いらっしゃいませ

にほんご べんきょう してきて ください
いらっしゃいませ。ずっと試運転中です。予告なく変更しまくるつもりが仕様変更については手付かずです。

2014年12月26日金曜日

けーきだよ!全員集合。

こ理屈回した長文記事が続いたので、今回は短文目指します。お題はクリスマスケーキの感想文で毎度お馴染み流浪の巨人、ガルガンチュワのケーキレポです。
バタークリームはほのかなコーヒー味
サンタさんのつぶらな瞳と目があう
 このブッシュドノエルが初登場したのは3年前。一目惚れでした。んじゃ、なんで3年も我慢して買わなかったの?と聞かれるとその説明に長文を要するから、その話は割愛!^^; とにかく3年越しの恋慕を実らせてブッシュドノエル、げっとだぜ!
横っちょ
切り口はアプリコットジャム?でコート
土台部分はクッキー生地。美味しい上に厚みがあって食べ応えがあるのが嬉しい。マカロンは子供に譲ったので無念の食べ損ね。期待してなかったサンタの砂糖菓子は意外と美味しかった。砂糖というより飴細工な感じで、柔らかな舌触りがある。さらし飴のような千歳飴のような…硬さも含めて 羽一衣 が一番近いかな。キノコのメレンゲ菓子も、いの一番に口にした子供が「あ!これ美味しい」と声をあげるくらいハイクオリティ。さすがはガルガンチュワ。どこにも手抜きがない。
主張が強くなりがちなバタークリームは絶妙な薄さのコーティングにして控えめな味。ほのかな珈琲味が、昭和のケーキを思い出させる。色味をつけるために、あの頃は珈琲がよく使われてたものでござんす。そして一番感心したのはスポンジ生地の食感。柔らかさの中に適度な弾力があって、これに近い食べ物がすぐに脳裏に浮かんだ。それは私の大好きなユーハイムのバウムクーヘン!もう圧倒的じゃないか!巨人め、生地にマジパンを入れこんだな?えときにも書いたけどロール部分を見せる切り口には酸味の効いたアプリコットジャムが塗られている。味に変化がついて良いのだろうけど、私には酸味が強かった。ここにアプリコットを使うのであれば、次回はクリームもスポンジもチョコ系にしてザッハトルテ風のバージョンがあると楽しいかも。
また来年も食べられるかな?

写真じゃ伝えられない美しきチョコ
さて、おまけは今回とは別口に買ったガルガンチュワの限定品、竹鶴21年モルトを使用した「ボンボン ショコラ ピュア」の写真で今年一年のお別れを。チョコレートの美味しさが際立つ、ウィスキーが苦手な人でもお酒の雰囲気を楽しめるチョコでした。なによりも、そのいでたちの美しいこと。今から来年のバレンタインデーが楽しみです。
と、鬼に笑われながら今年も一年、ありがとうございました。来年も良い年でありますように。

2014年12月19日金曜日

コスパの話2

まだまだつつくよ、コスパの話。CP(コストパフォーマンス)は悪いよりは良いに越したことはないけれど、対価に見合うものを出してもらえるのが一番嬉しい。そこに付随した何か(心遣いとかちょっといい話)があると、それがトクした気分として心を満たす。お得感とは本来そういうものでありたいと勝手ながら思うのであります。
安くて美味しいもんをお出ししますぜ!というお店と、値段は張る分それに見合う美味しいものをご用意しますというお店は対極にあるように見えて目指しているものは同じだ。共通するのは「人に喜ばれる仕事をしたい」という気持ち。この気持ちがあるお店、商品こそが本当の「対価以上のお得なお買い物」ではないでしょうか。
これらの対極にあるのが「自分が儲かる仕事をしたい」という気持ち。その行き過ぎた形態が、客にわからぬように対価に見合わないものをしれっと出すような事態を引き起こす。

さて安くて美味しい店が良いお店というのは誰にもわかりやすく重宝され易いが、こと値の張る店になると評価は大きく分かれがち。値段が高いから良いに違いないという盲信派や、高けりゃ良いってもんじゃねーよという懐疑派と、嗜好の問題も絡まって人によって言うことはバラバラ。そもそもどうしてこんなにも価格帯に差が開くものなのか。安ければ本当にお得なのか?高ければ本当にウマいのか?ということで前回写真のえときでちらりと予告した価格帯の違う天麩羅屋食べ比べ録の始まりはじまり〜。

何故、天麩羅?たまたまデス。ハレの日飯をとる機会がありまして、その時になんとなしに普段は縁遠い天麩羅屋をチョイス。ハレの日プライスということで最安のランチコースが6,000円〜という老舗のお店に初突撃(天丼なら4,000円内)。
そのイベントの数日後に街へ出て昼食をとる機会があり、これは食べ比べのチャンスとばかりに天麩羅をチョイス。こちらも老舗だが先だってのお店ほど敷居は高くない。昼のコースが2,000円〜で夜のコースでも2,500円〜という落ち着いた価格帯。ちなみに天丼は1,400円〜。ハレの日でもないのに、まずまずの贅沢ランチ。

