いらっしゃいませ

にほんご べんきょう してきて ください
いらっしゃいませ。ずっと試運転中です。予告なく変更しまくるつもりが仕様変更については手付かずです。

2018年12月24日月曜日

真冬のホラー

さて、皆さんはお隣に誰が住んでいるかをご存知ですか?
ご近所付き合いが廃れていく昨今、そうは言っても学生さん風の人が住んでるとかOL風味のお姉さんが居るとか、おぼろげにでも隣に住む人の輪郭は見えているのが普通ではないでしょうか?
そんな風に認識していた隣人が引っ越した気配もないのにある日突然別人にすり代わっていたら…今回はそんな摩訶不思議なお話です。

私がこの地に越してきたのは四半世紀も前になるでしょうか。古い住宅地にある中古物件を求めて新生活をスタートさせました。その時、隣家には老夫婦が住んでおりましてお二人には人生の先輩として色々なことを教わりながら良いお付き合いをさせて頂きました。このご夫妻はすでに鬼籍の人となり、独身の娘さん(A子さん)が家を建て替えてそこで一人暮らしを始め、もう5〜6年になるでしょうか。先月、そこへA子さんの友人が訪ねて来た。
その友人曰く、「A子さんと連絡が取れないのですが…」電話に出ないというだけではなく、電話の契約そのものが解除されているらしい。「A子さんはここに住んでますよね?」と尋ねられて、はてどう答えたものか。確かに姿を見る事は稀だけど、しかし夜になれば部屋に明かりもともるし普通に生活している様子ではある。友人に言わせると「どうも様子がおかしい」との事でしきりに安否の確認を取りたがった。とはいえ不在では仕方ない。ひとまずA子さんには友人が尋ねていらしたことを私が伝えておく運びとなった。
その夕刻、部屋の明かりがついたので早速私が訪れてインターフォンを押してみた。
…が、一向に出ません。家の中に人がいる気配はしているのに誰も出てこない。出られない理由が何かしらあるかもしれないと思い、ご友人が尋ねていらした旨のメモをポストに入れて帰宅した。
友人には私から「A子さんは帰宅したようですが出られない様子なのでメモをポストに入れておきました」と伝えると、なんと友人は即刻引き返して再度訪問してくれて家の外から必死に呼びかけた。それでもA子さんは扉を閉ざして姿を見せなかった。
そして、その翌日から隣家の窓に明かりが灯ることはなくなった。

それだけではない。夫は仕事の行き帰りに必ず隣家の様子を見るようにしていたのだが数日後の夜、二階の窓が開け放たれているのを目撃し「誰かがいることはいる」と私に報告。翌朝、私も隣の二階に目をやると…その日「今年一番の冷え込み」と言われた朝なのに窓は開け放たれていた。多分、昨夜からずっとそのままだった模様。
さあ、あなたならどうする?

町内会長さんに状況を説明して、A子さんにはお嫁に行ったお姉さんがいたはずなので連絡をしてもらうことにした。ところがそのお姉さんはとうの昔に亡くなっているという。つまりA子さんには連絡を入れる相手がいないとの由。結局、民生委員に連絡を入れて委員さんの判断で警察に来てもらった。
ところが警察は二階の開いた窓から侵入を果たしたものの、家の中には誰もおらず「死体とかが出れば別ですが、出かけてるだけかもしれないのでこれ以上のことは警察にはできません」と言って帰って行った。「あ、窓は閉めておきましたから」ですと!
えー、それだけーー?!

実際、近所の人間にできることはここまでです。駐車場にはA子さんのものではない他県ナンバーの車がずっと停められており、町内会長さんによるとそれは親戚と名乗る男性が時々出入りしていたのでその人の車だろうとのこと。私は老夫婦とのお付き合いの中で親戚はほとんどがすでに鬼籍に入っていると聞いていたので、強いて言えば亡くなったお姉さんの旦那さん、つまり義兄さんだろうかと思っていた。
つい先日のこと。日が落ちてから裏庭の片付けをしていた時に、隣家の玄関が開いており中で明かりもつけずに何かしている人物を発見して私は思わず「A子さん!?」と声をかけた。中からは老人が現れてそそくさと戸締りをして立ち去ろうとする。追いすがり「すみませーん、A子さんってどうかなさったんですか?」と声をかけると「にゅーいん、入院してるんだよぅ」とのこと。
老人は先代の知人で庭仕事が得意なことから昔から庭木の手入れを任されていた人だった(しかし庭師さんという訳ではない)。A子さんが家を相続した際に引き続き庭の手入れを引き受けていたことは私も知っていた。面識もあるがこの人は決して隣家の親戚などではないことを私は知っている。とは言え長らく家に出入りしていたご縁で「もうほとんど親戚みたいなもの」ではあるのでしょう。独り身のA子さんが体調を崩した時に他に頼る人もなく、彼に留守宅のことを一任したとしても不思議ではない。
でもね、留守を預かったのならそれなりのやり方つーものがあるでしょうが。人が訪ねて来たら「これこれこーゆー事情です」と説明するとか、警察沙汰にまでなってるのだから町内会には連絡入れておくとか。高齢の男性なのでそういうことに気が回らないというのはあるだろうけど、「入院ってこの近隣の病院ですか?」と聞いても「いやぁ、違う」としか答えないのでA子さんがどこにいるのかもわからず終い。
友人が心配して訪ねて来た話とポストにメモを入れた話をしても「あー、そうなの」としか言わない。「連絡を入れてあげるように伝えてください」というと
「無理無理、話せないから」
「え、そんなにお加減が悪いのですか?」
「いや、頭ははっきりしてんだけど体が動かないんでね」と、こんな感じ。

そもそも入院なら新聞を止めるのは合点が行くが、電話まで解約するのは腑に落ちない。この日もそうだったのだがこの老人はなぜかA子さんの車を乗り回している。考えてみれば「もうずっと入院してる」と言っているけどその間、友人が訪ねる日まではおそらくこの老人がA子さんの家でずっと暮らしていたのだ。だからこそA子さんの不在に近隣住民は全く気がつかなかった訳だが、はてさてこれってどういうことなんだろうか。
言い方は悪いがA子さんは相続人のいない財産を持った独り身女性なのである。何事もなければ良いのだが…といらぬ妄想が暴走する。
何よりも、ずっと隣に住んでると思ってた人が実は別人だったという事実に震えた。
あなたの隣に住む人は、それは本当に隣の家の人ですか?
私たちはそれを知る術を意外と持っていないのです。
以上、最近起きた不思議なお話でした。

2018年12月12日水曜日

カメラのある生活

悪口が続いたので、いい加減美味しいものの写真でもupするかと写真データの整理をしていた。今年も美味しいものをたくさん食べたな、と幸せ気分満喫。
死んだ猫の写真を見ても、なんだかんだで共に過ごした幸せな時間を思い出してしみじみ幸福感。写真って本当に良いものですね。

子供の頃に思い描いた未来の生活は、人々が腕時計式の無線かなんかを持っていてそいつで鉄人的なロボットか何かを動かしたりなんかしちゃう便利な世の中。蓋を開けて見ればまさかの電話がそんな便利ツールとして活躍している。しかも板切れの形で!
時計じゃなくて電話だったか〜、という驚きもさる事ながらこの携帯電話の中でも一番私達の生活を変えたのは撮影機能ではないかと思う今日この頃。
誰でも手軽に日常生活の中で決定的な瞬間や、なんてことない風景をいくらでも記録して残せる世界。
神楽坂飯店のジャンボ餃子
パシャリとすればいつでも見られるこの喜び
今年一年に撮った写真を見て、ここに私のほぼ全てが入っていると思った時の驚きは何にたとうべき?私の軌跡が入っているだけではない。何を撮ろうと思ったかを通して私という人間そのものを端的に現していると言っても過言ではない。写真にはそんな側面がある。
ま、大げさに言ってるけど結局は食べ物と動物園の動物達ばっかり写ってるわけなんですが。それが私というものさ。
写真で一年を振り返る。そんな時間もまた楽しからずや。

