しがちなので、周囲からは頑張りを認めてもらえず不平や不満を溜めやすいそうだ。自分はこんなにやってるのに!という気持ちから過大に自分の能力をアピールしがちで、結果言ってることと実力の落差から余計に周囲から認めてもらえなくなる。
裏をかえせば、自分が認めてもらえていないと感じるときは冷静に周囲を見回してフラットに自分の立ち位置を確認する必要がある。私も以前の転職時にそれを痛感していたので、冷静な視点無しに職場を変えても同じことの繰り返しになるよ、と声を大にして彼女に言いたい!
なにせ世間は狭いし、私もこの業界は長く勤めているので知り合いもいたるところにいる。彼女の新たな職場にも御多分に洩れず私の知人がいるわけだ。「ねえ、この人ってもしかして例の人じゃない?」と持ちかけられた話題の人物は…例の人でした。
私が想像した通り、新しい職場で前の職場の不平を漏らしながら(つまりは私の悪口だ^^)相変わらずトンチンカンな仕事ぶりを発揮している様子だった。
彼女は多分、永遠に新人さん。今の職場も年内には終焉を迎えそうな勢いでやらかしているらしい。
さて冒頭の「悪い巡り合わせ」というのはこのことではない。新人さんの杜撰な仕事の上にもう一人、間違った手法の仕事を重ね合わせてくれちゃった人物がいて、そのためにずっと私は修正作業にあけくれていたのです。ミスが一つだけなら傷は浅かったろうに、一つの間違いから広がる可能性の枝が二つ絡まることで実に難解なパズルとなって立ちふさがった。新人さんが関わらなければとか、段取りを理解してない学生さんが関わらなければとか、悔やんでもそれはせんなきこと。そんなことを言い出したら結局、全部一人でやるのが一番安全で間違いないということになってしまう。それは事実なんだけど(^^;)
でもそれは行き着くところ、自分の代わりがいない仕事になる。「自分にしか出来ない仕事」があることを誇らしく思う人もいるかもしれないが、私は仕事としてそれは間違っていると思う。何より、それじゃ私が休めなくなるじゃないか!
昨年、脳梗塞を起こした時に思ったのは誰にでもすぐに引き継げる形で働かねばならぬということ。人が関わることで最初の段階でどんなに面倒くさいことになったとしても、作業は割り振って行う。それを意識するのが責任を持って仕事をするということではないかと思った次第。
良き巡り合わせで、仕事を共有できる人が見つかりますように。なむなむ
2018年8月11日土曜日
伝わらない人々
人生はめぐり合わせでできている。そこに良い悪いはなくて、ただその時々のタイミングで一つの物事が紡がれるだけ。さあ、お待ちかね?今回は仕事の愚痴(と言うか悪口)タイムです。 昨年9月に「人々シリーズ」で愚痴を上げていた ので今回もタイトルは人々で…。て、ついでに読み返してみたら自分ってばいつも他人に不平を言ってるみたいでちょっと恥ずかしい。でも言っちゃう(^^;)
プロジェクトが軌道にのったので私の病気入院とは関係なしに職場では私の仕事のサポートをする人を雇おうということになり、4月から新人さんが来ていました。Twitterで細々とupしていたので「あー、あの話ね」と思われる方もございましょうが、今週彼女が辞める運びになったので総括でごわす。
端的に言うと彼女は「話が正確に伝わらない人」でした。その点では既出のMr.ポンコツと同じ。ポンコツ氏と違うのは何も言ってこないので話の内容を理解できてないことがこちらになかなか伝わらなかった。普段の彼女は仕事で具体的な指示を出すと、その直後にはてんで違うことをやり始めてしまうお茶目な人でした。
一番のヒットはデータ入力のやり方を説明して「じゃあお願いします。割と急ぐのでこの入力が終わったらすぐに知らせてくださいね」と言った直後に居眠りを始めたこと。どこから着手しようか思案してるのかと思ったけど、どう見ても目を閉じて寝てるので思わず二度見した。「疲れちゃった?具合が悪くなったの?大丈夫?」と慌てて声をかけると「え!あっ、やる事ないから眠くなっちゃって…」ですと。いや、あーた、今さっき急ぎの仕事を振ったばかりなんですが?「やる事ない=指示される前に入力を終えていたのかも」と思い直して「もしかして既に終わってた?データファイルもらえる?」と声をかけると「?!データって?えっと何をどうするんでしたっけ?」とフリダシに戻る。
とまあ、こんな感じに仕事してました。これはまだ害がない例だけど、彼女にはどれだけ説明してもそれがキチンと伝わらない。最初は緊張もするし慣れない場所で働くとおっちょこちょいにもなるだろうと思って長い目で見ていた。飲み込みが悪いのは彼女の個性と思い(ポンコツ氏の体験でそーゆーの慣れてもいた)、そこは何度でも繰り返し説明すればそのうちできるようになるだろうと思ってた。結果的にそれが「何度も同じ事言ってくる須磨人、ウゼー」になってしまった模様。
上記の例のように「もしかしてもう終わってた?」みたいな先回りした解釈も、私としては良いように受け止めようとした結果だったけど、本人にとっては仕事ができてない事を責められてると感じたようで、一時が万事この調子で要はお互いに何も伝わらない間柄だった。
飲食店になぞらえて言うと彼女にオーダーした料理はいつまでたっても出てこない。声をかけると「ああソレ、できてますよ」と言って盛り付けもしてない料理が鍋ごと出てくる。しかもオーダーと違う。ほんでまたよく見りゃこれが生焼けで食べられない料理。色々とムリ。みたいなツッコミどころ満載なお仕事をする人だった。
オーダーと違う動きを始めたところで側にいる人間としてはどうしても「それ、ちゃうちゃう」と言わないわけには行かないじゃないか。良かれと思って軌道修正させてたが、それが原因で嫌われて、その上彼女は失敗を隠すのでその矛盾を迅速に見つけて修正する作業も加わり流石に私も疲弊した。うちらの業界では失敗を隠す、つまり捏造データを作られるのは一番の致命傷になるので本当にこれには参った。(思い返せば去年もこれ系の問題修正に苦しめられてブログで愚痴ってたんだった)
私のサポートのために新人を雇ってもらったのに、私が新人のサポートでてんてこ舞になっているのを見て&新人は正確に話が伝わらない人だとボスも認識してくれたので先月から彼女に仕事を振るのはボスが肩代わりしてくれるようになった。当然、ボスもオーダーと違う動きをする新人に「それ、ちゃうちゃう」と言うわけですよ。すると新人は「須磨人と同じことを言う。ボスは須磨人の言うことを鵜呑みにしてるんだ」と孤立感を募らせたようで「辞めます」と言う運びになった。
正直、ホッとした。今まで積み上げて来たもの(データの蓄積)がおかしくなって壊れていくのも苦痛だったが、意思疎通がうまく行かずに作業がグダグダになっていく段階で「自分のどこがいけなかったろうか」と不必要に自分を責めてしまい心と体の両方を壊しそうだった。彼女に対する苛立ちも沸き起こるし、その事自体にも自己嫌悪が湧くジレンマ。
彼女が辞める話をボスから聞かされたとき、うまく仕事のコンビネーションを組めなかったことを詫びるとボスは私を慰めてくれた。「最終的には彼女には辞めてもらうつもりだった。見ていて気分が悪くなるくらい、あなたに対してひどい態度をとる人だったから。長らく嫌な思いをさせてすまなかった」と。
え?彼女、私に対して悪い態度だったんですか?
そういえば過去に2回くらいは「反抗期の娘が親の説教聞くみたいな態度で説明を聞くんだな」とびびった事はあったけど、毎度というわけではなかったから「家庭で嫌な事でもあったのかな」と思い受け流していた。周囲の人は彼女の不貞腐れた態度を見ながらずっとヤキモキしていたらしい。多分、彼女はそうやって「ウゼーんだよ。いい加減気づけよ」という主張をしてたんですね。肝心の私にだけは伝わらなかったようで…ああ私達、いろんな意味で伝わらない人同士だったんだね。
巡り合わせというものは如何ともし難い。彼女と鉢合わせたのは私にとってとんだ災難だったが、同様に彼女にとっても私は災難な巡り合わせだったのだなと複雑な気分で職場を去る彼女を見送った。お互い様だと思えば、うまく行かなかったことを彼女だけのせいにはできない。
それはさておき新人のズレまくる仕事のアレコレを知人に話すと大概は「今の若い子は仕方ないね〜」と言われる。でも実は新人さんは私と変わらない年頃の40代子持ち主婦でした。飲食店になぞらえると「長年、厨房で働いて来たのでなんでもできます」と熟練を売りにして採用されたのに、前の職場では何をしていたのかを聞くと「それが洗い物しかさせてもらえなかったんですよ!酷いと思いません?プンスカ」と前職の悪口を言っていた。今となってはそこで何があったのかは推して知るべし。
次の職場でよしんば私の悪口を言われたとしても、彼女がもし今のままであるならばきっと同情されるのは私の方だと確信を持てる。←ここは彼女に対する私のささやかな悪口な
来週からは気持ちを新たに働きまふ。やれやれ
プロジェクトが軌道にのったので私の病気入院とは関係なしに職場では私の仕事のサポートをする人を雇おうということになり、4月から新人さんが来ていました。Twitterで細々とupしていたので「あー、あの話ね」と思われる方もございましょうが、今週彼女が辞める運びになったので総括でごわす。
端的に言うと彼女は「話が正確に伝わらない人」でした。その点では既出のMr.ポンコツと同じ。ポンコツ氏と違うのは何も言ってこないので話の内容を理解できてないことがこちらになかなか伝わらなかった。普段の彼女は仕事で具体的な指示を出すと、その直後にはてんで違うことをやり始めてしまうお茶目な人でした。
一番のヒットはデータ入力のやり方を説明して「じゃあお願いします。割と急ぐのでこの入力が終わったらすぐに知らせてくださいね」と言った直後に居眠りを始めたこと。どこから着手しようか思案してるのかと思ったけど、どう見ても目を閉じて寝てるので思わず二度見した。「疲れちゃった?具合が悪くなったの?大丈夫?」と慌てて声をかけると「え!あっ、やる事ないから眠くなっちゃって…」ですと。いや、あーた、今さっき急ぎの仕事を振ったばかりなんですが?「やる事ない=指示される前に入力を終えていたのかも」と思い直して「もしかして既に終わってた?データファイルもらえる?」と声をかけると「?!データって?えっと何をどうするんでしたっけ?」とフリダシに戻る。
とまあ、こんな感じに仕事してました。これはまだ害がない例だけど、彼女にはどれだけ説明してもそれがキチンと伝わらない。最初は緊張もするし慣れない場所で働くとおっちょこちょいにもなるだろうと思って長い目で見ていた。飲み込みが悪いのは彼女の個性と思い(ポンコツ氏の体験でそーゆーの慣れてもいた)、そこは何度でも繰り返し説明すればそのうちできるようになるだろうと思ってた。結果的にそれが「何度も同じ事言ってくる須磨人、ウゼー」になってしまった模様。
上記の例のように「もしかしてもう終わってた?」みたいな先回りした解釈も、私としては良いように受け止めようとした結果だったけど、本人にとっては仕事ができてない事を責められてると感じたようで、一時が万事この調子で要はお互いに何も伝わらない間柄だった。
飲食店になぞらえて言うと彼女にオーダーした料理はいつまでたっても出てこない。声をかけると「ああソレ、できてますよ」と言って盛り付けもしてない料理が鍋ごと出てくる。しかもオーダーと違う。ほんでまたよく見りゃこれが生焼けで食べられない料理。色々とムリ。みたいなツッコミどころ満載なお仕事をする人だった。
オーダーと違う動きを始めたところで側にいる人間としてはどうしても「それ、ちゃうちゃう」と言わないわけには行かないじゃないか。良かれと思って軌道修正させてたが、それが原因で嫌われて、その上彼女は失敗を隠すのでその矛盾を迅速に見つけて修正する作業も加わり流石に私も疲弊した。うちらの業界では失敗を隠す、つまり捏造データを作られるのは一番の致命傷になるので本当にこれには参った。(思い返せば去年もこれ系の問題修正に苦しめられてブログで愚痴ってたんだった)
私のサポートのために新人を雇ってもらったのに、私が新人のサポートでてんてこ舞になっているのを見て&新人は正確に話が伝わらない人だとボスも認識してくれたので先月から彼女に仕事を振るのはボスが肩代わりしてくれるようになった。当然、ボスもオーダーと違う動きをする新人に「それ、ちゃうちゃう」と言うわけですよ。すると新人は「須磨人と同じことを言う。ボスは須磨人の言うことを鵜呑みにしてるんだ」と孤立感を募らせたようで「辞めます」と言う運びになった。
正直、ホッとした。今まで積み上げて来たもの(データの蓄積)がおかしくなって壊れていくのも苦痛だったが、意思疎通がうまく行かずに作業がグダグダになっていく段階で「自分のどこがいけなかったろうか」と不必要に自分を責めてしまい心と体の両方を壊しそうだった。彼女に対する苛立ちも沸き起こるし、その事自体にも自己嫌悪が湧くジレンマ。
彼女が辞める話をボスから聞かされたとき、うまく仕事のコンビネーションを組めなかったことを詫びるとボスは私を慰めてくれた。「最終的には彼女には辞めてもらうつもりだった。見ていて気分が悪くなるくらい、あなたに対してひどい態度をとる人だったから。長らく嫌な思いをさせてすまなかった」と。
え?彼女、私に対して悪い態度だったんですか?
そういえば過去に2回くらいは「反抗期の娘が親の説教聞くみたいな態度で説明を聞くんだな」とびびった事はあったけど、毎度というわけではなかったから「家庭で嫌な事でもあったのかな」と思い受け流していた。周囲の人は彼女の不貞腐れた態度を見ながらずっとヤキモキしていたらしい。多分、彼女はそうやって「ウゼーんだよ。いい加減気づけよ」という主張をしてたんですね。肝心の私にだけは伝わらなかったようで…ああ私達、いろんな意味で伝わらない人同士だったんだね。
巡り合わせというものは如何ともし難い。彼女と鉢合わせたのは私にとってとんだ災難だったが、同様に彼女にとっても私は災難な巡り合わせだったのだなと複雑な気分で職場を去る彼女を見送った。お互い様だと思えば、うまく行かなかったことを彼女だけのせいにはできない。
それはさておき新人のズレまくる仕事のアレコレを知人に話すと大概は「今の若い子は仕方ないね〜」と言われる。でも実は新人さんは私と変わらない年頃の40代子持ち主婦でした。飲食店になぞらえると「長年、厨房で働いて来たのでなんでもできます」と熟練を売りにして採用されたのに、前の職場では何をしていたのかを聞くと「それが洗い物しかさせてもらえなかったんですよ!酷いと思いません?プンスカ」と前職の悪口を言っていた。今となってはそこで何があったのかは推して知るべし。
次の職場でよしんば私の悪口を言われたとしても、彼女がもし今のままであるならばきっと同情されるのは私の方だと確信を持てる。←ここは彼女に対する私のささやかな悪口な
来週からは気持ちを新たに働きまふ。やれやれ
2017年12月18日月曜日
おしごとの本気度
本気と書いてマジと読む。前回に引き続いて仕事関連のお話です。愚痴と悪口になる予感満載の今回の話題、御用とお急ぎでない方は寄ってラッサイ見てラッサイ。
どんなお仕事でも真面目に努めようとすれば大変なもの。だからこそ大変な仕事であればあるほど、こころざしや覚悟がなければおいそれと続けられるものではない。
さて、日本で働くお医者さんの中で一体どれだけの人が覚悟や志しを持って医者になり得たのでしょうか?