価格帯の違いがお店にいかほどの差異を出すものか、あるいは差異など幻か。そしてまた素人の自分が違いを感じ得るものなのかどうか。試してガッテンだっ!
仮にお高い天麩羅を一、落ち着き価格の天麩羅を八といたしましょう。仮にね!(^^;)
一も八も調理カウンターとテーブル席、奥には座敷が用意された純然たる天麩羅屋。
その日居合わせた客層は、一がビジネスを含む外国人接待が多く見受けられ八はお金持ち風味の品の良い高齢者、しかも何故かお一人様が多く見受けられた。ちなみに両方とも平日ランチタイム。んで、気になる内容は…。
素材の違い
一は値段相応に良い食材がふんだんに用意されている。八は素材によって品質にややバラツキあり。目玉となる食材に張り込んで他は添えモノで…という感じがなきにしもあらず。全品全力投球という一に比べたら、という話なので念のため。普通に八に入店して食べる分には、決して気にかかるほど遜色あるモノが出ているわけではありません。相手が悪かったな〜、八。
そんな八に朗報だ。高い食材が全てにおいて美味しいか?と言われるとそんなことはなくて、八の方が美味しい食材もありました。エビは食材の違いが歴然として一の勝利。揚がった姿も美しく、とても美味しかったです。しかしかき揚げの小エビは八の方に軍配。また一のキスやワカサギを食べた時に思ったのですが、柔らかくて身が美しく、高級なのは間違いないのですが高級品にありがちな淡い味わいに物足りなさを感じてしまう。この淡さこそが食材のキモなのだとしても、庶民の私としては食べ慣れた味に近づくためにもうちょっと臭みがあってもよろしくてよ…とこれは個人的な好みの問題。
技量の違い
技量は一定ラインを越えれば全て「おいしい」のひとくくりで、どちらも美味しく揚がってました。美味しければそれで十分なので技量の良し悪しは正直わかりません。ただ一つ付け加えるならば、薄衣に揚げる一の天麩羅は美しかった。技量の問題か素材の違いかはわからねど、一は油も良かったです。
文字通り舌を巻いたのは一の〆に出てきた天茶漬け。これがとても美味しかったのです。八で二十年前に天茶を頂いた時は「美味しいけど好みじゃないな〜」と思って以来口にすることのなかった天茶ですが、今回の天茶はハッとするほど美味しかった。年取って好みが変わったといわれればそれまでですが、何よりもその調和の取れ方にほれぼれした。かき揚げ、お茶(出汁ではなかった)、海苔、わさび。どれか一品でも主張が強かったら台無しになっていた、という程の見事に連携の取れた優れた一碗で美味しいよコレ!「これを食べにまた来たい」と思わせる品目がある店は強いと思います。
まとめ
若い頃に聞いた話だ。どこやらの高級天麩羅の店は揚げ油は3人前ほど揚げたら奥へ下げて次々と新しい油を出して使うという。当時「そんなムダなことはしてくれなくていいやぃ」と思ったもの。けれど人生経験を積んだ今は新(さら)な油を纏った揚げ物の屹然とした味の違いがわかるから、その行き過ぎとも思えたサービスの持つ価値もわかるようになった。普段の食事だったら「あたしゃ二番煎じ三番煎じでよござんすよ」と思えても、例えば誰か大切な人に本当に美味しいものを食べさせてあげたいと思った時に、こうしたサービスをする店があるのは心強い。「見えない所にあるサービス」とは他所の人のブログで読んだ話だが、デザートチーズを供するある店ではベストな状態のチーズを出すために表に出る以上の沢山のチーズを奥にストックしている。メニューに出してないチーズでも「あれが食べたい」と言えばさっと奥から出せる。その表側に見えていない奥側での万全の体制作りこそが「おもてなし」ということだ。
見えない場所でのおもてなしを維持するためにコストは高くなる。高級店の価格帯の差異は本来そうした所にある。自分が直接的に受けたサービスにだけ着目して「CP悪いじゃんよ」と思うか、細部にわたる維持あればこそ「総合的に良いサービスを受けられる」と納得できるかどうかは利用者次第。かように高い価格設定には理由がある。というか、理由もないのにバカ高い設定をするような店は早晩消える。高い店に入るなら潰れずに続いてる店を選びましょう。
さて一方、安い店は見劣りするか?と問われれば比較すれば値段相応の差はどうしても出る。しかし味が劣るか?と問われればそれは別問題。マズイものを出すので無い限り、自分が美味しいと思えるものを食べられるなら必要以上に高価で過剰なサービスがある必要はない。私はハレの日ご飯で出かけるなら一を選ぶと思う。普段の何でもない外食に天麩羅を食べる習慣がないから八に出かける機会はないと思うけれど、ちょっと懐にゆとりがあって「あ〜天麩羅が食べたいな」とふらりと入って美味しい天麩羅を食べるぶんには八はとても良い店だと思います。お惣菜モノとは違う、揚げたての本当に美味しい天麩羅が食べられる幸せ。高齢のお一人様がたくさん居た理由もなんとなくわかる。一人暮らしのお年寄りが一人分の天麩羅なんてそう簡単に作る気にはなれませんものね。
人に喜ばれる仕事のなんと尊きことか。

2014年12月13日土曜日

コスパのはなし

コストパフォーマンスって何だろな、という話。消費行動全般に言えることですが、食い道楽の私ゆえ、飲食話に特化した内容になることをご了承ください。では行ってみよう!