2018年12月4日火曜日

賀状の切れ目

師走に入ったので出遅れの感はあるものの、年賀状を準備するシーズンの到来ですね。
男の人は知らないが、女性陣には年賀状だけの付き合いという人がたくさん居る。学校、職場、ご近所さんなり、かつて同じ環境にいて仲良くしていた人と遠く離れてしまい、さりとて努力して会うほどの熱情は互いに持ち合わせてはいない関係の友人。それが年賀状友達。
今の若い人のことは知らないが、女は往々にして結婚によって取り巻く環境がガラリと変わることも多く、断ち切り難いがさりとて親交を深めることも困難な状況の関係というのは多い。強いて言えば年賀状のやり取りを止めないことで、親交を細々と繋いでいくということかもしれない。
さて、今回はそんな細い繋がりをあえてブッタ斬ってみた時のお話。

小さい頃から友達は大事と刷り込まれてきたけれど30代のある時、ふと「付き合うべきじゃない友達もいる」と突如悟りを開いた。これは本当にある日突然、雷鳴のようにこれは付き合いを切るべき人なんだとひらいめいて断捨離よろしく3人ばかり付き合いを断ち切ったことがある。つーても、その頃にはすでに全員年賀状だけの付き合いになっていたので賀状を送らなくなったというだけのこと。
3人の共通点を挙げるならそれはギブアンドテイクではない関係だった。先方の都合の良い時にだけこちらが利用される関係。若い時にはそれも一つのバリエーションとして楽しめたので自分が利用されるだけとわかっていても気にせず付き合いを続けられた。
友情って損得勘定ではなく、何かしらの興味や魅力を相手に感じることができるから続けられるものだと思っていたから。
そういう意味では30代のある時、自分がもはや彼女らに何の魅力も興味も持ち合わせてないことに気が付いたのだと思う。それでも惰性や思い出だけで繋がっている友情があったっていいと思っている。実際にそういう関係の人もいる。だけど彼女らの関係を断ち切ったのは要は今後は1ミリだって時間と情を割く気持ちが失せたということなんだと思う。
若い頃なら笑って許せた狼藉がお前、30代になってもそのまんまなのかよという侮蔑となってしまった。そのことに気が付いたらもう友達の顔をして賀状のやり取りをすることができなくなったのだ。

ここから悪口な。
一人は長年、既婚者との同居生活を続けていて自ら音信不通になっていた人物。別の男性との結婚が決まった時に「結婚式に来て欲しい」と連絡をよこして来て交友が再開したのだが、その後生まれた子供の写真を散りばめた年賀状を見た時に説明のつかない怒りが湧き起った。(ちなみに私は他所の子の写真年賀状は肯定派。嫌いじゃない)
彼女の不倫は最初は職場同僚(既婚者)への一方的な片思いで始まったのだが、先方の奥さんが里帰り出産の不在時に家に押しかけて一度だけ抱いて欲しい?!と懇願して不倫関係に突入(本人談)。以来10年も先方の家庭を引っ掻き回してきたのに、相手の奥さんが愛想をつかして離婚話が出たところで「なんか、面倒くさくなっちゃった」と関係を解消した経緯がある。他所の家庭を壊しておいて何事もなかったように自分の家庭の幸せ満喫かよ、と今更せんなきことだし他人事なのにそれでも嫌悪感が止まらなくなった。(じゃあ地味な反省文を寄越せば良かったのか?とか考えだしたら謎は尽きないのだが)
毎年、こんな調子で彼女の年賀状を見るたびにモヤモヤするくらいならもう止めよう、とこれが断捨離のキッカケだった。翌年、賀状を送らなかったら元々自ら音信不通にするくらい薄情な奴なのですぐに彼女からも連絡は来なくなった。
後の二人は上記の彼女のとばっちりみたいなもので、あれを切るならついでにこの二人も的な流れでさよならした。
突き詰めて考えると3人とも決定項は「不倫」。なんかね、若い頃は絶対にそれを肯定はしないものの、だからといって積極的に否定することもしなかった。止めたところで止まらないのがあの手の人たちの常だったしね。
だけど今は思う。不倫の事実を知った時に彼女達を拒絶するべきだったんだ。あんたらのしてることは友達なくすようなことなんだよ、と。
私が友達やめたところで痛くも痒くもないことだろうけど、不倫に苦しめられた名も知らぬ奥さんに「元友人がすまぬ」と、元友人を止める器量のなかったあの頃の自分の贖罪を込めて関係を断ち切ることにした。
さてそのうちの一人はかれこれ15年近く賀状を送り続けてくれている。彼女は不倫経験もさることながら私に少額ではあるが借金をして踏み倒していることもあってお付き合いをやめている。借金のことは多分もう完全に忘れてるだろうけど、私としては「お金と一緒に私のことももう忘れていいよ」と思っているのだが、これだけ長く不義理を続けている私を彼女は切るつもりがないらしい。

水と油みたいに全くタイプの違う彼女とは衝突も多かったけど、それだけ印象に残る関係だったと今も思う。私との関係を断ち切りたくないと彼女が思い続けてくれているのなら、そろそろ私も「貸した金、返せよ」と返答するべきなのかな、と徒然思う師走の空。
こうして考えると年賀状をやめないというのも、それなりに効力のあるお付き合いの一つなのかもしれない。むぐぐ

2018年11月21日水曜日

黙認する人々

副題「正義感という悪癖」

私は子供の時から正義感が強すぎて「よろしくない」と言われてきた。正義を嵩(かさ)にきてやり過ぎてしまうところが確かにある。要するに融通が利かない。
正義なんて十人十色、自分の判断だけを基準に物事を断じる危険性は私も承知している。だから大人になるにつれ、相手の立場を想定して「こういう事情だったかもしれないじゃん」という形で融通をつけるようになった。
大抵のことはこれで波風立てずに過ごせるようになったけど、いまだにどーーーーおしてもインチキな嘘を看過できない。

前回、二度目の登場をした外科医詐称男の三度目の登板です。ついに私の臨界点を突破した。彼はおそらく発達障害に近い何かであろう、とこれは職場で何度注意されてもデタラメをやらかす彼を許容するための私なりの落とし所だった。←実際にちょっと尋常じゃない不手際が彼には多すぎた。
端的にいうとどれだけ説明しても正しい処理を行うことができずに道具や資材を大量にお釈迦にしてしまう。ミスをするのは人間であれば誰しも仕方ないことだが、彼の場合は常識の範囲を越えるものが多く金銭的に見ても相当な損失を被っているので企業であればこれを理由に退職を促すことができるレベル。だけど結局、直接的には誰の懐も痛まないので黙認され続けている。
実に不愉快なのは彼が黙認されるのを良いことに自分のミスを絶対に認めず、それゆえいつまでたっても改善がなされないこと。
このこと自体は君には関係ないことだから目くじら立てる必要ないじゃないかと言われればそれまでだが実に歯がゆい。いや、共有機材を壊されたりすると実際には私にも実害が及ぶのですけどね。

私の見立て通り彼が本当に発達障害であるのなら、なるほど一般的な会社社会で生きていくのは困難だ。アカデミックな場所でちょっと風変わりな人として生きていく方がまだ方策はありそうだ。彼にもできるようなことが見つけられるといいね、とこれは本心でそう思ってた。(と、勝手に彼を発達障害認定しているのもどうかと思うが ^^;)
でもそれは飽くまでもそういう能力をここで見つけられればの話。まずもって日頃の彼の仕事ぶりを見ていれば適性が全く無いのは誰の目にも明らか。能力もないのにアカデミックなポストを得られるなら誰もこの業界でこんなに苦労はしない。
それなのに彼にも学位が与えられるらしいという話を聞いて、これは流石に私の臨界点を超えた。彼がやってることを実験室で実際に見ているので、あれで論文が作成できるとは到底思えない。言っちゃあなんだが、これ以上ここに居座られても困るからさっさと学位を授与して出て行ってもらおうという意図を感じる。そんなことってあるだろうか?