てなことを考え込んでしまうほど、医療関係の職場で仕事をするようになってから出会う医師たちのハズレくじ加減の凄まじきことよ…。
ハズレ組の多くはお勉強ができたがために「じゃあ医学部受けようかな」くらいのスタンスで医学の道に来た人が多い。デキる子だったために周囲の期待も大きく、それに応える形で進路を決めちゃうような良い子たちでもあるのでしょうが、何をするのでも自分の意志というのがまるで見えない。医師だけに?(^^;)
そこを踏まえてヤル気とか本気度、仕事にかける情熱みたいなものが感じられない人が多いので一緒に仕事をしていてうんざりすることも多い。
私は病棟で働いているわけではないので臨床医としての彼らのことは実はあまりよくわからない。研究においてはダメ人間で私がボロクソに思っている医師でも、患者さんにとって良い医師ならそれならそれで本業を全うしているので良い医師だと思う。
しかし良くない評判ほど耳に入りやすいと言う側面はあるものの、誠実ではない仕事ぶりというのは何かの拍子に表出するもの。本当にやりたい仕事として医師を選んだわけじゃないから医師の仕事するの面倒くせ〜…みたいな働き方は見ていて気持ちの良いものではない。
そしてまた不運なことに、研究棟に出入りする医師の多くは臨床から逃げたいから研究へ…という輩が紛れ込むのも事実である。医師にはなったものの医師の仕事には興味がないから逃避の結果で研究へ、という人の本気度なんてたかが知れている。研究のケの字も学ぶ気持ちが、それこそ毛ほどもないのでヤル気のなきこと禿山のごとし。
一番タチが悪いのは「専門医」の肩書き欲しさに学位を取りにくる輩。学生時代は医師になるための勉強しかしてこなかったので他学部であれば学部生のうちに習得するのが当然の実験のイロハが何もないので、おったまげーなことを実験室でしでかす。
研究という仕事はざっくり言えば、とある仮説を立ててそれを実証するための実験を組み立てて「ほ〜ら見てごらん、これは絶対にこうなるでしょ」という筋道で人々を納得させる必要がある。「誰が見てもこれはこうなる」という真実を突き止めるのが研究。
仮説を実証するために都合のいいデータだけを集めるのは真実とは言えない。「これはこうなんだと思います」という推論は論文として成立しない。その常識が何故かセンセ達に伝わらないもどかしさ。「これは癌だと思ったから癌なんだ」なんて診察をしてるんですかね?テクニシャンという仕事は研究のお手伝いが本筋だが、ここでの仕事はセンセ方の暴走を止める役割を担う必要もあって実に骨が折れる。
書いてるうちにシャレにならん話がボロボロ出てきそうなので慌てて削除して今日はここまでにしとうございます。小保方さんは医学部に出向いて学位を取ったということなので、他の業界ではとても通用しない論文を作成してしまったのも宜(むべ)なるかなとしみじみ思う今日この頃。教育って本当に大事。教育がなされてない国家試験予備校みたいな大学をなんとかしないと日本の科学技術は大変なことになる。否、もうなっているのか?
どんなお仕事でも真面目に努めようとすれば大変なもの。だからこそ大変な仕事であればあるほど、こころざしや覚悟がなければおいそれと続けられるものではない。
さて、日本で働くお医者さんの中で一体どれだけの人が覚悟や志しを持って医者になり得たのでしょうか?
てなことを考え込んでしまうほど、医療関係の職場で仕事をするようになってから出会う医師たちのハズレくじ加減の凄まじきことよ…。
ハズレ組の多くはお勉強ができたがために「じゃあ医学部受けようかな」くらいのスタンスで医学の道に来た人が多い。デキる子だったために周囲の期待も大きく、それに応える形で進路を決めちゃうような良い子たちでもあるのでしょうが、何をするのでも自分の意志というのがまるで見えない。医師だけに?(^^;)
そこを踏まえてヤル気とか本気度、仕事にかける情熱みたいなものが感じられない人が多いので一緒に仕事をしていてうんざりすることも多い。
私は病棟で働いているわけではないので臨床医としての彼らのことは実はあまりよくわからない。研究においてはダメ人間で私がボロクソに思っている医師でも、患者さんにとって良い医師ならそれならそれで本業を全うしているので良い医師だと思う。
しかし良くない評判ほど耳に入りやすいと言う側面はあるものの、誠実ではない仕事ぶりというのは何かの拍子に表出するもの。本当にやりたい仕事として医師を選んだわけじゃないから医師の仕事するの面倒くせ〜…みたいな働き方は見ていて気持ちの良いものではない。
そしてまた不運なことに、研究棟に出入りする医師の多くは臨床から逃げたいから研究へ…という輩が紛れ込むのも事実である。医師にはなったものの医師の仕事には興味がないから逃避の結果で研究へ、という人の本気度なんてたかが知れている。研究のケの字も学ぶ気持ちが、それこそ毛ほどもないのでヤル気のなきこと禿山のごとし。
一番タチが悪いのは「専門医」の肩書き欲しさに学位を取りにくる輩。学生時代は医師になるための勉強しかしてこなかったので他学部であれば学部生のうちに習得するのが当然の実験のイロハが何もないので、おったまげーなことを実験室でしでかす。
研究という仕事はざっくり言えば、とある仮説を立ててそれを実証するための実験を組み立てて「ほ〜ら見てごらん、これは絶対にこうなるでしょ」という筋道で人々を納得させる必要がある。「誰が見てもこれはこうなる」という真実を突き止めるのが研究。
仮説を実証するために都合のいいデータだけを集めるのは真実とは言えない。「これはこうなんだと思います」という推論は論文として成立しない。その常識が何故かセンセ達に伝わらないもどかしさ。「これは癌だと思ったから癌なんだ」なんて診察をしてるんですかね?テクニシャンという仕事は研究のお手伝いが本筋だが、ここでの仕事はセンセ方の暴走を止める役割を担う必要もあって実に骨が折れる。
書いてるうちにシャレにならん話がボロボロ出てきそうなので慌てて削除して今日はここまでにしとうございます。小保方さんは医学部に出向いて学位を取ったということなので、他の業界ではとても通用しない論文を作成してしまったのも宜(むべ)なるかなとしみじみ思う今日この頃。教育って本当に大事。教育がなされてない国家試験予備校みたいな大学をなんとかしないと日本の科学技術は大変なことになる。否、もうなっているのか?
2017年12月5日火曜日
かわいそうの本気度
生き死に備忘録が続いていたからついでに書いちゃえ!本日は動物実験のお話です。
それはまだ私が農学部で学んでいた頃。実習という名の強制労働に駆り出されて牛やら豚やらの世話に明け暮れていたことがありました。動物の世話自体は私にとっては楽しい経験だったのですが、糞尿まみれで文句タラタラな女子の一部が豚の出荷時にこぞって「かわいそ〜」の大合唱を起こすのが苦手だった。かわい〜の延長でかわいそ〜と人前で言わねばならぬ空気は女子の嗜みというものか。その都度、農場の先生が「ぶわっかもん!家畜は食べるために育ててんだ。こいつらにとっては食べてもらえないことが一番の不幸なんだ」と叱責するのがお約束になっていた。
その先生が事故で死んだ仔豚を両腕に抱いてたのを見たのは今も忘れられない思い出だ。先生は「かわいそうにな、お前は食べてもらえなくてかわいそうなことをしたな」と小さな声で仔豚に話しかけていた。先生が畜産を志した経緯は知らない。だけど動物を慈しむ人だったのは間違いないと思う。
私に動物実験の手ほどきしてくれた人は薬学出身の若いテクニシャンだったけれど彼女もまた「実験動物は実験のために生きているのだから正しい実験に使われないのは一番いけないことだ」と教えてくれた。そこには「無駄に生かしておくことも悪である」という厳しい哲学もあった。実際に動物実験の講習では、役目を終えたor役目を持っていない動物は実験室から速やかに退出させることが推奨されている。それはすなわち命を終えさせることに他ならない。ある意味、この開き直りのような「役目を終えさせる」という思考ができない人は動物実験そのものを受け付けないし、無理にやらせれば心を病むことにもなる。
動物実験の是非を語るのは実に難しい。私が講習会を通して得た結論は、避けられる方策があるなら極力動物を使わない実験を検証すること。そして決して無駄になるようなへっぽこ実験に動物を使わないこと。そのために動物実験をする者には入念な実験計画を立て、厳密な内容の書類提出が義務付けられている。(計画と書類提出は研究者の仕事で私は言われたことをやるだけですけどね)
動物実験経験者が経験した実験内容を紹介しあうと、必ず「うへぁ〜」という微妙な空気が蔓延する。実験中は平常心を保っていられても、改めて口にして説明すると言う方も言われた方も色々想像して「うへぁ〜」となってしまう不思議。経験者同士でもそうなのだから未経験の人に実験の内容を言うのは得策ではない。
でも言っちゃう。私の初めての動物実験は虫でした。低線量の放射線を当てて変異率を調べるというもの。染色体を取り出してジロジロ見る実験に従事していました。虫なんて触れないという人からは思い切り「うへぁ〜」な顔をされた。一方私は哺乳動物の実験に携わったことが無かったので、転職を機にどうやらマウスをやることになりそう、となった時に虫も動物もやったことのある人に「どっちが抵抗が薄いものか」と尋ねたことがある。彼女いわく「命を取るのはどっちも一緒」。まあ、そうよね。「ただ…動物はねぇ…あいつら鳴くからな」そうか、鳴くのか…それは地味にキツそうね。二人で顔を見合わせ、うへぁ〜となったものであります。
そんな私も今はマウスを使った癌細胞の研究に従事しています。ガンに必ずなってしまう遺伝的形質というものがある。その因子を持った人は他の理由で死なない限りは十中八九、ガンで命を落とすことになります。遺伝が原因の病気は治療が困難。その人を構成する設計図そのものに最初から病気のプランが入っているのだから、運命といえばそれまでですが実に過酷な現実。その治療方法を模索するために動物を使うものの、それを指して「かわいそうだとは思わないの?!」という人は後を絶たない。私はこうした人達のかわいそうの本気度をつい疑ってしまう。それと言うのもかつて「動物好きだから、かわいそうで動物実験は絶対嫌なんです」と言って業務から逃げていたテクニシャンが、マウスの遺骸を保管庫に入れる時に嫌そうな顔をして「ぺっ」とゴミのように投げ入れたのを見た時から。彼女が好きなのは自分に懐く可愛い動物限定なのだと思い知った。そこに実験動物の死に対する尊厳は微塵もなかったのだ。
「殺すのはかわいそうだからなるべく生かしておきましょう」と言って目的もなしにマウスを狭いケージに閉じ込めて老衰を待ち続けた医師もいた。これはマウスの死に関わるのを避けているだけでしかない。彼女にとって、かわいそうなのは動物に引導を渡す自分であって、いつまでも役目を終えられない動物そのもののことは実はあまり頭にはなかったように思われる。年老いて皮膚病を患い、それでも放置され続けたマウスは私が職場を去るその日に静かに息を引き取っていた。最終業務にささやかなお葬いをしつつ、私はそのマウスの死に少し安堵をもたらされた。私の退職後に死んでいたなら、ここではゴミみたいにして捨てられていたかもしれないのだから。
さて、ガンの遺伝形質を持っているために子供が産めないけど、どうしても子供を産んでみたいという女性の話を先日、小耳に挟んだ。人は自分とは無関係と思っているものに対しては安易に「かわいそう」を連発するものらしい。その場は皆、一様に「産めない女性がかわいそう〜」との論調でしたけど、マウスを使った今の実験は将来、そうした人たちに希望の光をもたらすのかもしれない。でも動物実験も「かわいそ〜」なのよね?
とんかつ定食を食べる自分とは無関係と思うから屠殺場に向かう豚がかわいそうなように、医薬品に助けられている自分とは無関係と思うから動物実験もかわいそうで許せない。つくづくと「かわいそう」が醸す他人事感をいかにとやせむ。
私は産めないものを産みたいという人間のエゴについてその気持ちを慮(おもんぱか)りはしても、かわいそうとは思わない。それは運命なのだから。同様に私は病気を克服する方法を探求するために動物を使う人間のエゴに対しても、動物がかわいそうなんて言えない。当事者だからというのもあるでしょうが、ただ、ありがとうと感謝するしかない。そしてなるべく苦しませずに手際よく、とだけ考える。私が彼らにできる精一杯のことは、それくらいしかないのだ。合掌
それはまだ私が農学部で学んでいた頃。実習という名の強制労働に駆り出されて牛やら豚やらの世話に明け暮れていたことがありました。動物の世話自体は私にとっては楽しい経験だったのですが、糞尿まみれで文句タラタラな女子の一部が豚の出荷時にこぞって「かわいそ〜」の大合唱を起こすのが苦手だった。かわい〜の延長でかわいそ〜と人前で言わねばならぬ空気は女子の嗜みというものか。その都度、農場の先生が「ぶわっかもん!家畜は食べるために育ててんだ。こいつらにとっては食べてもらえないことが一番の不幸なんだ」と叱責するのがお約束になっていた。
その先生が事故で死んだ仔豚を両腕に抱いてたのを見たのは今も忘れられない思い出だ。先生は「かわいそうにな、お前は食べてもらえなくてかわいそうなことをしたな」と小さな声で仔豚に話しかけていた。先生が畜産を志した経緯は知らない。だけど動物を慈しむ人だったのは間違いないと思う。
私に動物実験の手ほどきしてくれた人は薬学出身の若いテクニシャンだったけれど彼女もまた「実験動物は実験のために生きているのだから正しい実験に使われないのは一番いけないことだ」と教えてくれた。そこには「無駄に生かしておくことも悪である」という厳しい哲学もあった。実際に動物実験の講習では、役目を終えたor役目を持っていない動物は実験室から速やかに退出させることが推奨されている。それはすなわち命を終えさせることに他ならない。ある意味、この開き直りのような「役目を終えさせる」という思考ができない人は動物実験そのものを受け付けないし、無理にやらせれば心を病むことにもなる。
動物実験の是非を語るのは実に難しい。私が講習会を通して得た結論は、避けられる方策があるなら極力動物を使わない実験を検証すること。そして決して無駄になるようなへっぽこ実験に動物を使わないこと。そのために動物実験をする者には入念な実験計画を立て、厳密な内容の書類提出が義務付けられている。(計画と書類提出は研究者の仕事で私は言われたことをやるだけですけどね)
動物実験経験者が経験した実験内容を紹介しあうと、必ず「うへぁ〜」という微妙な空気が蔓延する。実験中は平常心を保っていられても、改めて口にして説明すると言う方も言われた方も色々想像して「うへぁ〜」となってしまう不思議。経験者同士でもそうなのだから未経験の人に実験の内容を言うのは得策ではない。
でも言っちゃう。私の初めての動物実験は虫でした。低線量の放射線を当てて変異率を調べるというもの。染色体を取り出してジロジロ見る実験に従事していました。虫なんて触れないという人からは思い切り「うへぁ〜」な顔をされた。一方私は哺乳動物の実験に携わったことが無かったので、転職を機にどうやらマウスをやることになりそう、となった時に虫も動物もやったことのある人に「どっちが抵抗が薄いものか」と尋ねたことがある。彼女いわく「命を取るのはどっちも一緒」。まあ、そうよね。「ただ…動物はねぇ…あいつら鳴くからな」そうか、鳴くのか…それは地味にキツそうね。二人で顔を見合わせ、うへぁ〜となったものであります。
そんな私も今はマウスを使った癌細胞の研究に従事しています。ガンに必ずなってしまう遺伝的形質というものがある。その因子を持った人は他の理由で死なない限りは十中八九、ガンで命を落とすことになります。遺伝が原因の病気は治療が困難。その人を構成する設計図そのものに最初から病気のプランが入っているのだから、運命といえばそれまでですが実に過酷な現実。その治療方法を模索するために動物を使うものの、それを指して「かわいそうだとは思わないの?!」という人は後を絶たない。私はこうした人達のかわいそうの本気度をつい疑ってしまう。それと言うのもかつて「動物好きだから、かわいそうで動物実験は絶対嫌なんです」と言って業務から逃げていたテクニシャンが、マウスの遺骸を保管庫に入れる時に嫌そうな顔をして「ぺっ」とゴミのように投げ入れたのを見た時から。彼女が好きなのは自分に懐く可愛い動物限定なのだと思い知った。そこに実験動物の死に対する尊厳は微塵もなかったのだ。
「殺すのはかわいそうだからなるべく生かしておきましょう」と言って目的もなしにマウスを狭いケージに閉じ込めて老衰を待ち続けた医師もいた。これはマウスの死に関わるのを避けているだけでしかない。彼女にとって、かわいそうなのは動物に引導を渡す自分であって、いつまでも役目を終えられない動物そのもののことは実はあまり頭にはなかったように思われる。年老いて皮膚病を患い、それでも放置され続けたマウスは私が職場を去るその日に静かに息を引き取っていた。最終業務にささやかなお葬いをしつつ、私はそのマウスの死に少し安堵をもたらされた。私の退職後に死んでいたなら、ここではゴミみたいにして捨てられていたかもしれないのだから。
さて、ガンの遺伝形質を持っているために子供が産めないけど、どうしても子供を産んでみたいという女性の話を先日、小耳に挟んだ。人は自分とは無関係と思っているものに対しては安易に「かわいそう」を連発するものらしい。その場は皆、一様に「産めない女性がかわいそう〜」との論調でしたけど、マウスを使った今の実験は将来、そうした人たちに希望の光をもたらすのかもしれない。でも動物実験も「かわいそ〜」なのよね?