支払う金額よりも価値が高ければコストパフォーマンス(CP)は高い。逆に支払い金額の割りに得たものがショボいとなるとCPは悪い。では支払い金額相応のモノが得られた場合は?これこそが等価交換?!で、本来あるべき姿と私は思うのであります。
CP(お得感)を上げることに躍起になり、その方策として価格を低く設定、そのムリを通すために安価な食材に走る。それは一つの経営方法ではありますが、そうした店に私は行きたいと思わない。昨今、外食業界を騒がせた食品偽装問題は安価食材どころか詐称食材を利用したために起きましたが、これはCPの良さにこだわる風潮につけこまれて「偽りのお得感」を売り込まれたといえる。
等価以上のものを求めて、結局は等価に及ばない食事をとるはめになるなんて、こりゃ皮肉もはなはだしい。ちなみにこの皮肉という言葉、達磨大師の「皮肉骨髄」という言葉から派生したもの。骨髄が物事の本質の理解を表すのに対し、皮肉は表面や上っ面だけを見てるとの批判の言葉として使われたのが元の意味。上っ面な食材名やブランド名だけに対価を支払い、骨髄であるところの料理そのものを味わえない(消化できない)のであるならば、外食なんてやめっちまえこのスットコドッコイ、てなもんでやんす。

さて損得づくでモノを考えるなら、まず高額料金を支払って相応の美味しいものが食べられるのは至極まっとうなこと。食材の良し悪しはもとより、私の場合「自分に用意できない食事」なら対価を払う価値が十分にあると思っているので満足しちゃう。
裏をかえせば「自分にできる範囲の食事」が出た時は支払いの際に対価をシビアに値踏みしてしまう。「安価な食材に走る店に行きたいと思わない」と書いたのはそういうこと。そんなのいつも私がやってることなんだもん ^^ / 
試みにランチ価格1,700円と5,600円の
天麩羅屋を食べ比べしてみた。
詳細レポは気が向いたらまた今度^^
てなわけで(?)今回のお題は外食のCP(損得計算)について私の独断と偏見で切り込んでみることにしました。飽くまでも俺式。

自分でできる範囲のことを外注する、すなわち時間と手間を買い取るつもりで摂る食事のラインは金額にしたら一人千円前後。これは損得にこだわる以前の価格帯。

一人3、4千円からは「自分では手がかかる食事感^^;」が上がりだし、食餌(しょくじ)としての外食よりもお楽しみ要素を含んだ食事の意味合いが強くなる。5、6千円くらいになると安定的に満足なものが食べられると思う(このラインになると変な皿を出す店の割合が低くなる、ということ)。これがさらに上の一万円前後になると食材もぐんとグレードアップする。ただしこの価格帯における食材の違いは実に微妙なラインで素人には判別がつきにくい。食品偽装につけ入る隙をあたえていたのがこの辺りの価格帯ではないかと思われる。変な言い方だが払った分の元がとれたか気がかりになる食事の範囲がココ。(←本当に独断だな)

一万円後半から二万円になると素人にもそれとわかるほどの「良い食材&自分じゃ絶対作れない皿」が出て来るライン。料理人の腕前とあいまって、味わい、満腹度、雰囲気等の気持ちの問題も含めた満足ゆく食事ができないとオイ、コラ!と言われやすいのがこの食事ラインではないでしょうか。良いのが当たり前で、遜色があると思われたらたちまちCPが悪いとの評価をされる受難のクラス。不平を言う側にもある意味必死感がただよう価格帯と言えましょう^^;。

三万円から上のクラスになると私にはもうお手上げ。何がなんだか正直、素人なもんでわかりません。ウマイマズイという以前に、このラインは純粋に食事を楽しめる=面白がれる人のものだと思います。食材のクラスがさらに上になると同時に料理人に対して「君、やりたいようにやりたまへよ、はっはっはっ」と言えるお大臣クラスの食事でしょう。つまりはパトロンクラスの食事。新しい挑戦をする料理人に投資をして料理の歴史に新たな一ページを作る縁の下の力持ちになる気概あるお方が来るお店。元が取れるか取れないかに拘泥している間はおいそれと入れるお店ではありませぬ。

などと独断と偏見に満ちた解釈でつらつらと書き出しましたが、自分の中で消化できる範囲のものが適正価格消化は即ち昇華。口コミサイトが高評価を出そうが低評価を出そうがそんなの関係なしに、自分が納得できる店を自分の足と目と舌で探すしかないと思うのです。それが私の食道だってばよ!
そんなわけでまた美味しい店を探して西へ東へ奔走する一年を過ごしたいものです。耳寄り情報ぼしゅうちゅう。