ダメなものはダメと毅然として欲しい。
彼は医師でもないのに「僕は外科医です」と自己紹介しちゃう人なんですよ?今までは「そりぁ無いわ〜HAHAHA」と真っ赤な嘘と黙認されて済んだけど、見合う能力もないのに卒業の経歴を与えてしまうと今後は彼は大手を振って「天下の〇〇大学の院卒でございまーす」とあのポンコツぶりを発揮しながら喧伝して回るんですよ。
能力の無い人にお墨付きである学位を与えてしまうとそれはつまり「あー、〇〇大学ってたいしたことないんだな」と世間に広めることになるんですけど?
ええ、私には何一つ関係のないことではありますが、これは日本の科学技術の信用を大いに失墜させることに関係してくる。そういう考えが上層部の先生方の頭にないことに私は憤懣やるかたない気持ちだ。ええ、あっしには何一つ関わりのねーことでござんすがね

人々の黙認が日本の未来を、ひいては世界を少しずつ悪くして行くのだ。
と、このように正義感が肥大すると大仰になってそれはもはや悪癖。憤りからネットに書き殴ったりなんかするのも「よろしくない」と、それはわかっちゃいるけれどやり場のない怒りで脳みそがまた沸騰しちゃいそうです。

2018年11月14日水曜日

アンシェアな人々

前回「誰にでもすぐに引き継げる形で働かねばならぬ」と書いて思い出したのですが、この業界(テクニシャン)では「この作業に従事できるのは自分だけ」というポジションを死守しようとする人がいる。過去にそういうタイプの人に何度か遭遇した。
極力間違いが起きないように一人で管理したいという側面も否定はできないが、多くは雇用契約の更新を切られないよう自衛のために他の人に仕事を回さないケースが多かった。この業界の雇用形態はその年の予算の有無に直結するのでどうしても短期雇用契約が主になっている。誰しも金の切れ目が縁の切れ目の中で綱渡り状態で働いているので「あの人じゃないとこの仕事は誰にもわからない」というトラップを作る人がいてもそれを責めることはできない。
以前、ほぼ全員がそういう考えの人で構成された職場を経験しているが非効率的なことこの上なかった。そこでは一人でできるような作業でもあえて細分化して大人数で取り組んでおり、互いの領域は不可侵とする不文律が出来上がっていた。よって誰かが休めばたちどころに作業はストップする。
ある意味ワークシェアリングと言えるのかもしれないが、いや違うだろ。自分の領域部分については絶対に誰にもやり方を教えないので不測の事態が起きた際には誰も対処ができない。
本来は誰でもできる形にした上で皆でフォローしあってやるのが正しいワークシェアリングではないのか?

誰でもできる形にシステムを構築して惜しみなく自分のスキルも伝授した。私は新人さんと力を合わせて働くつもりだったのに、彼女は能力的に色々問題を生じる人だったので結果的に仕事をシェアすることはできなかった。彼女から見たら私は「仕事を譲ろうとしないアンシェアな人」だったのではなかろうかと思うとそれが今でも若干気になるき。
「能力の低い人ほど自己評価が高い」というトピックについて前回書いておきながら、はて自分はどうなのだろうか?と不安になってきた次第。
ことほどかように、人の悪口は自分に却ってくる。

この分野では誰にも負けないと自負するものも持ってはいるが、ありがたいことに周囲の人もまた私が太刀打ちできないようなスキルを各人が持っているので「自分は優秀」と自惚れる余地がない。自分の得意の分野について皆で知恵を出し合って協力して仕事を進められる今の職場は本当に環境が良く恵まれていると思う。

でもね、たぶん、きっと…
来るよ!新たな悪口。「優秀な人達に混ざっている僕も優秀なのだ」という勘違いで自己評価を過大に膨らませた職場のとある人物が最近、自身のブログのプロフィールに嘘八百を並べているのが職場内で発覚した。学歴や職業を平気で詐称しているので、果たしてこれを野放しにして置いて良いのかどうか実に悩ましい。他の人は呆れつつも放置の姿勢なんだけど、私はどうしてもこうした行為が生理的に受け付けない。
自己評価が高いだけあってこの人も相当に能力が低い。正直、職場内をウロつくだけで妨害行為になるレベル。そういう意味では他者に何もシェアするものがないので、こういう人もアンシェアな人と言えよう。
はい、以前も登場した黙秘な人々の彼のことです。もー、嘘は暴きたくて仕方ない。極力彼にはもう触らないようにしてる他の人達と比べて、いかに自分が小者であるかを痛感するよ(涙目)。

2018年10月30日火曜日

重複する不幸

不幸とは重なるものなのか、いや、悪い巡り合わせが重なった時に人はそれを不幸と呼ぶのであろう。本当に間の悪さというものは重なると多大な悲劇を引き起こす。

4ヶ月だけ一緒に働いた人の残務整理でこのところ大忙しだったことは細々とこぼしてきた訳ですが、今日こそ書いてやるぜコンチクショーめ。
と、書いては消し書いては消しであっという間に一月が経ってしまった。どう頑張って取り繕っても悪口になってしまうんですよ
それだけ仕事の上で酷いことをされたのでえーい書いてしまえ!と思う一方で、居なくなった人の悪口はちょいとみっともねーなと思う気持ちもある。
もとより、人に読ませる文章を書くときは私的な事は書かずなるべく一般化して書くようにと私の師匠(なぞ)もよく言っていた。ふむ

以前、聞いたことがある。能力の無い人ほど自己評価が高くなりがちなんだそうな。
その手の人は「これで完成!」のゴール地点を元々低いラインに設定しがちなので、周囲からは頑張りを認めてもらえず不平や不満を溜めやすいそうだ。自分はこんなにやってるのに!という気持ちから過大に自分の能力をアピールしがちで、結果言ってることと実力の落差から余計に周囲から認めてもらえなくなる。
裏をかえせば、自分が認めてもらえていないと感じるときは冷静に周囲を見回してフラットに自分の立ち位置を確認する必要がある。私も以前の転職時にそれを痛感していたので、冷静な視点無しに職場を変えても同じことの繰り返しになるよ、と声を大にして彼女に言いたい!
なにせ世間は狭いし、私もこの業界は長く勤めているので知り合いもいたるところにいる。彼女の新たな職場にも御多分に洩れず私の知人がいるわけだ。「ねえ、この人ってもしかして例の人じゃない?」と持ちかけられた話題の人物は…例の人でした。
私が想像した通り、新しい職場で前の職場の不平を漏らしながら(つまりは私の悪口だ^^)相変わらずトンチンカンな仕事ぶりを発揮している様子だった。
彼女は多分、永遠に新人さん。今の職場も年内には終焉を迎えそうな勢いでやらかしているらしい。

さて冒頭の「悪い巡り合わせ」というのはこのことではない。新人さんの杜撰な仕事の上にもう一人、間違った手法の仕事を重ね合わせてくれちゃった人物がいて、そのためにずっと私は修正作業にあけくれていたのです。ミスが一つだけなら傷は浅かったろうに、一つの間違いから広がる可能性の枝が二つ絡まることで実に難解なパズルとなって立ちふさがった。新人さんが関わらなければとか、段取りを理解してない学生さんが関わらなければとか、悔やんでもそれはせんなきこと。そんなことを言い出したら結局、全部一人でやるのが一番安全で間違いないということになってしまう。それは事実なんだけど(^^;)
でもそれは行き着くところ、自分の代わりがいない仕事になる。「自分にしか出来ない仕事」があることを誇らしく思う人もいるかもしれないが、私は仕事としてそれは間違っていると思う。何より、それじゃ私が休めなくなるじゃないか!
昨年、脳梗塞を起こした時に思ったのは誰にでもすぐに引き継げる形で働かねばならぬということ。人が関わることで最初の段階でどんなに面倒くさいことになったとしても、作業は割り振って行う。それを意識するのが責任を持って仕事をするということではないかと思った次第。