とんかつ定食を食べる自分とは無関係と思うから屠殺場に向かう豚がかわいそうなように、医薬品に助けられている自分とは無関係と思うから動物実験もかわいそうで許せない。つくづくと「かわいそう」が醸す他人事感をいかにとやせむ。
私は産めないものを産みたいという人間のエゴについてその気持ちを慮(おもんぱか)りはしても、かわいそうとは思わない。それは運命なのだから。同様に私は病気を克服する方法を探求するために動物を使う人間のエゴに対しても、動物がかわいそうなんて言えない。当事者だからというのもあるでしょうが、ただ、ありがとうと感謝するしかない。そしてなるべく苦しませずに手際よく、とだけ考える。私が彼らにできる精一杯のことは、それくらいしかないのだ。合掌
2017年11月1日水曜日
ノリかソリか
仲間が一人、仕事辞めるってよ。というわけで現在、仕事の引き継ぎが行われています。主に私が引き継ぐことになるようで覚えなきゃならんことが盛りだくさん。しかも先方(便宜上キリシマと呼びましょう)は有給消化のためにこれからは職場にあまり出てこない。つまり短期間であっつーまに全ての手技を習得することが要求されて、老いの翳りある我が脳みそにはかなりの負荷がかかってる。
今の職場には春から勤め始めたので、最初の頃に別の先輩から色々と教えてもらった経験がある。それを踏まえて思うのはヒトには教えるのが上手い人とそうじゃない人の二系統がある。今回教えてくれるのは残念ながらそうじゃない系。
キリシマは決して悪い人ではないから、聞けばちゃんと答えてくれる。でも質問しないと基本的に放置の人。自分が知っていることは相手も知ってるという思い込みを前提にして話をどんどん先に進めてしまう。私はおばちゃんだから遠慮なく「ちょっと待って!」と質問を挟んではムグムグと飲み込み、ようやくの思いでついてゆく。まるで椀子そばをあおるがごとし。
キリシマは若い人なので「自分より年かさの人を相手に一から教えては失礼になるかも」と遠慮してるのかな?と思わないでもなかったのですが…待ち時間中に「これ、ちょっと前にも別の人に引き継いだんですけどね。その人、一ヶ月で辞めちゃったんですよ」という話が出た。
ちょっと待って!プレイバック!プレイバック!♪
そういえば採用面接の時に私もちらりと耳にした。私が働き始める一月前にもう一人雇うのでその後で入る私にはその人の補佐を務めて欲しいと言われたような…。なのに働き出したらそれらしき人物がどこにもいなかった。ああそうか、私が来る前に辞めていたんだねぇ。もしかしてだけど…キリシマから仕事を引き継ぐのが重荷になって辞めてしまったのではあるまいな?もしかしてだけど…(^^;)
キリシマの名誉のためにいうけれど、決して悪い人ではないです。むしろ優秀な感じの人。だからこそ追いつけない説明の直後に「はい、やってみて」と迫られる緊迫感にやられてしまったのではないかな、と思ってしまいました。キリシマの几帳面なノートを見て、これと同じことを自分がやれるかな…という不安も正直ある。
「はい、やって」と言われたら「ハイその前にですね、質問です」と不明な部分を解消してから取り掛かる厚かましさが私にはあったけど、「え、わかんないの?」という表情を前にして質問できなくなる人には不安を抱えて操作を続けるのは苦痛かもしれない。
職場には教えるのがうまい先輩もいて、その人はポイントを抑えてどこが作業の肝になるかを説明してくれる。段取り説明→ポイント解説→質問コーナー。このメリハリが人にものを教える時のノウハウかなと両者を見比べて思った次第。ポイント解説の時にありがちな失敗やうまく処理するコツなんかも上手な先輩は惜しみなく教えてくれた。相手の身になってというのが大事なんだな。
と、ここまで来て思った。先述の 黙秘な人々で紹介したポンコツくん。私の教え方がマズかったんだろうか…と。いや、教え上手な先輩が匙を投げた怪物くんなのでそんなことない!と言いたいところだが彼がもし本当に発達障害を持ってる人だったのだとしたら一度に2つ以上のことは頭に入らないが故に混乱を生じやすかったのかもしれない。
初めからそれがわかっていたならば彼の身になってフローチャートのようなものを作るよう助言できたのになと、今となっては後の祭り。
教える、教わるの関係には他にソリが合う、合わないというのもありますしね。
さて、このブログ記事は実は二週間前に書き途中だったものです。upが遅れたのには理由がありまして、次回「天中殺パート?」にて詳細を書く予定。お楽しみに〜
今の職場には春から勤め始めたので、最初の頃に別の先輩から色々と教えてもらった経験がある。それを踏まえて思うのはヒトには教えるのが上手い人とそうじゃない人の二系統がある。今回教えてくれるのは残念ながらそうじゃない系。
キリシマは決して悪い人ではないから、聞けばちゃんと答えてくれる。でも質問しないと基本的に放置の人。自分が知っていることは相手も知ってるという思い込みを前提にして話をどんどん先に進めてしまう。私はおばちゃんだから遠慮なく「ちょっと待って!」と質問を挟んではムグムグと飲み込み、ようやくの思いでついてゆく。まるで椀子そばをあおるがごとし。
キリシマは若い人なので「自分より年かさの人を相手に一から教えては失礼になるかも」と遠慮してるのかな?と思わないでもなかったのですが…待ち時間中に「これ、ちょっと前にも別の人に引き継いだんですけどね。その人、一ヶ月で辞めちゃったんですよ」という話が出た。
ちょっと待って!プレイバック!プレイバック!♪
そういえば採用面接の時に私もちらりと耳にした。私が働き始める一月前にもう一人雇うのでその後で入る私にはその人の補佐を務めて欲しいと言われたような…。なのに働き出したらそれらしき人物がどこにもいなかった。ああそうか、私が来る前に辞めていたんだねぇ。もしかしてだけど…キリシマから仕事を引き継ぐのが重荷になって辞めてしまったのではあるまいな?もしかしてだけど…(^^;)
キリシマの名誉のためにいうけれど、決して悪い人ではないです。むしろ優秀な感じの人。だからこそ追いつけない説明の直後に「はい、やってみて」と迫られる緊迫感にやられてしまったのではないかな、と思ってしまいました。キリシマの几帳面なノートを見て、これと同じことを自分がやれるかな…という不安も正直ある。
「はい、やって」と言われたら「ハイその前にですね、質問です」と不明な部分を解消してから取り掛かる厚かましさが私にはあったけど、「え、わかんないの?」という表情を前にして質問できなくなる人には不安を抱えて操作を続けるのは苦痛かもしれない。
職場には教えるのがうまい先輩もいて、その人はポイントを抑えてどこが作業の肝になるかを説明してくれる。段取り説明→ポイント解説→質問コーナー。このメリハリが人にものを教える時のノウハウかなと両者を見比べて思った次第。ポイント解説の時にありがちな失敗やうまく処理するコツなんかも上手な先輩は惜しみなく教えてくれた。相手の身になってというのが大事なんだな。
と、ここまで来て思った。先述の 黙秘な人々で紹介したポンコツくん。私の教え方がマズかったんだろうか…と。いや、教え上手な先輩が匙を投げた怪物くんなのでそんなことない!と言いたいところだが彼がもし本当に発達障害を持ってる人だったのだとしたら一度に2つ以上のことは頭に入らないが故に混乱を生じやすかったのかもしれない。
初めからそれがわかっていたならば彼の身になってフローチャートのようなものを作るよう助言できたのになと、今となっては後の祭り。
教える、教わるの関係には他にソリが合う、合わないというのもありますしね。
さて、このブログ記事は実は二週間前に書き途中だったものです。upが遅れたのには理由がありまして、次回「天中殺パート?」にて詳細を書く予定。お楽しみに〜
2017年9月26日火曜日
愚痴いう人々
お察しの通り、私のことですけど>愚痴いう人
前回「他者を知るは聡明、己を知るは賢明(キリッ)」と言った手前、自分のことについても掘り下げて考えて見ましょうかね。このブログもしばしば仕事の愚痴とか家庭の愚痴とかグチグチ書き散らかしてる。ブログでガス抜きしていると見せかけてところがどっこい、リアルの私なんてこの何倍も強力な毒を身近の人に吐き散らかすので迷惑千万この上なし。むしろ匿名ネット世界の方が万人に謎の配慮をしてトーンが遠慮がちになってる。
「よくまあそんなに文句が出てくるもんだ」と家人に言われるが、私としては不平ばかり言ってるつもりはない。ただ毒を吐き出す時の私はそれだけ強烈な印象を残してるんだろうなという自覚はある。言い訳をさせてもらうなら、折れそうな心をなんとか奮い立たせて頑張りたいと思う気持ちが異様な気焰を上げさせるのであります。前回書いた職場の不満にしても、「なんとかしなければ」と「これはお手上げだ」の間(はざま)でかなりな逡巡を繰り広げていた。その葛藤を排気換気する私。それを時になだめ時に𠮟咤、そして時にテケトーにあしらいながら過ごしていたのが我が夫。
「女性は愚痴に助言を求めているのではない、共感を求めているのだ」とはよく聞く話だが、最近の旦那はそれをどっかで小耳に挟んだらしく殊更に「へー、それはひどいねー」ととってつけな相槌を打ってみたり、あるいはうっかり「そんな仕事は断るべきだ」と解決策を断じたり、実によく付き合ってくれた。
でも私に言わせれば旦那に共感を求めるなんて夢を追うようなこと、この年になると期待しないよ〜(^^;)。彼の助言に対しても「いや、それはだな」という反論をすることはあっても一つの意見として拝聴してるから、余計な一言で腹が立つということもない。←反論すること自体が苛立ってる風に見えるらしいけど
じゃあなんで私が家で旦那相手に愚痴を言うかといえば「好きな人とはなんでも共有したい(きゃっ)」からですよ。もちろん、共感を得て労いの言葉をもらえれば嬉しいし元気にもなる。だけど基本は「こんなことがあったという経験を共有したい」ただそれだけ。旦那が聞いてくるからという部分もあるけどね。
初めからこうだった訳ではないです。私も若い頃はご多聞にもれず、旦那に共感を求めては夢破れて喧嘩になる経験を積んできました。そこから徐々に「話題を共有できればそれでいいんじゃないかな」となり、そして今は「無理に共有しないくてもいいや」に変形しつつある。だから相手に聞く気がない兆候が見られた時は、昔なら気分を害して文句の一つも言ったけど今は話の途中でも割と平気で終わりにできる。大抵の場合は私の話をぶった切りにして旦那が何か別のことを言うので、こちらもそれを契機に話を終わりにしちゃうのですが。するとどうでしょう、旦那の方が「なんで途中で止めちゃうの」と不機嫌になる。いや、途中で別の話にしたのあなたでしょ。聞いてないから終わりにしたんですけど?
私も朝ドラや女子アナの話題を旦那から共有されようとしても困惑しかないな、と普段から思っているのでそれと対等な気持ちで旦那が上の空の時は無理に話を進めない。それだけのことなのに怒りだす旦那。何故?!
「若い時と違って無理に聞かそうと思わなくなっただけだよ」と正直に話したらそれはそれで腹が立つらしい。熟年夫婦の冷めきった妻の匂いを嗅ぎ取るのかしら。そーゆーつもりはないんですけど(^^;)思いやってるつもりなんですけど。
なんだかんだで最終的に「じゃあもう僕に職場の話は一切しないでよね!」と言う謎の逆ギレをかまされて、こちらも最近は仕事の話は愚痴ばかりと言う状況に多少引け目を感じていたので「おうよ、もう一切話すもんか」と決意したのであります。
そしたらさ、ガスが溜まるのかしらね。ものの数日で就寝中に過呼吸起こして大変なことになりました。不満を吐き出さずに働いたら一週間くらいで体調もおかしくなって、これはいよいよとてつもないストレスが体を蝕んでいるなと自分でも驚いた次第。文句を言うだけで元気に働けていたちょっと前までが遠い昔の夢のよう。
私は毒を吐いていないと自家中毒を起こしてどうかしてしまう体なんだわ。それはそれでどんなもんよ?と思いつつ時々でいいからブログで吐き出させてください (/_;)
不平不満なく生きていけるのが理想ですけどね。気持ちを切り替えていけるように頑張らないと自分で自分を不幸にしちゃうんだな、というお話でした。
前回「他者を知るは聡明、己を知るは賢明(キリッ)」と言った手前、自分のことについても掘り下げて考えて見ましょうかね。このブログもしばしば仕事の愚痴とか家庭の愚痴とかグチグチ書き散らかしてる。ブログでガス抜きしていると見せかけてところがどっこい、リアルの私なんてこの何倍も強力な毒を身近の人に吐き散らかすので迷惑千万この上なし。むしろ匿名ネット世界の方が万人に謎の配慮をしてトーンが遠慮がちになってる。
「よくまあそんなに文句が出てくるもんだ」と家人に言われるが、私としては不平ばかり言ってるつもりはない。ただ毒を吐き出す時の私はそれだけ強烈な印象を残してるんだろうなという自覚はある。言い訳をさせてもらうなら、折れそうな心をなんとか奮い立たせて頑張りたいと思う気持ちが異様な気焰を上げさせるのであります。前回書いた職場の不満にしても、「なんとかしなければ」と「これはお手上げだ」の間(はざま)でかなりな逡巡を繰り広げていた。その葛藤を排気換気する私。それを時になだめ時に𠮟咤、そして時にテケトーにあしらいながら過ごしていたのが我が夫。
「女性は愚痴に助言を求めているのではない、共感を求めているのだ」とはよく聞く話だが、最近の旦那はそれをどっかで小耳に挟んだらしく殊更に「へー、それはひどいねー」ととってつけな相槌を打ってみたり、あるいはうっかり「そんな仕事は断るべきだ」と解決策を断じたり、実によく付き合ってくれた。
でも私に言わせれば旦那に共感を求めるなんて夢を追うようなこと、この年になると期待しないよ〜(^^;)。彼の助言に対しても「いや、それはだな」という反論をすることはあっても一つの意見として拝聴してるから、余計な一言で腹が立つということもない。←反論すること自体が苛立ってる風に見えるらしいけど
じゃあなんで私が家で旦那相手に愚痴を言うかといえば「好きな人とはなんでも共有したい(きゃっ)」からですよ。もちろん、共感を得て労いの言葉をもらえれば嬉しいし元気にもなる。だけど基本は「こんなことがあったという経験を共有したい」ただそれだけ。旦那が聞いてくるからという部分もあるけどね。
初めからこうだった訳ではないです。私も若い頃はご多聞にもれず、旦那に共感を求めては夢破れて喧嘩になる経験を積んできました。そこから徐々に「話題を共有できればそれでいいんじゃないかな」となり、そして今は「無理に共有しないくてもいいや」に変形しつつある。だから相手に聞く気がない兆候が見られた時は、昔なら気分を害して文句の一つも言ったけど今は話の途中でも割と平気で終わりにできる。大抵の場合は私の話をぶった切りにして旦那が何か別のことを言うので、こちらもそれを契機に話を終わりにしちゃうのですが。するとどうでしょう、旦那の方が「なんで途中で止めちゃうの」と不機嫌になる。いや、途中で別の話にしたのあなたでしょ。聞いてないから終わりにしたんですけど?
私も朝ドラや女子アナの話題を旦那から共有されようとしても困惑しかないな、と普段から思っているのでそれと対等な気持ちで旦那が上の空の時は無理に話を進めない。それだけのことなのに怒りだす旦那。何故?!
「若い時と違って無理に聞かそうと思わなくなっただけだよ」と正直に話したらそれはそれで腹が立つらしい。熟年夫婦の冷めきった妻の匂いを嗅ぎ取るのかしら。そーゆーつもりはないんですけど(^^;)思いやってるつもりなんですけど。
なんだかんだで最終的に「じゃあもう僕に職場の話は一切しないでよね!」と言う謎の逆ギレをかまされて、こちらも最近は仕事の話は愚痴ばかりと言う状況に多少引け目を感じていたので「おうよ、もう一切話すもんか」と決意したのであります。
そしたらさ、ガスが溜まるのかしらね。ものの数日で就寝中に過呼吸起こして大変なことになりました。不満を吐き出さずに働いたら一週間くらいで体調もおかしくなって、これはいよいよとてつもないストレスが体を蝕んでいるなと自分でも驚いた次第。文句を言うだけで元気に働けていたちょっと前までが遠い昔の夢のよう。
私は毒を吐いていないと自家中毒を起こしてどうかしてしまう体なんだわ。それはそれでどんなもんよ?と思いつつ時々でいいからブログで吐き出させてください (/_;)
不平不満なく生きていけるのが理想ですけどね。気持ちを切り替えていけるように頑張らないと自分で自分を不幸にしちゃうんだな、というお話でした。
2017年9月18日月曜日
黙秘な人々
嘘をつくのが平気な人は相手を選んでる。「この人は追求しない」と判断すると力づくで嘘をつくけれど、ツッコミ入れてくる相手は面倒という認識はちゃんとあるらしい。ではツッコミに対して嘘つきはどう反応するか?その答えが表題の「黙秘」だったりする。
なぜか黙っちゃうんだよね。嘘に疑問を投げかけると喋らなくなる。そこで妙な空気になって大概の人はそれ以上の追求はしない。でもさ、それで嘘つきに「やり過ごせた」と思い違いさせるのは口惜しいじゃない?成功体験?!を重ねるごとに彼らは嘘つくことをやめない体になちゃうわけ。だからというわけじゃないけれど、嘘の内容いかんでは私は遠慮なく質問ぜめにする。するとなんということでしょう。黙りこくった相手に畳み掛ける私という構図が出来上がり、まるで私がいじめっ子。実に味気無し。
今、厄介な人を相手に仕事をすることになっておりまして、その人は自称外科医なのですがとてもそうは思えない手技の持ち主。有り体に言って不器用極まりない。本物の医師が掃いて捨てるほどいる職場なのでまさかそんな嘘をつくと思わなかったけれど、あまりにも何もできない人なのでボスが上の人間に問いただしたところ「彼は医者じゃないよ〜。医学部中退って聞いたけど?」との返答。どうしてそんなすぐわかる嘘を平気でついちゃうんでしょうかね?下手をすると医学部に在籍した実績があるかどうかも怪しいレベルで何も覚えられないポンコツぶり。
100歩譲って肩書きで見栄を張っちゃった部分には目をつぶるとして(いや、かなりヤヴァイ詐称だとは思うけど)「できます」と言ったり「わかりました」と言ったことが全然できてないし、全然わかってないし。。。この人の何を信じたらいいのか、さっぱりわかりません。
フレンズによって得意なことは違うからね〜byサーバルちゃん
とは言うものの発達障害が疑わしい人と円滑に仕事をするのは本当に難しい。それが本人にもどうすることもできない脳の仕組みのせいなのか、それとも単なる訓練不足でそうなっているのかを知ることができないからもどかしい。せめてできないことは「できない」と素直に言えて、周囲もそれを認められる社会ならいいのでしょうけど。
「君はできる、わかる、自分がやると言うけど、全然できてないし理解できてるかも正直怪しいから、もうこの仕事は触らせないでとボスから言われてるんですよ」←つーか、このせいで彼の仕事を私がやる羽目になって今猛烈忙しいモードに突入している。私がそこまで言っても彼は「僕の仕事」と言い張り私の後追いをやめない。見てるだけならともかく手を出したがって危険この上ないし、何度でも的外れな質問を浴びせられる地獄に陥ってました。お前は新手の天中殺なのかっ?!
横に誰かが張り付いて逐一指示を出してやらなきゃ遂行できない仕事は「僕のやった仕事」とは言えない、1ステップごとに手を止めて「次は?」と聞きにくる人間が全体の内容を理解してるとは思えない、何か一つでも人に聞かずにやり遂げられた工程があったか?そもそも外科医なら知ってるはずのことを君は何も知らなかったじゃないか?
ここにいたって彼は完全に沈黙。いじめっ子先輩気分を味わって、しかしながらこれで彼はもう私を頼ってこないと確信した。嘘つきは嘘を暴く人を好まないのだ。
その翌週、彼は別の先輩に絡んでいた。その先輩は一番最初に彼の指導を任されて真っ先に匙を投げた人物で、上の人間にしかるべき報告も上げている。「彼は何もできない」と報告したことに対して「なぜそんなこと言ったんですか?」と詰め寄られた先輩は絶句していた。先輩!そこで絶句したらダメっすよ!この手の人物はまっこと、相手を選んで好き勝手なことを言い続けるようにできている。私なら「何か一つでもあなた一人でできたことってありましたっけ?」と聞き返して黙らしてやるのに。
何よりも彼はずっと「僕はできる」と自分自身に嘘をつき続けてきたのかもしれない。その嘘を否定しない人達とだけ付き合って行けるのが彼の理想郷なのかもしれないが、世の中そんなにゃ甘くないでしょう。
「他者を知るは聡明、己を知るは賢明」とタロットカードが申しておりました。嘘つく相手を選ぶズル賢さはあるみたいなのに、己を知る賢明さに欠けると多分これからも生きにくい人生になると思う。人のふり見て我がふり直そ。。
なぜか黙っちゃうんだよね。嘘に疑問を投げかけると喋らなくなる。そこで妙な空気になって大概の人はそれ以上の追求はしない。でもさ、それで嘘つきに「やり過ごせた」と思い違いさせるのは口惜しいじゃない?成功体験?!を重ねるごとに彼らは嘘つくことをやめない体になちゃうわけ。だからというわけじゃないけれど、嘘の内容いかんでは私は遠慮なく質問ぜめにする。するとなんということでしょう。黙りこくった相手に畳み掛ける私という構図が出来上がり、まるで私がいじめっ子。実に味気無し。
今、厄介な人を相手に仕事をすることになっておりまして、その人は自称外科医なのですがとてもそうは思えない手技の持ち主。有り体に言って不器用極まりない。本物の医師が掃いて捨てるほどいる職場なのでまさかそんな嘘をつくと思わなかったけれど、あまりにも何もできない人なのでボスが上の人間に問いただしたところ「彼は医者じゃないよ〜。医学部中退って聞いたけど?」との返答。どうしてそんなすぐわかる嘘を平気でついちゃうんでしょうかね?下手をすると医学部に在籍した実績があるかどうかも怪しいレベルで何も覚えられないポンコツぶり。
100歩譲って肩書きで見栄を張っちゃった部分には目をつぶるとして(いや、かなりヤヴァイ詐称だとは思うけど)「できます」と言ったり「わかりました」と言ったことが全然できてないし、全然わかってないし。。。この人の何を信じたらいいのか、さっぱりわかりません。
フレンズによって得意なことは違うからね〜byサーバルちゃん
とは言うものの発達障害が疑わしい人と円滑に仕事をするのは本当に難しい。それが本人にもどうすることもできない脳の仕組みのせいなのか、それとも単なる訓練不足でそうなっているのかを知ることができないからもどかしい。せめてできないことは「できない」と素直に言えて、周囲もそれを認められる社会ならいいのでしょうけど。
「君はできる、わかる、自分がやると言うけど、全然できてないし理解できてるかも正直怪しいから、もうこの仕事は触らせないでとボスから言われてるんですよ」←つーか、このせいで彼の仕事を私がやる羽目になって今猛烈忙しいモードに突入している。私がそこまで言っても彼は「僕の仕事」と言い張り私の後追いをやめない。見てるだけならともかく手を出したがって危険この上ないし、何度でも的外れな質問を浴びせられる地獄に陥ってました。お前は新手の天中殺なのかっ?!
横に誰かが張り付いて逐一指示を出してやらなきゃ遂行できない仕事は「僕のやった仕事」とは言えない、1ステップごとに手を止めて「次は?」と聞きにくる人間が全体の内容を理解してるとは思えない、何か一つでも人に聞かずにやり遂げられた工程があったか?そもそも外科医なら知ってるはずのことを君は何も知らなかったじゃないか?
ここにいたって彼は完全に沈黙。いじめっ子先輩気分を味わって、しかしながらこれで彼はもう私を頼ってこないと確信した。嘘つきは嘘を暴く人を好まないのだ。
その翌週、彼は別の先輩に絡んでいた。その先輩は一番最初に彼の指導を任されて真っ先に匙を投げた人物で、上の人間にしかるべき報告も上げている。「彼は何もできない」と報告したことに対して「なぜそんなこと言ったんですか?」と詰め寄られた先輩は絶句していた。先輩!そこで絶句したらダメっすよ!この手の人物はまっこと、相手を選んで好き勝手なことを言い続けるようにできている。私なら「何か一つでもあなた一人でできたことってありましたっけ?」と聞き返して黙らしてやるのに。
何よりも彼はずっと「僕はできる」と自分自身に嘘をつき続けてきたのかもしれない。その嘘を否定しない人達とだけ付き合って行けるのが彼の理想郷なのかもしれないが、世の中そんなにゃ甘くないでしょう。
「他者を知るは聡明、己を知るは賢明」とタロットカードが申しておりました。嘘つく相手を選ぶズル賢さはあるみたいなのに、己を知る賢明さに欠けると多分これからも生きにくい人生になると思う。人のふり見て我がふり直そ。。
2017年9月7日木曜日
嘘つく人々
忙しくてブログに辿り着けませんでしたよ、と。この忙しさの中でふと思うところあって珍しく時事ネタなんかを書いてみようとしたりなんかして。とはいえ時事と呼ぶには随分前の話になりまする。お題は日野皓正氏が中学生にビンタした出来事について。
「中学生の髪を掴んでビンタ」というのはなかなかにショッキング映像。現場に居合わせた人の話では教育委員会主催の体験学習として企画されたこのコンサートにはたくさんの子供達が日野皓正氏の指導の元に演奏体験をしていたとか。終盤には舞台に上がりきれない子供達が3〜4小節ばかりのささやかなソロを順繰りに譲り合って披露していたという。その中でドラムの少年だけが異様に長いソロをやめず、最初は苦笑いだった日野氏が譲るように合図をし、それでも聞かない少年に注意を促し、最後は怒りをあらわにドラムスティックを取り上げた。にも関わらず日野氏が背を向けて立ち去りかけると少年は素手でドラムを叩き出して仲間にどうしても晴れ舞台を譲らない。ここにいたって少年の髪を掴んでビンタ、という流れだったそうな。
少年はその後、日野氏のところに謝罪に来たというし取材に対しても「自分が悪かった」と答え、少年の父親まで「うちの子が悪い」と話していたそうなので決して野放図なだけの子供ではなさそう。では何故こんなことになってしまったのだろうか?
思うに彼は今まで他人から怒られた経験がなかったのかもしれない。彼に限らない。今時の若い人たちはこっぴどく叱られたりとか、怒りをあらわにされた経験が昭和wに比べて少ないんじゃないかと思う。実際にこの出来事を受けて暴力に対する賛否両論がネット上でも多数散見された。怒らない育児や教育が推奨され出してから幾久しい昨今は子供をビビらすほど怒ることに対して厳しい意見も多く、どうにも叱る事に大人も子供も過敏になりすぎの感。
子供相手に激昂すること自体が批判の的となり顰蹙を買うオジョーヒンな世の中になったけれど、これだけは言える。人を怒らせる行為がどんな結果をもたらすかを学ぶ機会を持たない子達は大人になってから苦労する。怒られた経験のない人は色んな意味で厄介者に成長するから。
はい、愚痴です。察しの良い方は「こりゃ職場の話だな」と捉えてくださってよろしくてよ。今の私の周辺は怒られたことがないまま大人になった系の厄介者率が異様に高い。それらの特徴は言動が不用意に失敬な人とか、逆に人の目にとまらないよう存在感を消してる人、何か意見されるとマジで消えていなくなる人、等々各種取り揃え。これらの人達は共通して「親に怒られたことないんですけど?」とサラリと言っちゃう。下手するとそれを自慢にすら思ってるフシがあるんだけど、それで他人をこれだけ平気で怒らせる大人に成長したんだとしたらお前さんの親は大馬鹿者だ、このスットコドッコイ!