良き巡り合わせで、仕事を共有できる人が見つかりますように。なむなむ

2018年10月7日日曜日

女の処世術

隣街の雑木林に忽然と出現した ”隠れ家的古民家カフェ” に、ポケGOの途中で立ち寄ってみました。本日はその感想とそこに付随した亜空間思考の紹介。

随分前からそこにカフェができたことは風の噂で知っていた。古民家をカフェに改装して、食事には有機栽培の野菜を取り入れ、体と心に優しいロハスな雰囲気に満ち溢れた小物の販売もするし、定期的に良い雰囲気の映画の上映会なんかもしちゃったりなんかする色々な試みに意欲的に取り組んでるカフェという触れ込み。
ロハスに興味は無いけれど、近くまで来たことだしと全くの冷やかし客として入ったわけですが店内に入って「こんにちは」と声をかけるが反応は無い。店員は皆、厨房作業に集中して頑なにこちらと目を合わせない。
全員、人見知りかな?と思いつつとりあえず販売スペースの棚を拝見。その一隅にカフェスペースのウェイティングシートが置かれていることに気づいて名前を記入。これが無ければ、誰からも相手にされない雰囲気にいたたまれなくなって帰るしかなかった。店内からは隠れ家カフェには似つかわしく無いほどのお客さんの喧騒が聞こえてくる。
待つことしばし。ようやくカフェスペースに案内されて「繁盛してますね」と声をかけるとそれまでとは打って変わって気持ちの良い対応で「今日はたまたま団体のお客様がいらしてるんです」との由。客席に着いてからの店員さんの対応は実に物腰も柔らかく好印象で、入店時の排他的な雰囲気が嘘のよう。気を取り直してメニューの説明を聞く。
ここは土鍋ご飯が名物らしく、しかも今月の土鍋ご飯は「鯛めし」だという。鼻腔に鯛めしの芳しい香りを妄想しながらもあまり時間がなかった私は「でも鯛めしは時間がかかりますよね?」と躊躇っていると「そうでも無いです」という意外な返答。「じゃあ、鯛めしで!」
お値段はそこそこ張るけど、なかなか食ベる機会のない鯛めしに思いがけない状況で邂逅した喜びにホクホクしているところへ出て来たものは!
小さな土鍋にご飯をよそってその上に鯛?の刺身をちょろりと載せたものでした。
違うよね?これ、違ってますよね?
いえね、鯛茶漬けみたいにご飯に鯛を載せたもので鯛めしというのがあるのはわかる。百歩譲って塩焼きにした鯛のほぐし身を土鍋ご飯の上に散らして出すこともあるだろう。でもね、土鍋ご飯で鯛めしつーたら、普通は土鍋で鯛と一緒に炊いたご飯を想像するよね。お値段もそれなりだったわけですし
少々絶句しながらも出されたものはありがたく頂戴する。背後では入店時から騒音の発生源になってた奥様連中がいまだ声高にお店の雰囲気を絶賛中。
「お庭が素敵!」「古民家カフェっていいわよね〜」
違う…これは違うよ。一般的に古民家を改装したお店というのはそこそこ歴史と風格がある建物をその雰囲気を損なうことなくお店に仕立てたものを指すと思っていたんだけれど、ここは…高度経済成長期に量産された極一般的な庶民のお宅です。正直、奥様連中の喧騒が無ければここがお店だとはわからないくらいに古く傷んだパンピーの一軒家だったのでここがその「古民家」だとは思わなかった。古い民家という意味では間違いではないだろうけど、しかしいわゆる古民家を売りにした商売をするには、土鍋に別炊きのご飯をよそった土鍋ご飯くらいには何か違ってますよというツッコミを入れたくなる。経営側がわかってないままイメージだけでやっているのか、あるいはわかってない人を対象にイメージ先行の集客商売をしているのか判別がつかない。(唯一、擁護するとすれば外観はともかく内装はとても工夫しておしゃれ空間にリフォームしてありました)
お庭もね…学生時代に造園部に在籍していたので言えるのですがプロの仕事ではないのです。素人が趣味でやってる程度には楽しそうで微笑ましいのですが、店内にはお庭の施工も承りますという張り紙があって、いやいやいや、この庭は正直危ないって感想が否めない。隠れ家カフェというよりは隠れ里に近い鬱蒼とした雑木林に走る細い獣道。ここが正規の入店ルートらしいのですが、雨のこの日は実に危険な足元の作りだった。プロの仕事なら危険な設計はご法度でござるよ。
イベントの映画上映も林に張ったスクーリンで野外上映らしいのですが、映画館と同じ料金をとるのには恐れ入った。映画館は設備費を含めてのお値段ですよ?
あの鯛載せご飯に一般的な鯛めし金額を提示したのは、根底に流れるこのイメージ先行金額設定があるからなんだと合点が行った。それでも他に選択肢のない地元の人がありがたく思って通うのであれば、それはそれで存在意義はあるのでしょう。

昔、ママ仲間(ママ友と呼ぶほどの付き合いがない)がアクセサリーの販売を始めた昔の友人からダイヤのネックレスを安く買ったと大喜びで見せて回っていた品がどう見てもジルコニアだった時の複雑な心境をふと思い出して帰路についた。その時は聞いたお値段もジルコニア相当だったのでまあ問題はなかろうし、本人が喜んでいるものを「それダイヤじゃないよ」とは誰も言わなかったけど、ダイヤだと信じた人の何人かは彼女のツテでそのジルコニアを購入していたし、彼女らがやがて明らかにプラスチックみたいなアクセサリーを一斉に身につけ始めた時は他人事ながらハラハラしたものよな。
ジルコニアと天然ダイヤの見分けは素人目には無理と言う人もいるけど、どうなんですかね。光り方は全く違いますよね?質の高いジルコニアは知りませんが少なくとも当時は私を含めて幾人かの奥様はコレは違う…と思いながら目をつぶっていた模様。「本物はこんなだけど」と良かれと思ってやっちまった奥様が酷い目にあわされたことを後日談で本人から聞いた。
ことほどかように時として本当のことを言うと大変な事態を招くのが女の世界の厄介なところ。余程のことがない限り、大多数が信じた誤りを正すような真似はしないのが女の処世術。真実を明かすにも並外れたスキルが女の世界では必要なのでございます。

そして大概のことは目をつぶる私でも食べ物の恨みだけは決して忘れない(^ ^;)
ああ、本当の鯛めしが食べたい。

2018年9月26日水曜日

今そこにある旅路

長い間が空きましたが私は元気です。辞めていった新人の置き土産的な地雷を除去する作業に追われて「くっちょ〜、書いてやるからな」と思ってブログに途中まで着手しつつも、とりあえず私の持ち場から去ってくれたことに感謝する方向で仕事に没頭する数週間でした。彼女は今頃、新しい職場に迷惑かけてんだろうな〜と胸を痛めつつ…。

そんなわけで(?!)本日のテーマはポケモンGo、君に決めた!
位置情報ゲームとして昨年、世間の話題をさらったので未経験でもご存知の方は多いでしょう。私も昨年の配信日から始めて飽きもせずに細々と続けております。ひたすらポケモンと共に歩いて辻々で見つけたモンスターを捕獲しては図鑑を埋めていく、昭和の子供の昆虫採集の喜びを彷彿とするゲームなのですが、単純なものほど遊びは楽しい。
配信当初は捕獲できるポケモンやアイテムをゲットできるスポットの数が都市部と郊外では差が激しすぎて、その格差ゆえに私の周辺ではすぐに辞めてしまった人も多いのですが、随時補正が加えられてどんどん面白くなっています。
今は謎の男、ウィロー博士が不定期に指令を飛ばしてくるのでその期待に応えるべく粛々と課題をこなす日々。やっていて思ったのですが、絶対にやらなきゃいけないわけじゃないちょっとしたタスクを提示されて、それをクリアしていく快感というのがこんなにも楽しいという発見がありました。
「例えば○km歩いて卵を孵化させろ」とか言われると、ちょっとだけ遠回りして帰ろうかな、なんて余計に体を動かしたりなんかして。それで卵が孵化するとその達成感で爽快な気分になる。ホント、ちょっとしたことなんだけどね。でもこの達成感ってやつは人生にとてつもなく励みになる。人間にとても大事な要素ではないかと思う次第。
昨年、ポケGoと共に地元を徘徊した時も「身近にこんな場所があるんだ」という発見があったり「うわ〜、ここ歩くの数年ぶり」みたいな懐かしい風景に身を置いて来し方行く末を考える時間を持ったりで色々と感慨深いものがあった。今年は今年でこんな風に人間のモチベーションの大切さについて考察してみたり、人生はいたるところに発見がある。
最近、一番悶絶したウィロー博士の無茶振りは「フレンドを3人作れ」というもの。ゲーム内でお友達を作りなさいという指令。リアルでも友達なんてそう簡単にできないのに、博士!なに言ってくれちゃってんの!