「若者は」と一括りにして若者の悪口を言うつもりは毛頭ないが、ある時ふと気がついたのは嘘をつくことに抵抗のない人が特に若い世代に急増しているなということ。これは嘘がバレても怒られたりしなかったことの現れではないかと思う。わしら年寄り世代は嘘をつくと親に鉄拳制裁で叱られたし、嘘がバレたら相手からはボロクソに文句を言われるし、それを伝え聞いた仲間からも責められるし、骨身にしみて嘘はダメだな〜と小さいうちに学んだ(違うのか?私だけ?!)。
嘘は絶対にダメと思う理由は大概の嘘は人を苛立たせるからじゃないかと思う。でも今は嘘をつかれても怒る人は稀だ。私自身、若者の見え透いた嘘を目の当たりにするとむしろ目のやり場に困って脱力が先にくる。「以降はこの人に関わるまい」と思うのが精一杯。鉄拳制裁なんてとんでもないし、ボロクソ文句言っても…じゃなくて、その嘘を暴いたとしてもそれは大人気ないと恨まれるだけで、せいぜい仲間内やブログでヒソヒソと言い合うくらいが関の山 (^^;)。
嘘をつく方もその場さえ取り繕って乗り切れば、あとは自分の中では無かったことにできると思っているから実に軽いもの。でも嘘をつかれた方にはその嘘が心に残り続けるということを忘れてはいけない。失った信頼は取り戻せないし、回り回ってそれが悪い結果をもたらすことに気づく機会さえない。結局人は直接的に酷い目に会ったりビビったりしない限り、つまりは因果関係が目に見える形で自分に迫って来ない限り、自分の失敗は無かったことにしてしまうものらしい。
くだんのドラム少年は誰も怒ってくれなかったら「自分が悪かった」とはなかなか思えなかったかも知れませんね。
と、とりとめもなく書きましたが、今後も職場で嘘つき野郎の残した嘘混じりデータの修正に追われる毎日がしばらく続きそうです。げんなり
「中学生の髪を掴んでビンタ」というのはなかなかにショッキング映像。現場に居合わせた人の話では教育委員会主催の体験学習として企画されたこのコンサートにはたくさんの子供達が日野皓正氏の指導の元に演奏体験をしていたとか。終盤には舞台に上がりきれない子供達が3〜4小節ばかりのささやかなソロを順繰りに譲り合って披露していたという。その中でドラムの少年だけが異様に長いソロをやめず、最初は苦笑いだった日野氏が譲るように合図をし、それでも聞かない少年に注意を促し、最後は怒りをあらわにドラムスティックを取り上げた。にも関わらず日野氏が背を向けて立ち去りかけると少年は素手でドラムを叩き出して仲間にどうしても晴れ舞台を譲らない。ここにいたって少年の髪を掴んでビンタ、という流れだったそうな。
少年はその後、日野氏のところに謝罪に来たというし取材に対しても「自分が悪かった」と答え、少年の父親まで「うちの子が悪い」と話していたそうなので決して野放図なだけの子供ではなさそう。では何故こんなことになってしまったのだろうか?
思うに彼は今まで他人から怒られた経験がなかったのかもしれない。彼に限らない。今時の若い人たちはこっぴどく叱られたりとか、怒りをあらわにされた経験が昭和wに比べて少ないんじゃないかと思う。実際にこの出来事を受けて暴力に対する賛否両論がネット上でも多数散見された。怒らない育児や教育が推奨され出してから幾久しい昨今は子供をビビらすほど怒ることに対して厳しい意見も多く、どうにも叱る事に大人も子供も過敏になりすぎの感。
子供相手に激昂すること自体が批判の的となり顰蹙を買うオジョーヒンな世の中になったけれど、これだけは言える。人を怒らせる行為がどんな結果をもたらすかを学ぶ機会を持たない子達は大人になってから苦労する。怒られた経験のない人は色んな意味で厄介者に成長するから。
はい、愚痴です。察しの良い方は「こりゃ職場の話だな」と捉えてくださってよろしくてよ。今の私の周辺は怒られたことがないまま大人になった系の厄介者率が異様に高い。それらの特徴は言動が不用意に失敬な人とか、逆に人の目にとまらないよう存在感を消してる人、何か意見されるとマジで消えていなくなる人、等々各種取り揃え。これらの人達は共通して「親に怒られたことないんですけど?」とサラリと言っちゃう。下手するとそれを自慢にすら思ってるフシがあるんだけど、それで他人をこれだけ平気で怒らせる大人に成長したんだとしたらお前さんの親は大馬鹿者だ、このスットコドッコイ!
「若者は」と一括りにして若者の悪口を言うつもりは毛頭ないが、ある時ふと気がついたのは嘘をつくことに抵抗のない人が特に若い世代に急増しているなということ。これは嘘がバレても怒られたりしなかったことの現れではないかと思う。わしら年寄り世代は嘘をつくと親に鉄拳制裁で叱られたし、嘘がバレたら相手からはボロクソに文句を言われるし、それを伝え聞いた仲間からも責められるし、骨身にしみて嘘はダメだな〜と小さいうちに学んだ(違うのか?私だけ?!)。
嘘は絶対にダメと思う理由は大概の嘘は人を苛立たせるからじゃないかと思う。でも今は嘘をつかれても怒る人は稀だ。私自身、若者の見え透いた嘘を目の当たりにするとむしろ目のやり場に困って脱力が先にくる。「以降はこの人に関わるまい」と思うのが精一杯。鉄拳制裁なんてとんでもないし、ボロクソ文句言っても…じゃなくて、その嘘を暴いたとしてもそれは大人気ないと恨まれるだけで、せいぜい仲間内やブログでヒソヒソと言い合うくらいが関の山 (^^;)。
嘘をつく方もその場さえ取り繕って乗り切れば、あとは自分の中では無かったことにできると思っているから実に軽いもの。でも嘘をつかれた方にはその嘘が心に残り続けるということを忘れてはいけない。失った信頼は取り戻せないし、回り回ってそれが悪い結果をもたらすことに気づく機会さえない。結局人は直接的に酷い目に会ったりビビったりしない限り、つまりは因果関係が目に見える形で自分に迫って来ない限り、自分の失敗は無かったことにしてしまうものらしい。
くだんのドラム少年は誰も怒ってくれなかったら「自分が悪かった」とはなかなか思えなかったかも知れませんね。
と、とりとめもなく書きましたが、今後も職場で嘘つき野郎の残した嘘混じりデータの修正に追われる毎日がしばらく続きそうです。げんなり
2017年2月26日日曜日
転職顚末の記
保育園に子供を預ける働くお母さんに対して、やや自虐的意味を含んで働かないお母さんなんて言葉もあるようで、今回は働かないお母さんが働くお母さんに仕事を譲った話です。あ〜愚痴です。御用とお急ぎのない方はお立ち寄りください。では行ってみよ!
同じ職場にいた派遣スタッフAさんは出産を機に仕事を辞めた。同じく派遣スタッフだった私は直接雇用(つーても年契約の有期雇用だ)に切り替えてAさんの後任として働くことになった。そうして半年以上が過ぎた頃、Aさんは突如自分も直接雇用で雇ってくれろと上司にコンタクトをとってきた。最初はワークシェアリング的な形での雇用が提示されたが、Aさんは子供を保育園に預ける為に勤務日数を確保する必要があるという。私が譲る形で調整をするがそれでも家を買ってローンがあるから本当は週5で働きたいんですよねと、何やら不満が残るご様子。
そんな話聞いたらおばちゃん、気が気じゃないわ。後釜で入った私が居座ってるから、元々働いてたAさんが週5で働けなくなった。あー子供産んだら仕事失っちゃうよ。1年前の流行り言葉で日本しね、てな感じ。
いや、そんなこた言われてないけどね。元々私も居たわけだし。直接雇用は私の方が先だったわけだし。でも空気読めないクセに妄想力だけは逞しいんで、それ位のことは下手すると思われてるなと考えるともう勝手に針のムシロ。
三方一両損みたいな大岡裁きをやっても結局みんながチョットずつ不満のタネを残すくらいなら私が他所へ出て行ってAさんを週5で雇った方が話早いんじゃないですか?と、試しに求人が出ていた職場に履歴書を送ったらあっさり採用されてしまった。
「ポテンシャルが低いのに5日働かせろと言うAさんのためにキチンと働いてたあなたが割りを喰う必要はない。あなたも自分の要望を上司に言うべきだ」と私を励ましてくれた同僚には本当に申し訳なかったが他所へ行きますという要望を言って全ては片付いた。
Aさんは晴れて週5勤務になり、上司も予算内に収まり、みんな言うことないでしょと思ったらAさん曰くこの仕事を全部一人でやらされるのは困る…ですと。私、それ全部一人でやってましたよ(しかも週3勤務で…)。どんだけポテンシャル低いんだ。一緒に仕事する羽目にならずに済んだ私にも結果オーライな裁きになったようで言うことナッシング。(←ほんとの転職理由はここにあったんだけどね ^^; )
この度の経験で思ったのは専業主婦時代に割とこうした待遇に慣れっこ体質になってたということ。自治会でもPTAでも 前述のご近所トラブル でも、フルタイム勤務じゃないからこれ位やってくれてもいいでしょとお気軽に変な役回りを振られてしまう経験の数々をこなしてきた。賃金労働をしないお母さんは働かないお母さんと認識される社会だが、私はその働かないお母さんであることを選択して逃げ場のない所で理不尽の極みのような思い通りにならない生き物係として務め上げた実績がある(その後、自分の子供じゃない人達からお母さん呼ばわりで理不尽な役回りを振られることに根をあげて賃金労働に走った経緯はありますけどね)。
私の周囲の専業主婦の多くは子供の世話を自分の仕事と認識して務めに努め上げてきた猛者ばかり。どうにも「働かないお母さん」の呼称に違和感アリ。もちろん例外はある。何があっても動かないお母さんという部類はいる。しかしそれは専業主婦と兼業主婦のどちらにも見受けられる種族だ。職場においては動かないお母さんの尻拭いを職場の仲間がやるように、コミュニティにおいては動かないお母さんの尻拭いはコミュニティに長時間在籍する専業主婦が処理班に当たることが多い。役員活動(orやらねばならぬこと)から逃げ回る種族はすべからくこの動かないお母さん。兼業か専業かは実は関係ないのだ。
兼業でも専業でも、どこででも気持ちの良い働きをするお母さんは私にとってはまさに憧れのマドンナ(聖母)。彼女達のポリシーは誰かがやらなきゃならない仕事ならさっさと片付けちゃいましょ。
実に気負いがなく、誰も責めず妬まずな精神の持ち主。まったき見習いたいものです。私は未熟者なんでブログでこそっと吐き出しちゃう。えへへ、それっくらいは見逃してくれよ〜ぅ
同じ職場にいた派遣スタッフAさんは出産を機に仕事を辞めた。同じく派遣スタッフだった私は直接雇用(つーても年契約の有期雇用だ)に切り替えてAさんの後任として働くことになった。そうして半年以上が過ぎた頃、Aさんは突如自分も直接雇用で雇ってくれろと上司にコンタクトをとってきた。最初はワークシェアリング的な形での雇用が提示されたが、Aさんは子供を保育園に預ける為に勤務日数を確保する必要があるという。私が譲る形で調整をするがそれでも家を買ってローンがあるから本当は週5で働きたいんですよねと、何やら不満が残るご様子。
そんな話聞いたらおばちゃん、気が気じゃないわ。後釜で入った私が居座ってるから、元々働いてたAさんが週5で働けなくなった。あー子供産んだら仕事失っちゃうよ。1年前の流行り言葉で日本しね、てな感じ。
いや、そんなこた言われてないけどね。元々私も居たわけだし。直接雇用は私の方が先だったわけだし。でも空気読めないクセに妄想力だけは逞しいんで、それ位のことは下手すると思われてるなと考えるともう勝手に針のムシロ。
三方一両損みたいな大岡裁きをやっても結局みんながチョットずつ不満のタネを残すくらいなら私が他所へ出て行ってAさんを週5で雇った方が話早いんじゃないですか?と、試しに求人が出ていた職場に履歴書を送ったらあっさり採用されてしまった。
「ポテンシャルが低いのに5日働かせろと言うAさんのためにキチンと働いてたあなたが割りを喰う必要はない。あなたも自分の要望を上司に言うべきだ」と私を励ましてくれた同僚には本当に申し訳なかったが他所へ行きますという要望を言って全ては片付いた。
Aさんは晴れて週5勤務になり、上司も予算内に収まり、みんな言うことないでしょと思ったらAさん曰くこの仕事を全部一人でやらされるのは困る…ですと。私、それ全部一人でやってましたよ(しかも週3勤務で…)。どんだけポテンシャル低いんだ。一緒に仕事する羽目にならずに済んだ私にも結果オーライな裁きになったようで言うことナッシング。(←ほんとの転職理由はここにあったんだけどね ^^; )
この度の経験で思ったのは専業主婦時代に割とこうした待遇に慣れっこ体質になってたということ。自治会でもPTAでも 前述のご近所トラブル でも、フルタイム勤務じゃないからこれ位やってくれてもいいでしょとお気軽に変な役回りを振られてしまう経験の数々をこなしてきた。賃金労働をしないお母さんは働かないお母さんと認識される社会だが、私はその働かないお母さんであることを選択して逃げ場のない所で理不尽の極みのような思い通りにならない生き物係として務め上げた実績がある(その後、自分の子供じゃない人達からお母さん呼ばわりで理不尽な役回りを振られることに根をあげて賃金労働に走った経緯はありますけどね)。
私の周囲の専業主婦の多くは子供の世話を自分の仕事と認識して務めに努め上げてきた猛者ばかり。どうにも「働かないお母さん」の呼称に違和感アリ。もちろん例外はある。何があっても動かないお母さんという部類はいる。しかしそれは専業主婦と兼業主婦のどちらにも見受けられる種族だ。職場においては動かないお母さんの尻拭いを職場の仲間がやるように、コミュニティにおいては動かないお母さんの尻拭いはコミュニティに長時間在籍する専業主婦が処理班に当たることが多い。役員活動(orやらねばならぬこと)から逃げ回る種族はすべからくこの動かないお母さん。兼業か専業かは実は関係ないのだ。
兼業でも専業でも、どこででも気持ちの良い働きをするお母さんは私にとってはまさに憧れのマドンナ(聖母)。彼女達のポリシーは誰かがやらなきゃならない仕事ならさっさと片付けちゃいましょ。
実に気負いがなく、誰も責めず妬まずな精神の持ち主。まったき見習いたいものです。私は未熟者なんでブログでこそっと吐き出しちゃう。えへへ、それっくらいは見逃してくれよ〜ぅ
2017年2月7日火曜日
人生に履歴書を
根性ナシと思われたくない。働く時はなるべく長〜く一つの場所に勤めたいと思っている。なのにこの業界(パートタイマーテクニシャン)は予算の切れ目が縁の切れ目でどうにも長く続けられないシステムになっている。てなわけで不定期ながら転職活動を余儀なくされ、その都度履歴書との格闘を強いられる。悪筆人間には苦痛この上ない作業。
でもまあそのお陰で改訂版を作成する都度、自分の軌跡を振り返ったり初心に戻ったりなんかしてみたりして、それはそれで良いことなのでしょう。
近年は電子化が進んで履歴書作成もだいぶん楽になった。履歴書をPDFファイルにしてメール添付で応募してねというスタイルだと手書きにこだわらなくて済むから心も軽い。コピペで量産できちゃうからたくさん応募できちゃうね、おほほ。転職情報サイトによっては履歴書は飽くまでも手書きにこだわりたいという向きもあるようですが、今時どうなんでしょうね?字が綺麗な人はアピールポイントになって有利だろうけど、そうじゃない人間にとっては相当なマイナスポイントにしかあ〜ごにょごにょ…。
逆に業界によっては綺麗な字は一切求められず、むしろPCスキルをこなせるアピールの一環として電子書類での応募を推奨されるケースもある。環境次第というところなんですかね。綺麗な字を求められる職場には行かない&行けない方向で今回は電子書類作成のアレコレについて備忘録といたしましょう。
先方が履歴書フォームを用意している場合は話が早い。書類をダウンロードしてそこに入力して名前をつけて保存。そいつを丁重なメール本文とともに応募しまっすと添付して送信。あとは書類審査後の面談を待つだけ。フォームが用意されてない場合は自分で好みの履歴書フォームを検索して引っ張ってくる。
さてここで、ダウンロードした書類にうまく書きめないよー&写真が貼れないよーという人のための備忘録を。まあ私のことなんですけどね。解決策その1は単純にフォームをプリントアウトしてそこに手書きして郵送…というもの。だけどそれじゃ何のために直筆を避ける工夫をしたのかワケワカラン!なんとか活字で書き込んでやるぞ、うおーー!
解決策その2。ファイルをjpegとかに変換してプレビュー(mac仕様)で立ち上げ、そこで編集作業をしてしまいましょう。←意味がわからない方用:別名保存で新しいファイルにしましょう。その際ファイル形式を変えることが可能です。これらの変換作業によって写真貼り付けも簡単にできます。
まとめます
書類ダウンロード→好みのファイル形式に変換→編集
あとは先方の望むファイル形式に保存し直して送信
特に写真貼り付けで難儀してる人には書類作成後にjpeg化して画像をコピペする方法をオススメ。そのままプリントアウトも可能ですし、PDF化してメール添付にするもよし。
さて今回の私は先方が用意したPDFフォームをダウンロードして郵送なりメールなりで応募することを要求されていた。だけどその中に一枚、自署にてサインをする必要のある書類が混じっている。さあ、どうする私。つか、みんなどうしたのかしら?プリントアウトしてサインしてスキャンしてPDFで送信?ここまで自宅デスクで作業を済ませたのに今更
封筒と切手買いに出かけて泣きながらポストに投函?
さあさあ備忘録の本題です。macはPDFファイルにサインを入力することができるということを今回知ったのでございます。
プレビューでPDFを立ち上げてツールの中に「注釈」という項目があってそこに「署名」というコマンドがあるのですね。実はここに自署を登録して電子書類にサインすることが可能である、と。ねーねー知ってた?!
「署名を管理」とすると内臓カメラが作動するのでカメラに向かって白紙に書いた自署をむぃっむぃっと突き出しましょう。うまく読み取るとサインが画面に取り込まれるので保存。これで「署名」を使えば登録したお好きな署名を書類に添えることができます。
画数が多いと読み取りにくかったりするのでちょっと苦労しますがうまく読み込めると感動モノ。コツとしては大きな厚手の白い紙にサインペンで大きく書いて読み込み完了までじっと我慢で静止すること。
知ってる人には何を今更な情報ですが、私は知らなかった&利用する機会が全くない人間だったのでちょっと興奮気味に本日の話題はこれまで。お役に立てれば光栄です。どっとはらい
でもまあそのお陰で改訂版を作成する都度、自分の軌跡を振り返ったり初心に戻ったりなんかしてみたりして、それはそれで良いことなのでしょう。
近年は電子化が進んで履歴書作成もだいぶん楽になった。履歴書をPDFファイルにしてメール添付で応募してねというスタイルだと手書きにこだわらなくて済むから心も軽い。コピペで量産できちゃうからたくさん応募できちゃうね、おほほ。転職情報サイトによっては履歴書は飽くまでも手書きにこだわりたいという向きもあるようですが、今時どうなんでしょうね?字が綺麗な人はアピールポイントになって有利だろうけど、そうじゃない人間にとっては相当なマイナスポイントにしかあ〜ごにょごにょ…。
逆に業界によっては綺麗な字は一切求められず、むしろPCスキルをこなせるアピールの一環として電子書類での応募を推奨されるケースもある。環境次第というところなんですかね。綺麗な字を求められる職場には行かない&行けない方向で今回は電子書類作成のアレコレについて備忘録といたしましょう。
先方が履歴書フォームを用意している場合は話が早い。書類をダウンロードしてそこに入力して名前をつけて保存。そいつを丁重なメール本文とともに応募しまっすと添付して送信。あとは書類審査後の面談を待つだけ。フォームが用意されてない場合は自分で好みの履歴書フォームを検索して引っ張ってくる。
さてここで、ダウンロードした書類にうまく書きめないよー&写真が貼れないよーという人のための備忘録を。まあ私のことなんですけどね。解決策その1は単純にフォームをプリントアウトしてそこに手書きして郵送…というもの。だけどそれじゃ何のために直筆を避ける工夫をしたのかワケワカラン!なんとか活字で書き込んでやるぞ、うおーー!
解決策その2。ファイルをjpegとかに変換してプレビュー(mac仕様)で立ち上げ、そこで編集作業をしてしまいましょう。←意味がわからない方用:別名保存で新しいファイルにしましょう。その際ファイル形式を変えることが可能です。これらの変換作業によって写真貼り付けも簡単にできます。
まとめます
書類ダウンロード→好みのファイル形式に変換→編集
あとは先方の望むファイル形式に保存し直して送信
特に写真貼り付けで難儀してる人には書類作成後にjpeg化して画像をコピペする方法をオススメ。そのままプリントアウトも可能ですし、PDF化してメール添付にするもよし。
さて今回の私は先方が用意したPDFフォームをダウンロードして郵送なりメールなりで応募することを要求されていた。だけどその中に一枚、自署にてサインをする必要のある書類が混じっている。さあ、どうする私。つか、みんなどうしたのかしら?プリントアウトしてサインしてスキャンしてPDFで送信?ここまで自宅デスクで作業を済ませたのに今更
封筒と切手買いに出かけて泣きながらポストに投函?
さあさあ備忘録の本題です。macはPDFファイルにサインを入力することができるということを今回知ったのでございます。
プレビューでPDFを立ち上げてツールの中に「注釈」という項目があってそこに「署名」というコマンドがあるのですね。実はここに自署を登録して電子書類にサインすることが可能である、と。ねーねー知ってた?!
「署名を管理」とすると内臓カメラが作動するのでカメラに向かって白紙に書いた自署をむぃっむぃっと突き出しましょう。うまく読み取るとサインが画面に取り込まれるので保存。これで「署名」を使えば登録したお好きな署名を書類に添えることができます。
画数が多いと読み取りにくかったりするのでちょっと苦労しますがうまく読み込めると感動モノ。コツとしては大きな厚手の白い紙にサインペンで大きく書いて読み込み完了までじっと我慢で静止すること。
知ってる人には何を今更な情報ですが、私は知らなかった&利用する機会が全くない人間だったのでちょっと興奮気味に本日の話題はこれまで。お役に立てれば光栄です。どっとはらい
2016年3月15日火曜日
おんなの一生あるいは反省
口を開けば悪態ばかりになる。人間、そんな時もあるさ。だけどそういう時にブログを書くのはキケンすぎるからやめておこう。なんて思ってたら久々の更新になっちゃいましたよ。
私は専業主婦時代が長かったから主婦目線でいろんな女性を見てきました。見てきた女性は主に学校のPTA活動なんかで働く母とか、働かない母とかエトセトラ。仕事してる女性が有能で、してない女性は無能かといえば決してそんなことはなくて、多分有能な女性というのは仕事してても家庭にいてもどこへ出しても有能。対してアレな人は家庭でも職場でも多分…おっと、危ないげふげふ。
何故専業主婦を選んだの?なんて聞かれても、それは多分人それぞれの事情がある。私はたまたまそれが許される状況にあったとも言えるし、主婦になった時点では継続すべきキャリア的なものを何も持っていなかったからとも言える。
時代が違ったから&海外に居たからというのもあるけど、出産後も仕事を続けるという考えはまるでなかった。だってそのためには人を雇わなければならないわけで、それってつまりお金払って自分の子供の世話をしてもらうというわけで…それっていわゆる一つのお仕事なんですよ。これといったご立派な外の仕事をしてるわけじゃなかった私としては、
じゃあその「子供を見るお仕事」を人任せにしないで自分でやった方がいいんじゃないのと思った次第。(これ言うと、保育に出して働くお母さんを人任せって言うのか!と激昂する人がたまに居るけど勘違いしないでほしい。自分が世話できない間、人に任せてることは事実でしょ。育児ってのがそもそも24時間世話しなきゃならん生き物係なんだから)
合う、合わないで言えばこれほど自分の性に合わない仕事はなかったんだけど(^^;) それでも精一杯に努めさせていただきました。時に悪態もつきながら…。子育ての先輩が言った「育児は大変。でも結局、自分の荷物はどんだけしんどくても自分で持って運ばなあかん、ただそれだけのことや」という言葉を座右の銘として。
今は子供の手も離れ、一仕事終えた気分のところで私も外で働いています。そこにはいろんなタイプの働く女性がいて感慨もひとしお。やっぱり有能な人はどこへ出ても有能と思わせるし、そうでない人は職場に居ても…おっとごにょごにょ。
世の中には、子供を保育園に入れたいから週5の仕事に就けないと困るという人もいるんですね。極端な例を出しても仕方ないですが実際に遭遇して考えさせられました。これって若かりし日の私とは対極の思考法。かたや「人にお金払うくらいなら自分で子供の面倒みるわい」だし、かたや「稼いだお金で子供の面倒みてもらうわい」。彼女は稼いだお金は殆ど保育料に消えて雀の涙ほどしか手元には残らないし、兄弟別の保育園への送迎で家事する時間がないことで旦那さんとは喧嘩が絶えないし、もう散々だとぼやきながらそれでも外で働いていたいという情熱は強かった。
全ては仕事のキャリアを途切れさせないための努力か、と考えないでもないが正直彼女はあまり仕事ができる人ではなく、案の定というか予想を上回ってあっと言う間に解雇されて私の前から消えた。聞けばずっとこんな調子でいろんな職を転々とし続けキャリアを積んでる風でもなかった。
それでも彼女は子供を保育園に預けられたんだな〜、と保育園事情に詳しくない私は昨今の保育園狂想曲の報道を見ながらふと思い出した次第。
2016年2月13日土曜日
喰えない確定申告
パート主婦のお役立ち情報、今回は確定申告のお話です。
申告書の作成自体はネットで国税庁のサイトに行って説明通りにすればいいので、そんなに恐れる作業ではないんだけど、とにかく書いてある説明がお役所言葉で難解。そもそも自分に確定申告が必要かどうかを確認するための説明を読み解くのに骨が折れる。
昨年、仕事を変えた私は1月〜12月の間に二カ所の事業所から給与所得を得たわけで、コレって確定申告が必要なのかしらん?というわけで行ってきました国税庁サイト。
やっぱりこいつら、言ってることが難解で結局どーすりゃいいのかわからんぞ!
助けて、オバチャン翻訳〜〜!というわけで素人さんのシロウト言葉で書かれた確定申告にまつわるブログを読みあさって情報収集でござる。
一番ヒットするのは103万円の壁と130万円の壁問題の話題。というか、コレばっかりで欲しい情報を見つけるのが大変だった。
今回私が欲しかった情報は、一年間に二カ所から収入を得た場合の確定申告の必要性の有無。結論から言うと源泉徴収票(所得税処理の証明書と考えればいいのかな)が1枚にまとまっていれば申告の必要ナシ!でした。
私の場合は新しい職場に前職の源泉徴収票を提出していたので、それを元に新職場が源泉徴収処理してくれたので確定申告は不要でした(新職場の源泉徴収票に前職の所得が記載されてた)。職場によってはそうした処理をしない場合もあるので、その場合は前職と新職の合計2枚の源泉徴収票が手元にあるので、これらを合算した確定申告書を自分で作成し居住地の税務署に提出する必要がある。余分に税金を取られていたら雀の涙ほどでも還ってくるし、逆に納税が不足ということになれば支払う必要が出ます。いずれにしてもパート主婦の所得なら主婦に余計な手間と脳みそ使わせやがってくらいの微調整にしかなりませんが。
年次の途中で仕事を変えた人の場合、二カ所から所得を貰っているものの同時期には貰っていないので上記のように「年末調整時期に在籍していた職場の源泉徴収処理」で確定申告の必要はなくなります。(職場によっては前職の確定申告は自分でしてね、という指示がある場合もあるようですが、いずれにしてもその場合は指示があるはず)
事情が違ってくるのは同時期に二カ所からの所得があった場合。主たる給与所得とソレ以外の給与所得とでは納税額が違うため、それを明らかにする必要があるので確定申告が必要になる(という解釈でいいのかな)。主じゃない方の給与所得(あるいは雑所得?やったことないけどアフィリエイト収入とか?)が20万円以下なら確定申告の必要ナシ(多分処理する税務署も多忙でやってらんないから)。でも20万円を越える主じゃない収入があるなら確定申告は必要です。
やらないとどうなるの?という質問に国税庁は「申告漏れが分かったら追徴金もらいますからね!」と威圧的。実際には「バレたらって話だよね〜」と申告しない人も多いようですが気持ちの問題なので該当すると思ったら納税義務は果たしましょう。気持ちよく生きていくためには清廉潔白が一番です。
とはいえ、導入されたマイナンバー制度で今後はこうした「漏れ」は無くなる方向なのでしょう。それならソレでこーゆー七面倒くさい作業はもう主婦にやらせないでね、というのが今一番の私の願い ^^;
確定申告、そんな時代もあったな〜と過去の遺物になる予感がしながら備忘録おわり。
申告書の作成自体はネットで国税庁のサイトに行って説明通りにすればいいので、そんなに恐れる作業ではないんだけど、とにかく書いてある説明がお役所言葉で難解。そもそも自分に確定申告が必要かどうかを確認するための説明を読み解くのに骨が折れる。
昨年、仕事を変えた私は1月〜12月の間に二カ所の事業所から給与所得を得たわけで、コレって確定申告が必要なのかしらん?というわけで行ってきました国税庁サイト。
やっぱりこいつら、言ってることが難解で結局どーすりゃいいのかわからんぞ!
助けて、オバチャン翻訳〜〜!というわけで素人さんのシロウト言葉で書かれた確定申告にまつわるブログを読みあさって情報収集でござる。
一番ヒットするのは103万円の壁と130万円の壁問題の話題。というか、コレばっかりで欲しい情報を見つけるのが大変だった。
※パート収入が100万円を越えると住民税がかかるよ〜、103万円越えてると所得税とられるよ〜、130万円を越えると健康保険料も必要になるよ〜、て話ね。年収が103万円を越えても事業所が年末調整(所得税の処理)をしてくれてたら基本的に確定申告は必要ありません。住民税に関しては事業所によって自分で払ったり事業所が給与から差っ引いてたりと色々です。いずれにしても何かする必要がある場合はたいていは事業所がその旨を指示してきます。
今回私が欲しかった情報は、一年間に二カ所から収入を得た場合の確定申告の必要性の有無。結論から言うと源泉徴収票(所得税処理の証明書と考えればいいのかな)が1枚にまとまっていれば申告の必要ナシ!でした。
私の場合は新しい職場に前職の源泉徴収票を提出していたので、それを元に新職場が源泉徴収処理してくれたので確定申告は不要でした(新職場の源泉徴収票に前職の所得が記載されてた)。職場によってはそうした処理をしない場合もあるので、その場合は前職と新職の合計2枚の源泉徴収票が手元にあるので、これらを合算した確定申告書を自分で作成し居住地の税務署に提出する必要がある。余分に税金を取られていたら雀の涙ほどでも還ってくるし、逆に納税が不足ということになれば支払う必要が出ます。いずれにしてもパート主婦の所得なら主婦に余計な手間と脳みそ使わせやがってくらいの微調整にしかなりませんが。
年次の途中で仕事を変えた人の場合、二カ所から所得を貰っているものの同時期には貰っていないので上記のように「年末調整時期に在籍していた職場の源泉徴収処理」で確定申告の必要はなくなります。(職場によっては前職の確定申告は自分でしてね、という指示がある場合もあるようですが、いずれにしてもその場合は指示があるはず)
事情が違ってくるのは同時期に二カ所からの所得があった場合。主たる給与所得とソレ以外の給与所得とでは納税額が違うため、それを明らかにする必要があるので確定申告が必要になる(という解釈でいいのかな)。主じゃない方の給与所得(あるいは雑所得?やったことないけどアフィリエイト収入とか?)が20万円以下なら確定申告の必要ナシ(多分処理する税務署も多忙でやってらんないから)。でも20万円を越える主じゃない収入があるなら確定申告は必要です。
やらないとどうなるの?という質問に国税庁は「申告漏れが分かったら追徴金もらいますからね!」と威圧的。実際には「バレたらって話だよね〜」と申告しない人も多いようですが気持ちの問題なので該当すると思ったら納税義務は果たしましょう。気持ちよく生きていくためには清廉潔白が一番です。
とはいえ、導入されたマイナンバー制度で今後はこうした「漏れ」は無くなる方向なのでしょう。それならソレでこーゆー七面倒くさい作業はもう主婦にやらせないでね、というのが今一番の私の願い ^^;
確定申告、そんな時代もあったな〜と過去の遺物になる予感がしながら備忘録おわり。
2016年2月4日木曜日
映像の整頓
さてさて備忘録。前回もちらりと書きましたが、主婦にもできるお役立ち情報として動画の編集について書いちゃったりなんかして。
古くは家庭用ビデオカメラで収録された動画のビデオテープなんて遺物(しかもウチはβ式だった←今や若者には何のことかさっぱりでござるね)をコツコツとDVDに焼き直したりして生きてきましたが、メディアはどんどん変換をとげるしで半ばヤケクソ気味に録りためたDVDを放置してきました。でもご存知ですか?DVDはビデオテープと同じく永遠に残せるものではありません。必ず劣化して情報を取り出せなくなる日がやってきます。そのため定期的にチェックをしてはバックアップを取るようにいたしましょう。ついでに編集加工すればデータ量のスリム化も図れます。
いつものごとく前置きが長くなりました。今からDVDをPCに取り込んで、動画編集して、新たなDVDに焼き付ける作業の備忘録が始まるよ〜!