思い余ってとうとう禁断のTwitterを利用して友達ゲットしちゃいましたよ。
リアルとネットをリンクさせる趣味はない(キリッ)とかつて書いたこともあるけれど、迂闊にネットにリアルの情報は流したくない。(その割に職場の愚痴は垂れ流してましたけど、ほほほ)だが、博士の期待に応えるにはどうしてもお友達が必要。恐る恐る、フレンドの仕組みについて情報収集してからネットでお友達募集してみました。
まずは自分のコードナンバーを取得してそれをTwitterで公開。このナンバーを見た人が入力をして友達申請をしてくれれば、めでたくフレンドゲットだぜ。あくまでもポケGoアプリに割り振られたナンバーのやりとりなので、これだけなら個人情報の流出は心配なし。(コードナンバーは固定ではないので何度でも変更できるのも安心材料)もっとも、Twitterで自ら色々情報を垂れ流してれば住んでる地域とか仕事とか多少のことは察しがつけられるけどね。
一番危惧したのはTwitterで友達募集して手が回らないほど応募があったらどうしよう…という心配。実際には募集で得られたフレンドは総勢5人だったので全くの杞憂だった。インフルエンサーならいざ知らず、トーシローの自分の呼びかけではこんなものと思い知った一幕。
さて北は北海道、南は九州、近畿、中京と満遍なくフレンドを得ることができて彼らと地元のポケストップで手に入れたギフトを送り合う生活が始まりました。そこで知ったのは遠い土地にこんなポケストップがあるんだ〜という発見の数々。私の知らない土地で互いを知らないフレンドが未知なる生活を営んでいて、けれどもアプリを通じて袖すりあっている不思議。いつかこの未知なるポケストップを訪れる日がくると楽しいな、なんてギフトが届くたびに遠く旅をしている気分が味わえる。地元に根ざしたポケストップはいろんな意味で観光地とは違った趣があるんだけど、視点が変わるとそれだけで楽しい。いつも見慣れたなんでもない風景で、見も知らぬフレンドも楽しんでくれるといいなという余計なサービス精神でせっせと少しでも面白そうなポケストップを徘徊する日々。
日常に潜む旅路の数々を思い知った昨今です。

その後、ウィロー博士が「ポケモンを交換しろ」という指令を出してきた時はさらに悶絶したわけですが(←交換はフレンドと対面してないとできない)それはまた別のお話…

2018年9月4日火曜日

お掃除備忘録

我が家は某ハウスメーカーで家を建てたのですが定期的に点検が入ります。先日15年点検がありました。
10年点検の時に「ああ、どうしてキチンと掃除して暮らさなかったんだろうか」とホゾを噛んだ事が昨日の事のように思い出されます。今回も「ぐは〜〜、どうしてキチンと以下略」と苦虫を噛み潰したような顔で点検の人を家に迎えました。
点検を終えて担当者から「次は5年後の20年点検があります」と言われた時に今度こそは!と決意を新たにした次第。

掃除、苦手なんですよ。根がズボラなので気にしなければどうということは無いと思ってる。ありがたいことに家族もみんなそういう風なので誰も困らない。定期点検は苦痛だけど、これが無いと家の中が際限なくとんでもないことになるのでメーカーさんが点検に来てくれることに本当は感謝しなくちゃいけない。でも毎度、恨めしい。

掃除って奴はキリが無いから基本的に放置プレイ。漠然と「やらなきゃな〜」と思ってるだけで、まあ絶対にやらないね。そうこうしてるうちに手がつけられなくなって余計にどこから手をつけたらいいかわからなくなる悪循環。それは自分でわかってる。習慣づけるのが一番だと頭では理解していても、どんな形でスタートしたらいいのやら…。

とりあえず、点検前にここだけでもなんとかしておこうと思う部分をピックアップした。
換気システムのフィルター
風呂場、トイレ等の水回り
玄関周りの雑草
さしあたって埃が溜まってる部分のすす払い

換気システムのフィルターは毎月掃除するように入居当時は言われてた。最初の半年は真面目にやってたけどそれがやがて年一度になり、ここ数年は蓋を開けてもいなかった。今回開けてみたらフィルターは朽ち果てていましたよ(^^;)。換気装置自体が寿命は7~8年ということだったので慌てて今回、発注して自分で取り付けました。綺麗になったのでこれを機にちゃんと毎月フィルター掃除をしよう!
そもそも換気装置の寿命が7~8年と銘打ってるくせに10年点検の時には何も言われなかったしチェックもして行かなかったよ?この辺りは担当した人の当たり外れがあるみたいで、今回点検に来た人はメンテについてキチンと説明してくれた。外に設置した給湯器については3〜4ヶ月に一度電源を落として水抜きも最低でも年に一度はするようにと指示された。
こーゆーことって入居時に一通り説明を受けてるはずなんだけど、何と言ってもいっぺんに色々なものについて言われるから把握ができない。そしてメンテの期間が長いものに関してはどんどん忘れ去られてゆく。
さて、ここで今回の本題です。
お掃除備忘録ノート〜〜〜!
テッテレ〜ン。とドラえもん風味にノートを買って来ました。
中身はこんな感じ
これ、以前もブログで書いたけど苦手なものほど専用の備忘録ノートを作ちゃいましょう。自分で書いておきながらすっかりその習慣を忘れていたので(←だめじゃん!)文房具屋で物色して良さげなノートを見つけて来ました。
いろんな色味があります。740えん
掃除に限らず、何かに手をこまねいて困っているのならまず思いつくタスクを箇条書きにしてみましょう。そしてどれでもいいから、その中から今日はこれならできると思うことを一個だけ片付けてみましょう。とりあえず着手するのが肝要!一日一個、あるいは週に一個。どんな簡単なことでもいいから着手して、そしてそれをすかさずノートに書き込む。思いついた時に突発的に作業して記入するのも良し。さらにここからが新機軸(当社比)。同じ内容について次回はいつやる!とあらかじめ決めてしまおう。そうすればもう悩まずに次のアクションを取れる(はず)。トイレ掃除なら週一でいいかな〜とか、換気扇掃除なら月一でトライするかな〜とか、ここで予定の日程を書き込んでタスクにすれば習慣化できる(かもね)。間が長く空いてしまうようなものでも書き込んでおけば忘れない(ノートの存在を忘れるとアウトですけどね、ほほほ)。
廃品回収の日とか、家族の予定とかも書き込めばいつならどれくらいの時間がとれるかとかもわかりやすい。とりあえず書いてみる。そこから始めてみようかなっと。
とりあえず動いてみましょうホトトギス。
このノート、いろんなタスクを同時進行で抱える人向きだから仕事用にも買っちゃった。

2018年8月22日水曜日

未完の制覇

仕事帰りに夫と落ち合って根津の釜飯屋「松好」に行こうと言う話になった。ところが店に着くといつの間にか開店時間が一時間後ろにずれていて入店できなかった。時候が良ければ根津神社に参拝して時間を潰すところだけど今年の夏はむやみと暑くて断念。
ということで図らずもゴージャス飯再び?!となって根津の串揚げ屋「はん亭」へ。
趣のある店構え(昔行った時の写真ですが)
店の中に蔵席がある
遡ること20数年前、加州へ転居する前に「日本の外食食べ納め」で行った思い出の場所。歴史のある古いお店なのでご存知の方も多いと思いますが、席に着くと「もう結構」と言うまでその日の串揚げが順番に運ばれてくるユニークなスタイルのお店です。昔は一膳が6本で完全制覇するには六膳までの計36品だったのですが、現在は3本ずつで加減しながら膳を進められるみたいですね。
さて、若かりし日の私は「あともう一膳で完全制覇!」というところまで行ったのですが夫に止められて後ろ髪引かれる思いで店を出たことがあります。折々に「あの時、もう一押しだったのに」と思い出してはあじき無い思いをかみしめ続けた。その後、はん亭には何度か足を運んだがいつも同席者の手前、足並みを揃えて箸を置かねばならず夢の完全制覇は叶えられなかった。
前菜サラダと付け合わせの野菜
一の膳前半:エビ、枝豆、谷中生姜

今日は夫と二人飯。釜飯のために胃袋のスペースも開けてある。絶好のチャンス到来。今日こそは喰い遂げて悔いをなくすと宣言して挑んだ。ビールで乾杯してから前菜のサラダ。一の膳の後にはお口直しのガスパチョがついた。これが美味しかった。お口直しは旬のものが工夫されて出てくるので串揚げ同様に楽しみがある。
稚鮎、蓮根、ホタテ
牛ヒレ、生麩、太刀魚
鴨、エリンギアンチョビ、烏賊ウニ
枝豆はすり身団子になっていて食べた時の意外さが楽しい。具材に合わせて工夫したスパイス使い、本当に気が利いてる。カレー粉あり、チリソースありで飽きない。
三の膳あたりから記憶が曖昧になってくる。
真ん中は玉蜀黍、他は…?
夫は三の膳の前半で離脱。このプレッシャーに負けてはいつものパターンで後悔する。独りでも突き進むのみ。4の膳ぷり〜ず。
南瓜、茄子、?
鱚三つ葉、トマト、思い出せない何か
浅蜊、椎茸タルタル、アスパラ
そして限界がきた。無念のリタイヤ。最後のアスパラなんかは写真撮る前に齧りついちゃったし(^^)。
やはり若いうちにやりたい事、何でもやっておかなくちゃダメね。若いうちは財布の中身がすっからかんでそうも行かなかったけど、財力ついたら体力が追いつかなくなってるというジレンマ。串揚げで人生について考える夕べでありました。

後の愉しみに取っておく、というのは痩せ我慢体質の私は嫌いじゃない。そうやって将来の楽しみのために今を頑張るのは好き。でも「いつかやろう」と思って先延ばしにしている事はいざという時には実現できなかったりする。いつだって「今!」しかできない事はたくさんある。
ちなみに今、「いつかやるから」と言って部屋の片付けを絶対に実現しない夫の背中をじっと見ている。

2018年8月11日土曜日

伝わらない人々

人生はめぐり合わせでできている。そこに良い悪いはなくて、ただその時々のタイミングで一つの物事が紡がれるだけ。さあ、お待ちかね?今回は仕事の愚痴(と言うか悪口)タイムです。 昨年9月に「人々シリーズ」で愚痴を上げていた ので今回もタイトルは人々で…。て、ついでに読み返してみたら自分ってばいつも他人に不平を言ってるみたいでちょっと恥ずかしい。でも言っちゃう(^^;)

プロジェクトが軌道にのったので私の病気入院とは関係なしに職場では私の仕事のサポートをする人を雇おうということになり、4月から新人さんが来ていました。Twitterで細々とupしていたので「あー、あの話ね」と思われる方もございましょうが、今週彼女が辞める運びになったので総括でごわす。
端的に言うと彼女は「話が正確に伝わらない人」でした。その点では既出のMr.ポンコツと同じ。ポンコツ氏と違うのは何も言ってこないので話の内容を理解できてないことがこちらになかなか伝わらなかった。普段の彼女は仕事で具体的な指示を出すと、その直後にはてんで違うことをやり始めてしまうお茶目な人でした。
一番のヒットはデータ入力のやり方を説明して「じゃあお願いします。割と急ぐのでこの入力が終わったらすぐに知らせてくださいね」と言った直後に居眠りを始めたこと。どこから着手しようか思案してるのかと思ったけど、どう見ても目を閉じて寝てるので思わず二度見した。「疲れちゃった?具合が悪くなったの?大丈夫?」と慌てて声をかけると「え!あっ、やる事ないから眠くなっちゃって…」ですと。いや、あーた、今さっき急ぎの仕事を振ったばかりなんですが?「やる事ない=指示される前に入力を終えていたのかも」と思い直して「もしかして既に終わってた?データファイルもらえる?」と声をかけると「?!データって?えっと何をどうするんでしたっけ?」とフリダシに戻る。

とまあ、こんな感じに仕事してました。これはまだ害がない例だけど、彼女にはどれだけ説明してもそれがキチンと伝わらない。最初は緊張もするし慣れない場所で働くとおっちょこちょいにもなるだろうと思って長い目で見ていた。飲み込みが悪いのは彼女の個性と思い(ポンコツ氏の体験でそーゆーの慣れてもいた)、そこは何度でも繰り返し説明すればそのうちできるようになるだろうと思ってた。結果的にそれが「何度も同じ事言ってくる須磨人、ウゼー」になってしまった模様。
上記の例のように「もしかしてもう終わってた?」みたいな先回りした解釈も、私としては良いように受け止めようとした結果だったけど、本人にとっては仕事ができてない事を責められてると感じたようで、一時が万事この調子で要はお互いに何も伝わらない間柄だった

飲食店になぞらえて言うと彼女にオーダーした料理はいつまでたっても出てこない。声をかけると「ああソレ、できてますよ」と言って盛り付けもしてない料理が鍋ごと出てくる。しかもオーダーと違う。ほんでまたよく見りゃこれが生焼けで食べられない料理。色々とムリ。みたいなツッコミどころ満載なお仕事をする人だった。
オーダーと違う動きを始めたところで側にいる人間としてはどうしても「それ、ちゃうちゃう」と言わないわけには行かないじゃないか。良かれと思って軌道修正させてたが、それが原因で嫌われて、その上彼女は失敗を隠すのでその矛盾を迅速に見つけて修正する作業も加わり流石に私も疲弊した。うちらの業界では失敗を隠す、つまり捏造データを作られるのは一番の致命傷になるので本当にこれには参った。(思い返せば去年もこれ系の問題修正に苦しめられてブログで愚痴ってたんだった)
私のサポートのために新人を雇ってもらったのに、私が新人のサポートでてんてこ舞になっているのを見て&新人は正確に話が伝わらない人だとボスも認識してくれたので先月から彼女に仕事を振るのはボスが肩代わりしてくれるようになった。当然、ボスもオーダーと違う動きをする新人に「それ、ちゃうちゃう」と言うわけですよ。すると新人は「須磨人と同じことを言う。ボスは須磨人の言うことを鵜呑みにしてるんだ」と孤立感を募らせたようで「辞めます」と言う運びになった。

正直、ホッとした。今まで積み上げて来たもの(データの蓄積)がおかしくなって壊れていくのも苦痛だったが、意思疎通がうまく行かずに作業がグダグダになっていく段階で「自分のどこがいけなかったろうか」と不必要に自分を責めてしまい心と体の両方を壊しそうだった。彼女に対する苛立ちも沸き起こるし、その事自体にも自己嫌悪が湧くジレンマ。
彼女が辞める話をボスから聞かされたとき、うまく仕事のコンビネーションを組めなかったことを詫びるとボスは私を慰めてくれた。「最終的には彼女には辞めてもらうつもりだった。見ていて気分が悪くなるくらい、あなたに対してひどい態度をとる人だったから。長らく嫌な思いをさせてすまなかった」と。
え?彼女、私に対して悪い態度だったんですか?
そういえば過去に2回くらいは「反抗期の娘が親の説教聞くみたいな態度で説明を聞くんだな」とびびった事はあったけど、毎度というわけではなかったから「家庭で嫌な事でもあったのかな」と思い受け流していた。周囲の人は彼女の不貞腐れた態度を見ながらずっとヤキモキしていたらしい。多分、彼女はそうやって「ウゼーんだよ。いい加減気づけよ」という主張をしてたんですね。肝心の私にだけは伝わらなかったようで…ああ私達、いろんな意味で伝わらない人同士だったんだね。
巡り合わせというものは如何ともし難い。彼女と鉢合わせたのは私にとってとんだ災難だったが、同様に彼女にとっても私は災難な巡り合わせだったのだなと複雑な気分で職場を去る彼女を見送った。お互い様だと思えば、うまく行かなかったことを彼女だけのせいにはできない。