リッピング
DVDのデータをPCに取り込む作業。ディスクを入れたら通常プレイヤーが自動で立ち上がりますが、この時画像を小さくしてPCディスプレイ(デスクトップ画面)を出してDVDアイコンを複製するなり新規フォルダに取り込むなりします。なんだかうまく行かないなんて時は「リッピングソフト」なんてものを活用してみましょう。リッピングで検索けんさく!
コンバート
取り込んだデータを最適な形式に書き換えます。無料ソフトが出回ってると思うので検索けんさく!私は「Hand break」のお世話になりました。
最初に取り込まれたデータはAUDIO-TSとVIDEO-TSという二つのフォルダで現れます。AUDIOは空なので無視。VIDEOフォルダに入ってる「 .VOB」が目的の動画部分。これを使用する編集ソフトの形式(各自確認してね)に書き換える。たいていは.MPEG(.mp4とか.m4vとか)で対応可能のはずです。
コンバートソフトを起動して目的の.VOBファイルを指定、設定はBasic ノーマル(この辺はお好みで)、最後に変換開始をクリッック!容量によってはかなり時間がかかるので気長にいきましょう。
コンバート終了すると指定しておいた保存先に.MPEGファイルが出現。このファイルを編集ソフトに取り込んで切ったりハッタリいたしましょう。編集ソフトはiMovie が好きでしたがマシンのアップデートをすると標準装備から外れちゃうらしいのでただいま思案中。
バーニングまたはライティング
できあがった編集動画をDVD-Rに焼きますよ。PCに標準装備されていない場合はソフトを探してきましょう。検索けんさく!私はiDVDで焼いたものですじゃ。
と、その前にDVDのための形式変換=共有化が必要です。編集ソフト内、あるいはバーニングソフト内に共有化というコマンドがあるはずなので処理してください。これも結構時間がかかりますのでお覚悟を。
一般的なDVD-Rは片面一層式で容量は4.7GB。文字情報なんかを入れちゃうと100分が限度です。片面二層式なら容量は8.5GB。文字を入れても140分といったところでしょうか。家庭用ビデオカメラ映像で2時間って、映ってる本人にしても拷問に近いものがあるからチャプターを入れたり、適度に短く切り上げたりして楽しい編集ライフをお送りください。
てなわけで、駆け足でしたが備忘録おしまい。
古くは家庭用ビデオカメラで収録された動画のビデオテープなんて遺物(しかもウチはβ式だった←今や若者には何のことかさっぱりでござるね)をコツコツとDVDに焼き直したりして生きてきましたが、メディアはどんどん変換をとげるしで半ばヤケクソ気味に録りためたDVDを放置してきました。でもご存知ですか?DVDはビデオテープと同じく永遠に残せるものではありません。必ず劣化して情報を取り出せなくなる日がやってきます。そのため定期的にチェックをしてはバックアップを取るようにいたしましょう。ついでに編集加工すればデータ量のスリム化も図れます。
いつものごとく前置きが長くなりました。今からDVDをPCに取り込んで、動画編集して、新たなDVDに焼き付ける作業の備忘録が始まるよ〜!
リッピング
DVDのデータをPCに取り込む作業。ディスクを入れたら通常プレイヤーが自動で立ち上がりますが、この時画像を小さくしてPCディスプレイ(デスクトップ画面)を出してDVDアイコンを複製するなり新規フォルダに取り込むなりします。なんだかうまく行かないなんて時は「リッピングソフト」なんてものを活用してみましょう。リッピングで検索けんさく!
コンバート
取り込んだデータを最適な形式に書き換えます。無料ソフトが出回ってると思うので検索けんさく!私は「Hand break」のお世話になりました。
最初に取り込まれたデータはAUDIO-TSとVIDEO-TSという二つのフォルダで現れます。AUDIOは空なので無視。VIDEOフォルダに入ってる「 .VOB」が目的の動画部分。これを使用する編集ソフトの形式(各自確認してね)に書き換える。たいていは.MPEG(.mp4とか.m4vとか)で対応可能のはずです。
コンバートソフトを起動して目的の.VOBファイルを指定、設定はBasic ノーマル(この辺はお好みで)、最後に変換開始をクリッック!容量によってはかなり時間がかかるので気長にいきましょう。
コンバート終了すると指定しておいた保存先に.MPEGファイルが出現。このファイルを編集ソフトに取り込んで切ったりハッタリいたしましょう。編集ソフトはiMovie が好きでしたがマシンのアップデートをすると標準装備から外れちゃうらしいのでただいま思案中。
バーニングまたはライティング
できあがった編集動画をDVD-Rに焼きますよ。PCに標準装備されていない場合はソフトを探してきましょう。検索けんさく!私はiDVDで焼いたものですじゃ。
と、その前にDVDのための形式変換=共有化が必要です。編集ソフト内、あるいはバーニングソフト内に共有化というコマンドがあるはずなので処理してください。これも結構時間がかかりますのでお覚悟を。
一般的なDVD-Rは片面一層式で容量は4.7GB。文字情報なんかを入れちゃうと100分が限度です。片面二層式なら容量は8.5GB。文字を入れても140分といったところでしょうか。家庭用ビデオカメラ映像で2時間って、映ってる本人にしても拷問に近いものがあるからチャプターを入れたり、適度に短く切り上げたりして楽しい編集ライフをお送りください。
てなわけで、駆け足でしたが備忘録おしまい。
2015年9月13日日曜日
節制3&愚者のカード
いきなり解決編〜まじかるマジか〜
前回「答えは数年後には出てるでしょう」なんて悠長ブッコイた私でしたが、もう出てますよ、答え。話が突然チャラになることも考えられる職場という私の読みが的中です。
以下は愚痴と渾然一体となった状況説明。
以下は愚痴と渾然一体となった状況説明。
あらすじ または伏魔殿編
転職して派遣スタッフとして不思議ちゃん上司(仮に小某方氏と呼びます)の下についた私。彼女との会話の噛み合わせの悪さには初日から手を焼いていた。
その気持ちはお互い様だった様で勤め始めて2ヶ月ほどで小某方氏から派遣会社にクレームが来た。曰く、「アノ人には能力が無いぷんすか」。
会社は私を呼び出して聞き取り調査をした結果、「小某方氏の方に能力がないっぽい」という判断をしてくれた ^^; ←いやだってモウ、本当に小某方氏の実験ド素人っぷりは凄かったんだから
結局、契約続行については私の意志が尊重されたため私は前述のように「ネタとしてはオモロいから…」という安直な理由&数ヶ月でヘコたれるのは私のポリシーに反したので何とか踏みとどまった。意味不明な痛み分け方式で私は減給処分を受け小某方氏のプライドpを保ちつつ、かつ彼女の実験にはその後煩わされることなく仕事を続けることになった。
転回 または白い虚塔編
そこに降って湧いた私の直接雇用の話。その間、小某方氏は医局長の役職をお役御免になり医局スタッフから外されていた。ある意味一つの形勢逆転。
この状況を小某方氏は沽券に関わるとでも思ったか、驚きの妨害行動に出た。彼女は面接会場に現れて教授の横に陣取ってしまったのだ(これは有り得ない事なのだが現医局長は押し出されて私の隣に腰掛けた^^; )。
ここに至るまでに白い巨塔の内々では様々な謀略合戦が繰り広げられていたようですが、部外者の私にとって、それはまた別のお話。最終的に教授は小某方氏の提案を受け入れて直接雇用は別の人を雇う運びとなった。
以前から小保方チック(本家)な所業について問題視する動きもあり、今回の事案が決定打となって小某方氏は巨塔から追放されるという見解もあるようですが、それも私には関係ない話なのでこの際どーでもいい。
これじゃ〜まるで小某方氏と刺し違えるために送り込まれた刺客みたいに終わった私の巨塔人生。どうせならメリーポピンズ?! みたいに爽やかに行きたかったな〜、としみじみ。滞在期間は「風が変るまで」。それもまた良し。それなりにオモロいものを見せてもらったので文句は言わずに次に参るといたします。幸い、次の就業先もさっくり決まったので脱出成功と考えることにいたします。
ではお待たせ、タロットカードの時間です。今回注目するのは愚者。助言をもたらした愚者の逆位置は実に読み取りづらかったんですよね〜。
行動を表した剣ペイジ逆位置の「不快な風を正視する」に従って、直接雇用の面接を受けたのは正解でした。「私の仕事の最終地点はココじゃ無いわ」という決断材料にはなった。←負け惜しみじゃないよ!^^
愚者の逆位置には「読みの甘さ」との意味もあり、今回はつくづくコレであったかな〜と。まさかあそこで忘れてた小某方さんがお出ましになるとはお釈迦さまでも知るまいよ。まあ、知ってたところで手を打つことなど不可能でしたが。
正位置での愚者は「無邪気、向こう見ず、本能からの行動」。逆位置はこれらが阻害されているよ、という警告として読むべきだったのかもしれません。すなわち、「警戒しすぎ、考えすぎ、本能的行動が取れてないよ」という警告。事実、本能は「あそこはイヤや〜」と叫んでいたのに、色々考えてあそこに残ろうとする判断に傾いたのだから。←いや、そもそもタロットを見てそういう判断に傾いたわけなんだけどさ。
逆位置の読み方はまっこと難しい。解説本で逆位置についての解釈を読んでシックリこない時は、正位置の意味を読み取り「現在それらが阻害されている」と受け止める方法も有効、かな。
転職して派遣スタッフとして不思議ちゃん上司(仮に小某方氏と呼びます)の下についた私。彼女との会話の噛み合わせの悪さには初日から手を焼いていた。
その気持ちはお互い様だった様で勤め始めて2ヶ月ほどで小某方氏から派遣会社にクレームが来た。曰く、「アノ人には能力が無いぷんすか」。
会社は私を呼び出して聞き取り調査をした結果、「小某方氏の方に能力がないっぽい」という判断をしてくれた ^^; ←いやだってモウ、本当に小某方氏の実験ド素人っぷりは凄かったんだから
結局、契約続行については私の意志が尊重されたため私は前述のように「ネタとしてはオモロいから…」という安直な理由&数ヶ月でヘコたれるのは私のポリシーに反したので何とか踏みとどまった。意味不明な痛み分け方式で私は減給処分を受け小某方氏のプライドpを保ちつつ、かつ彼女の実験にはその後煩わされることなく仕事を続けることになった。
転回 または白い虚塔編
そこに降って湧いた私の直接雇用の話。その間、小某方氏は医局長の役職をお役御免になり医局スタッフから外されていた。ある意味一つの形勢逆転。
この状況を小某方氏は沽券に関わるとでも思ったか、驚きの妨害行動に出た。彼女は面接会場に現れて教授の横に陣取ってしまったのだ(これは有り得ない事なのだが現医局長は押し出されて私の隣に腰掛けた^^; )。
ここに至るまでに白い巨塔の内々では様々な謀略合戦が繰り広げられていたようですが、部外者の私にとって、それはまた別のお話。最終的に教授は小某方氏の提案を受け入れて直接雇用は別の人を雇う運びとなった。
以前から小保方チック(本家)な所業について問題視する動きもあり、今回の事案が決定打となって小某方氏は巨塔から追放されるという見解もあるようですが、それも私には関係ない話なのでこの際どーでもいい。
これじゃ〜まるで小某方氏と刺し違えるために送り込まれた刺客みたいに終わった私の巨塔人生。どうせならメリーポピンズ?! みたいに爽やかに行きたかったな〜、としみじみ。滞在期間は「風が変るまで」。それもまた良し。それなりにオモロいものを見せてもらったので文句は言わずに次に参るといたします。幸い、次の就業先もさっくり決まったので脱出成功と考えることにいたします。
ではお待たせ、タロットカードの時間です。今回注目するのは愚者。助言をもたらした愚者の逆位置は実に読み取りづらかったんですよね〜。
行動を表した剣ペイジ逆位置の「不快な風を正視する」に従って、直接雇用の面接を受けたのは正解でした。「私の仕事の最終地点はココじゃ無いわ」という決断材料にはなった。←負け惜しみじゃないよ!^^
愚者の逆位置には「読みの甘さ」との意味もあり、今回はつくづくコレであったかな〜と。まさかあそこで忘れてた小某方さんがお出ましになるとはお釈迦さまでも知るまいよ。まあ、知ってたところで手を打つことなど不可能でしたが。
正位置での愚者は「無邪気、向こう見ず、本能からの行動」。逆位置はこれらが阻害されているよ、という警告として読むべきだったのかもしれません。すなわち、「警戒しすぎ、考えすぎ、本能的行動が取れてないよ」という警告。事実、本能は「あそこはイヤや〜」と叫んでいたのに、色々考えてあそこに残ろうとする判断に傾いたのだから。←いや、そもそもタロットを見てそういう判断に傾いたわけなんだけどさ。
逆位置の読み方はまっこと難しい。解説本で逆位置についての解釈を読んでシックリこない時は、正位置の意味を読み取り「現在それらが阻害されている」と受け止める方法も有効、かな。
2015年9月6日日曜日
節制2&金貨スート
リーディング編〜前回の続き〜
上記3枚は心構えを見たので、後半3枚で実践にどう反映させるか考えて行きます。必要なアプローチがカップキング。方向性は金貨エース。行動は剣ペイジの逆。
リーディングを始める前は本当にどちらを選択したら良いかわからず途方にくれていた。感情的に「(直接雇用を)だが、断る!」と言いたい気持ちが強かったのも事実。それは仕事を放り出すことを意味するのでなかなか決断が下せなかった。
しかしリーディングを続けるうちに「今の職場に残る方向に傾倒した読み」を自分が始めたことに気がついた。本能的にはメチャクチャ拒否っているのだけど、この警戒心や慎重さを忘れずに今の場所で頑張ってみてもいいのかな?なんて気持ちが芽生えだす。剣のペイジの逆位置は不快な風を正視するという意味も持っている。以前、旧上司とゴタついた時に「職場としては最悪だけど、ネタとしてはオモロイからもうちょっと頑張ってみるか」という判断をしたことを思い出し、スパイのつもりで現職場への潜入続行だ!