それはさておき新人のズレまくる仕事のアレコレを知人に話すと大概は「今の若い子は仕方ないね〜」と言われる。でも実は新人さんは私と変わらない年頃の40代子持ち主婦でした。飲食店になぞらえると「長年、厨房で働いて来たのでなんでもできます」と熟練を売りにして採用されたのに、前の職場では何をしていたのかを聞くと「それが洗い物しかさせてもらえなかったんですよ!酷いと思いません?プンスカ」と前職の悪口を言っていた。今となってはそこで何があったのかは推して知るべし。
次の職場でよしんば私の悪口を言われたとしても、彼女がもし今のままであるならばきっと同情されるのは私の方だと確信を持てる。←ここは彼女に対する私のささやかな悪口な

来週からは気持ちを新たに働きまふ。やれやれ

2018年8月4日土曜日

どんまい三昧

実はですね、東京ステーションホテルに泊まる前の週にもう一軒泊まってます。会議は2週に渡ってあったのでございます。今回は丸の内ホテル編。どんだけ遊んでるんだ?という感じで恐縮だけどお仕事のためです(この日は夫しか働いてないけど)。

窓から東京駅を俯瞰できる
コンパクトなまとまり
随所に洒落た調度品
丸の内ホテルはオアゾの上。丸善にはいつもお世話になってるけど、その上階にはとんと縁がなかったのでエントランスを潜る時はドキドキ。7Fに進むとロビーには小さな庭があったりしていつもの場所の知らない風景に小さく感動。全体的にコンパクトにまとまった感じのいいホテルでした。東京ステーションホテル同様に地下通路を通れば雨天でも傘をささず駅に直結なのも嬉しい。
ちょっとした気遣いが嬉しい
そして何と言っても窓から見える風景がいい。東京駅が一望できて、まるでジオラマを見てるみたい。鉄道ファンにはたまらないロケーションでしょう。
室内の誂えもモダンで洒脱。小ぶりな部屋でしたが窮屈感はなく、落ち着いてくつろげました。洗面台に置かれた歯ブラシ立てが何気に嬉しい。こーゆーのなかなか置いて無いですよね。
朝食ブッフェは割と普通でした。選べる卵料理とか、トーストがセントラル ザ ベーカリーのプルマンでございとか、そこそこ期待はして行ったのですが食べた感想は申し訳ないけど割と普通だった。決して贅沢して口が奢ったわけじゃ無いです。東京ステーションホテルに泊まった後だからだろう、と思われるかもしれませんが、丸の内ホテルの方に先に泊まってます。むしろ東京ステーションホテルに泊まった後だったら少しガッカリするレベルだったかも。あそこと比べるのはちょっと酷ですが。ホテルの部屋同様、料理のスペースもコンパクトに収まっていて他のお客さんとの巡り合わせによっては若干取りにくい仕様。品数は決して少ないわけじゃ無かったけど、要は自分の食の趣味とは合わなかった。
スープ皿が欠けているのもご愛嬌
一番の敗因は卵料理が冷たかったこと。ポーチドエッグを頼んだのにまさか冷たいスープで供されるとは思わなかった。これはお店のせいではなくて完全に私のオーダーミスと言えましょう。冷たいスープも季節柄それはそれでよろしいのでしょうが、温かいものと思って口にした時のやっちまった感が最後まで拭えなかった。次は温かい卵料理でリベンジしたい。

元気があったら夫を見送った後に休日出勤でもするかと思ってたのですが、雨天だったこともあり大人しく帰宅しました。雨に濡れずに帰れてやっぱりこの立地は便利だなと思った次第。早朝から電車で遠出をするような時には利用価値が大きいと思います。
今読み返すと食べ物に文句言って申し訳ない。でも滞在そのものはとってもリラックスできて全体的に品の良いホテルでしたのよ。とフォローしてみる。機会があればまた利用したいホテルの一つです。

2018年7月28日土曜日

洗濯のおまけ

せっかく東京ステーションホテルに泊まったので、もっと宿泊備忘録。ということで前回は紹介しきれなかったあれやこれやの写真をupです。
幸せ朝ごはん
朝食室に続く階段
まずはベタ褒めしておきながら一枚も上げなかった朝食の写真。卵料理は調理スペースで依頼して出来たてを出してもらえる。オムレツの他にエッグベネディクトがあるのが嬉しい。オーソドックスなものを頼むつもりだったけど今回はアボカドにポーチドエッグを載せた変わり種をチョイス。アボカドの種の窪みに埋められたサーモンの塩味が「これ絶対ご飯に合う!」という味で思わず和食スペースにご飯を取りに行ってしまった。
落ち着く調度品
そんな訳でエッグベネディクトらしからぬことになってしまったけれどそれも楽しい思い出。夫はオーソドックスに仕上げてもらって「バルサミコが美味しい!」と喜んでいた。う〜、オーソドックスバージョンを食べにまた来なくちゃだわ。
とにかく種類が豊富なので目移りすること。ドリンク、オードブル、サラダ、温料理、そしてデニッシュもどれも美味しそうで、さりとてそんなには食べられない。対面には和食コーナーもあって、こちらも充実してる。あー!朝だというのにデザートコーナーまで充実。もうね、ここで暮らしたい。幸せになれること間違いなしの朝食でした。

湯のみが可愛い
さてお部屋の話もしましょうか。使い勝手がよくてシックな雰囲気の水回り。お風呂は広々して洗い場と浴槽が分かれているジャパニーズスタイル(ユニットバスじゃないってことね)。トイレの扉の所に小さな段差があるので足元にはご用心。
窓辺に置かれたソファが座り心地が良くて愉快な気分。カーテンを開けてここから人通りの少ない朝の行幸通りを眺める。と、修学旅行生が記念撮影に現れた。なるほど、考えましたね。朝のこの時間じゃないととても集合写真が撮れるロケーションじゃ無いものね。
窓から臨む行幸通り
バーコーナーはこじんまり。冷蔵庫も小さめ。でもこれだけ便利な場所だから近くにコンビニもあるし晩酌には事欠かない。揃えられた茶器の趣味が良くて笑みが溢れる。

旅行とは違うけど、見慣れた風景の中でちょっとだけ非日常を味わえるホテルライフ。清潔に整えられた部屋で過ごすだけでも気持ちが入れ替わるし、自分の家も綺麗にしようと決意を新たにできるおまけつき(^^;)
毎度、贅沢な宿に泊まるわけには行かないけど、少しお疲れ気味な時には通勤の疲労を避けるためだけでも、こうやって職場近くの宿をとってみるのもいいかもしれません。
気持ちにゆとりを持てるし、また頑張ってお金稼ぐために働こうという意欲も湧く。という馬車馬人生。
次回はいよいよ職場の愚痴…かもね?!