さてこのリーディング、吉と出るか凶と出るか。答えは数年後にはわかっているでしょう。ということで備忘録メモメモ。
今現在は金貨の象徴を通して真摯に世界を見つめている金貨のクィーン。「あるがまま、為すがまま」な状態で、物質的幸福がココにあることを認知している。しかしもう一つの選択は自分の心の声(この職場はエゲツないわ〜という声)に神経を研ぎすまそうとしている。ここから見えるのは客観的に見れば未練が残り、本能的には危機感がつのる今の職場に対する揺れ動く気持ち。未練と危機感、どちらに従うべきか?
中庸の道として金貨9は、自分がしてきたことの達成やプロジェクトの完成を提示。状況から考てコレが意味するのは「今回の選択が自分のキャリアの集大成なり終着点になる」ということを念頭に道を選べ。他所へ移るにしても今の場所で踏ん張るにしても、年齢的にコレが最後の変革になりそう。その覚悟で選びたい。
上記3枚は心構えを見たので、後半3枚で実践にどう反映させるか考えて行きます。必要なアプローチがカップキング。方向性は金貨エース。行動は剣ペイジの逆。
開かれた楽園の金貨エースは、豊かな土地から出てゆくも停まるも実は自由自在であることを示唆。また、激情を持ちながらも王としての責務で静かに構える人物(責任感の人)のカップキングは私に感情的に行動しないよう警告しているように取れる。
さて剣のペイジはここに至って初めて出た逆位置のカード。慎重に後ろをうかがい、時にスパイを表すカードが示唆する私のとるべき行動は?解釈本によれば「不安からくる攻撃的行動、あるいは信頼できる人とリラックスすることを学ぶ」とある。どちらの意味かは他のカードとの関連で読めとある。ふむ…わからん。
さて剣のペイジはここに至って初めて出た逆位置のカード。慎重に後ろをうかがい、時にスパイを表すカードが示唆する私のとるべき行動は?解釈本によれば「不安からくる攻撃的行動、あるいは信頼できる人とリラックスすることを学ぶ」とある。どちらの意味かは他のカードとの関連で読めとある。ふむ…わからん。
おまけカードの助言を見れば愚者の逆位置は「警戒、行動前の計画、本能から繋がれなくなっている」…むむむ?
リーディングを始める前は本当にどちらを選択したら良いかわからず途方にくれていた。感情的に「(直接雇用を)だが、断る!」と言いたい気持ちが強かったのも事実。それは仕事を放り出すことを意味するのでなかなか決断が下せなかった。
しかしリーディングを続けるうちに「今の職場に残る方向に傾倒した読み」を自分が始めたことに気がついた。本能的にはメチャクチャ拒否っているのだけど、この警戒心や慎重さを忘れずに今の場所で頑張ってみてもいいのかな?なんて気持ちが芽生えだす。剣のペイジの逆位置は不快な風を正視するという意味も持っている。以前、旧上司とゴタついた時に「職場としては最悪だけど、ネタとしてはオモロイからもうちょっと頑張ってみるか」という判断をしたことを思い出し、スパイのつもりで現職場への潜入続行だ!
さてこのリーディング、吉と出るか凶と出るか。答えは数年後にはわかっているでしょう。ということで備忘録メモメモ。
そもそも直接雇用の話が突然チャラになることもじゅうぶん考えられる職場なんでね。この先どうなる事やら、やれやれだわさ。ぷぅぷぅ。
で、今回のリーディングで一番目を惹いたのが金貨9。
金貨のスートは財産や仕事を表している。レイチェル-ポラックによるとエースから4にかけて着実に築き上げられた財やキャリアは5に至って失われ(あるいは見失い)→6新たな協力や援助を得て→7再考、再構築の時を迎え→8堅実に研鑽を重ねられる。今回出た金貨9にはこうした喜びや苦労を経て一つの達成、到達点の庭に至った女性が描かれる(その後の10において再び何かを見落とす示唆があるんですが…)。
乗るか反るかの選択に汲々としていた私に中庸の道として「そろそろ人生(仕事)の完成を意識しなさい」という金貨(仕事スート)のお告げ。少なくとも私はそう解釈した。新しい視点を取り入れることで、行き詰まった思考に次のひらめきを与える瞬間でした。決断そのものはあくまでもその人、個人が決めるもの。タロットリーディングはかくありたいものです。
乗るか反るかの選択に汲々としていた私に中庸の道として「そろそろ人生(仕事)の完成を意識しなさい」という金貨(仕事スート)のお告げ。少なくとも私はそう解釈した。新しい視点を取り入れることで、行き詰まった思考に次のひらめきを与える瞬間でした。決断そのものはあくまでもその人、個人が決めるもの。タロットリーディングはかくありたいものです。
2015年8月30日日曜日
節制のリーディング
![]() |
| 節制のカード |
禁酒の意味も併せ持つ節制のカードは天使が二つのカップから摩訶不思議な方法で中の液体を移し替えている絵柄。この天使は大天使ミカエルであるという説もあり、守護天使占いによればミカエルの庇護を受けてる私としては何とも気になるカード。
Temper (気質)のbarrance (調和)だなんて、すぐカッとなって破滅的行動をとる私には身につまされる戒め。エネルギーと行動のバランスが要求される『難しい選択や矛盾した状況の中に在る人』にとって有用なスプレッドと、見知りおきください。
![]() |
| 節制のリーディング |
1 現在の状況
2 もう一つの選択肢
3 中庸の可能性
4 必要なアプローチ
5 必要な方向性、エネルギーの流し方
6 必要な行動、働きかけ
7 カードからの助言※お好みで追加
では不肖私めの課題「半年目の転職!」を例に読み解いて参ります。そうです、今回の記事はまたしても仕事の愚痴でござんす^^;
今までのあらすじ
今年始めにタロットに背中を押されて転職を決行した私。過去にお世話になった派遣会社の仲立ちでめでたく新生活を開始する。しかし常識と良識に欠ける新職場のやり方には不安と不満がつきまとう。そんな檻、おっと誤字だが意外としっくり もとい、そんな折り職場から契約期間終了後に直接雇用で来ないかという話を持ちかけられる。(←このやり方が狡っ辛くて正直引いた。コレ愚痴ね)
期間終了後は派遣で別の新天地を探した方がいいのか、直接雇用で今の仕事を極めた方がいいのか。も〜、どうしたらいいのかわかりません。
次回、上記のスプレッドを俺式解釈で読み解いてゆきます。お楽しみに〜
2015年5月14日木曜日
デス、ですね
タロットカードの1枚を掘り下げる企画。シリーズ化するつもりはなかったけれど、今回は13番目のカード「Death=死」でござんす。
転職を決めた時、やたらタロットが背中を押してくれやがったのにフタをあけたら医に交わったばかりに朱くなったりアカンくなったり、散々な目にあう日が続いておりました。「これってば、どーゆーことなのよ!」とタロットをめくったところ、出て来たカードが「デス」でした。
ライダー的には新しい可能性に導く意味を持ち、あるいは恐れず何かを手放すことを示すカード。古来「死はすべてを奪い去る」という絵柄が用いられてきたこのカードはライダー版に於いては少し違うニュアンスが込められている。即ち、ある種の死(終焉)を前にして4人の人物がそれぞれ違う対応をしているところが描かれている、というのだ。
権力に固執し変化を受け入れなかった王はすでに倒れ白馬の下に横たわる。
恐れから目をそらしている乙女の瞳はこれからも何も見ようとはしない。
法衣を纏った司教は知恵と伝統の象徴であり、新たな局面に対峙しそれを乗り越える。
そして無垢な子供は曇りなきまなこで起きていることを見つめる。
カード左に描かれた舟は死が古きから新しきへ移ることを表し、またカード右に書かれた太陽を挟んで並び立つ門柱は「月」のカードそのものである。ちなみに「18月」は「17星」と「19太陽」のカードの間に挟まれたいわば産道のようなもの。安寧を象徴する星(母体)から光あふれる太陽(生誕)の間には、ミステリアスで時に狂気を孕む月(産道)が横たわりこれは避けては通れぬ場所なのである。しかしそこを抜けたものには新たな生が約束されている。
私に課された命題は「今まで培ってきた経験や業績に固執することなく、しかしながら積み重ねてきたものを己の力として現状に向き合い乗り越えてゆけ!目をそらすでなく、偏見を持つこともなく」とまあ、そんな事でしょうか。それが新しい自分をもたらす、と。
へー、へー、そんじゃまあ一つ、そんな感じで頑張ってみましょうかね。
ちなみに敬愛するクマのカードの格言は
「損失には精神的に得るものがある」「新しい経験に心開けよ」
あらま、クマとしては随分と月並みじゃな〜い?ぷぅぷぅ
なんて、やさぐれた感じで今月も頑張りまっす。
転職を決めた時、やたらタロットが背中を押してくれやがったのにフタをあけたら医に交わったばかりに朱くなったりアカンくなったり、散々な目にあう日が続いておりました。「これってば、どーゆーことなのよ!」とタロットをめくったところ、出て来たカードが「デス」でした。ライダー的には新しい可能性に導く意味を持ち、あるいは恐れず何かを手放すことを示すカード。古来「死はすべてを奪い去る」という絵柄が用いられてきたこのカードはライダー版に於いては少し違うニュアンスが込められている。即ち、ある種の死(終焉)を前にして4人の人物がそれぞれ違う対応をしているところが描かれている、というのだ。
権力に固執し変化を受け入れなかった王はすでに倒れ白馬の下に横たわる。
恐れから目をそらしている乙女の瞳はこれからも何も見ようとはしない。
法衣を纏った司教は知恵と伝統の象徴であり、新たな局面に対峙しそれを乗り越える。
そして無垢な子供は曇りなきまなこで起きていることを見つめる。
カード左に描かれた舟は死が古きから新しきへ移ることを表し、またカード右に書かれた太陽を挟んで並び立つ門柱は「月」のカードそのものである。ちなみに「18月」は「17星」と「19太陽」のカードの間に挟まれたいわば産道のようなもの。安寧を象徴する星(母体)から光あふれる太陽(生誕)の間には、ミステリアスで時に狂気を孕む月(産道)が横たわりこれは避けては通れぬ場所なのである。しかしそこを抜けたものには新たな生が約束されている。
私に課された命題は「今まで培ってきた経験や業績に固執することなく、しかしながら積み重ねてきたものを己の力として現状に向き合い乗り越えてゆけ!目をそらすでなく、偏見を持つこともなく」とまあ、そんな事でしょうか。それが新しい自分をもたらす、と。
へー、へー、そんじゃまあ一つ、そんな感じで頑張ってみましょうかね。
ちなみに敬愛するクマのカードの格言は
「損失には精神的に得るものがある」「新しい経験に心開けよ」
あらま、クマとしては随分と月並みじゃな〜い?ぷぅぷぅ
なんて、やさぐれた感じで今月も頑張りまっす。
2015年5月7日木曜日
医に交われば朱くなる
泣き言は言わないとか書いてたら、すっかりブログから遠ざかってしまいましたよ、と。今回は前回に引き続いてしょっぱい話だ、コンニャロメ(^^;)
医者が医者になるために、とてつもない努力や苦労を要してきたことは想像に難くない。そしてまた、真面目に取り組む医師ほど多忙を極め大変な労力を注いで日夜励んでいることも知っている。本当に大変な仕事であることは認める。
しかしあえて言おう「医者だからエライんだ」というのは間違った考えである。
突然ですが、私が知っている医者の奥様は大別すると2系列。医者妻になりたくて努力してなった系統と、結婚相手がたまたま医者だった系統の2つ。
前者はある意味、夢を実現させた成功者。自信にあふれ自分の幸せな人生を疑わない。これが悪く作用すると、それ以外の幸せ、即ち医者以外の奥様の幸せをあまり信じてくれない^^。
対する後者は至って自然体。ある意味リーマン妻とメンタルでは一緒。夫に人並みに感謝も不満も持ち合わせ、家庭の愚痴で異業種間でも奥様同士の会話が普通に成立する。
女目線で「妻」に着目したけれど、実はこれお医者そのものにも通じるところがある話。即ち、なりたくて努力して医者になり自分を人生の成功者と思い込んだ医者は他の立場の者を勝手に敗者と見なした振る舞いを天然でやらかす。
実際には看護師、事務、出入り業者、時には患者(?!)など、周囲の人達からありとあらゆるお膳立てを揃えてもらわないと、実は何一つ出来ないという医者も居るのが現状(大病院にはその傾向あり)。にもかかわらず医者というだけで「僕は君達より上」というポジションを疑いもせず他者に対して振る舞えてしまうメンタルは到底凡人は持ち合わせない感覚だ。これは頑張りすぎて「頭いいけど頭おかしくなった人」と言わざるを得ない。
医師という仕事にきちんと向き合っている人なら、チームが一丸となって病いと向き合っていることを理解しているのでどんな立場の人とでも円滑に仕事を回していくことができる。医者だからエライのではない、どんな仕事だってその仕事に真摯に向き合う人が尊いのだ。
さて凡人ならざるメンタルを、至近にして働くことと相成った私の今後の運命にご期待ください。しょっぺーな〜、もう
医者が医者になるために、とてつもない努力や苦労を要してきたことは想像に難くない。そしてまた、真面目に取り組む医師ほど多忙を極め大変な労力を注いで日夜励んでいることも知っている。本当に大変な仕事であることは認める。
しかしあえて言おう「医者だからエライんだ」というのは間違った考えである。
突然ですが、私が知っている医者の奥様は大別すると2系列。医者妻になりたくて努力してなった系統と、結婚相手がたまたま医者だった系統の2つ。
前者はある意味、夢を実現させた成功者。自信にあふれ自分の幸せな人生を疑わない。これが悪く作用すると、それ以外の幸せ、即ち医者以外の奥様の幸せをあまり信じてくれない^^。
対する後者は至って自然体。ある意味リーマン妻とメンタルでは一緒。夫に人並みに感謝も不満も持ち合わせ、家庭の愚痴で異業種間でも奥様同士の会話が普通に成立する。
女目線で「妻」に着目したけれど、実はこれお医者そのものにも通じるところがある話。即ち、なりたくて努力して医者になり自分を人生の成功者と思い込んだ医者は他の立場の者を勝手に敗者と見なした振る舞いを天然でやらかす。
実際には看護師、事務、出入り業者、時には患者(?!)など、周囲の人達からありとあらゆるお膳立てを揃えてもらわないと、実は何一つ出来ないという医者も居るのが現状(大病院にはその傾向あり)。にもかかわらず医者というだけで「僕は君達より上」というポジションを疑いもせず他者に対して振る舞えてしまうメンタルは到底凡人は持ち合わせない感覚だ。これは頑張りすぎて「頭いいけど頭おかしくなった人」と言わざるを得ない。
医師という仕事にきちんと向き合っている人なら、チームが一丸となって病いと向き合っていることを理解しているのでどんな立場の人とでも円滑に仕事を回していくことができる。医者だからエライのではない、どんな仕事だってその仕事に真摯に向き合う人が尊いのだ。
さて凡人ならざるメンタルを、至近にして働くことと相成った私の今後の運命にご期待ください。しょっぺーな〜、もう
登録:
投稿 (Atom)