2018年7月18日水曜日

命の洗濯三昧

手術休暇明けの仕事が恐ろしく忙しくてブログで愚痴を垂れ流すいとまもない程でした。なんとか一区切りつきましたので再開。今回は、忙しいと言いつつも先月出かけた息抜き備忘録です。
夜の東京駅
なんだかんだ遊んでると言われればそれまでですが、以前にも経験した夫の「朝から都内で会議だけどラッシュの電車なんて乗れない体だから都内で前泊するよ企画」です。
なんと!今回は憧れの東京ステーションホテルでっす。運よく割引価格を適用できたのでこれまた「生きてるうちにやりたいことをやるんだもんね」というヤケクソ気分で行ってきました。久々のヒストリカルホテルシリーズだ(シリーズという程出かけてませんが)。

こちらが3階廊下
こちらが2階廊下
歴史のある建物はいいですね。大改装後とはいえ、本当に子供の頃から憧れていたホテルなのでここに泊まれる日が来るなんて感無量。チェックインするとツアーガイドの小冊子を渡されて自分で自由にホテル内を探検できます。
ホテルの廊下から駅の改札を見下ろしたり、何と言っても東京駅のホームと同じ長さがあるのでいつまでも続く廊下の長さを堪能したり、驚きと感動がいっぱいの宿泊でした。
落ち着いた内装
部屋に通されて最初の印象は「天井がたっかーーい」。ただそれだけでゴージャスな気分。でもホテル内をうろついて気が付いたけど2階と3階で高さが若干違う。外に出て見るとなるほど高さが全然違う。2階は階下を歩く大勢の人の気配が近くて窓辺にいると落ち着かないところもあるけれど、それでもこの天井高のゴージャス感には代えられない価値がある。3階なら展望がいい、というロケーションでもないから私なら2階をオススメする。ドームに面した部屋は3階でも天井が高そうですけどね。

こちらがアーカイブバルコニー
バルコニー窓からの眺め
改札から見あげるのとはまた違う表情
ドームサイドのお部屋は人気もお値段も高いけど、ドームを臨める一角がアーカイブバルコニーとして宿泊客に開放されています。ここからドームの装飾品を眺めるのは至福の時。駅の改札を行き交う人々を眺めるのも楽しい。
朝の光が気持ちいいアトリウム
そして何と言っても一番の楽しみだったのが朝食ブッフェ。東京駅駅舎の最上階、というか元屋根裏部屋が現在は大きな天窓を擁したアトリウムとしてホテルの朝食室になっている。駅舎正面の三角屋根、そのホーム側の屋根が天窓になってたなんて知らなかった。
開放的なアトリウムの雰囲気も素敵だし食事の内容もスンバラしくて、今思い出しても幸せな気分になる。種類も豊富でどれを食べても美味しかった。ブッフェ形式の朝食は正直あまり好きではないけれど、ここだけはまた行きたいと思える。食事を終えて帰り際にお土産の木村屋のあんぱんと蒸しケーキをもらえたのも嬉しい。

ホテルの居心地の良さもさることながら、文字通り駅直結なので便利なのがたまらない魅力。
夫はゆとりを持って身支度をして仕事に出かけた。私もリフレッシュできたおかげで修羅場と化した職場へと余裕を持って出勤できた。お昼ご飯に木村屋のあんぱんを頂きながら、贅沢な余韻に浸って働けるこんなやり方も悪くはないなと思いました。ストレス溜まったらこんな風に発散してやろうと思ったら俄然やる気になりましたとさ。
元気をありがとう!

2018年7月4日水曜日

リハビリ三昧

リハビリで大変な思いをしている人には不謹慎なタイトルですが、手術後の私の不具合であるなんだかとっても口が開けずらいんだについて。
食べることが生きがいだった私にとって、食事の時に口の開閉の微調整に苦しむのはなんとも苦痛。何度も言うようにリハビリは早い時期に取り組むほど回復が望まれるという話を信じるなら、早急に手を打たなくちゃだわ。
ということで退院祝いも兼ねてご馳走を食べに行きました。久々の帝国ホテル飯。鉄板焼きの嘉門です!

上高地帝国ホテルの鉄板焼きで豪遊 した思い出が蘇るガンダム。死ぬかもしれないと思った後なんだから今食べないでいつ食べるというのだ!と夫に誘われてのゴージャス飯です。いや、あーた私の病気にかこつけて自分が食べたいだけなんじゃないか…と思いつつ、せっかくそう言って誘ってくれてるのだからと自分に言い訳して食い意地の張った二人は今日もゆく。

スペシャルな食事なので奮発しました。本日のチョイスは和田倉門コース。前置きはもういいから行ってみよう!
お通し 玉ねぎチップスが美味しかった
牛たたきのサラダ
本日の役者達がお目見えです
めくるめくひととき。何も考えずに目の前で繰り広げられる景色を楽しみ味わう。鉄板焼きの醍醐味ですね。料理人が目の前に恭しく今日の食材を捧げ持って現れたらショウの始まりです。
会いたかったよ!フォアグラ

伊勢海老はお箸で食べやすくしてあった
見事な手さばきに見惚れるもよし、語らうもよし、ゆったりと時間が流れていく。お腹も心も満たされていく感じが心地よい。
あわび〜
肉!ロースとフィレを夫とシェア
あっという間にお開き。でも楽しかった。本日の料理人はうら若き女性。この春に嘉門に配属されるまではブラッスリーの厨房にいたとか。人前で調理するのはまた違う大変さがあるでしょうと聞くと、ご本人はお客様の身近で調理できる嘉門に前から興味があったとか。調理する人とお話ができるのも鉄板焼きの楽しみの一つ。いろんな人生があるのだなと思う。
ガーリックライスと赤出汁
あまり特徴がなかったオリーブ麺
〆はガーリックライスで。和田倉門の魅力は追加料金なしでご飯ものをチョイスできること。今回はお肉同様にガーリックライスとオリーブ麺を夫と半々にしていただきました。
食事が終わると別室に通されてコーヒータイム。数種類のデセールから好きなだけ選んで盛り合わせて貰えます。全部欲しい!と行きたいところですが、流石に満腹。
チョコケーキが美味しかった
えーと、お口のリハビリ企画だったわけですが、お箸で行けちゃう趣向だったのであまり不自由を感じませんでした。どんと晴れ!
もっと早く更新する予定でしたが、思いの外忙しくて遅くなり申した。予想はしていたけど、長い休みのあとは仕事が大変なことになっていてまだまだまだま〜だ、厄介ごとが続く予感。
次回は愚痴大会にならないように励みまする。
しかし、美味しいものを食べてしみじみと生きててよかった〜〜

2018年6月17日日曜日

帰ってきた酔っ払い

報告が遅くなりましたが脳血管バイパス手術から無事に生還しましたよ、と。
入院期間は10日間。脳梗塞の時は退院して1週間で職場復帰しましたが、今回は外科手術ということもあり退院後は2週間の休養をとりました。てな訳で先日からお仕事復活しています。
退院後の2週間をだらだらして過ごしたせいか、はたまた脳みそいじったせいか、あんなに大好きだった仕事に対して情熱が戻ってこない。このままお家で猫のお世話してのんべんだらりと過ごしたい。払った手術代を稼がにゃならんから、そうも行かないのですが…。休暇中の仕事の事後処理のうっとおしさも手伝ってブログ更新もできないほど大忙しの毎日でしたが、仕事の愚痴はまたそのうちup予定(^^;)

さて、もしも同様の手術を控えて不安になっている人のイメージトレーニングになれば幸い&備忘録として血行再建術がどのようなものか患者の視点から書きつくるものなり。お立ち会い。
まずは手術の前日に入院。病院によっては施術の数日前に入院してから検査をしたりするみたいですが、私はあらかじめ検査を済ませていたので前日入りです。多分、余計なものを飲み食いされないよう監視の意味もある…のかな?
当日は施術の準備前に家族は来院するように言われた。お別れの挨拶をするのか?!と思ったけど手術中は万一に備えて必ず身内が病院に詰めるという決まりがあるらしい。手術は6時間を予定と言われていたけど結局8時間かかったのでその間、やることも無しに待っていた家人には本当に申し訳ない。

術後の目覚めは翌日。血圧が安定するまでは薬で眠らされ続けるぽい。なんとなく普通に目覚めてそのまま普通に入院生活が始まった。今回はリハビリも高次脳機能障害検査もなし。確か手術の翌日にはもう自力でトイレに行く許可が貰えた。ちょっとこのあたりは記憶が曖昧。丸一日断食状態だったのでお腹が空いていたけど、ここでいきなり食べると盛大なゲップと共に戻してしまうのでご注意を。水を飲んだりお腹をさすって胃腸を目覚めさせてから食べましょう。
髪の毛は剃ると聞いていたけれど剃らずにそのまま施術していた。相撲取りの鬢付け油みたいなので髪の毛を固めてあり、そこにメスを入れた跡がフランケンシュタインのように手術用ホチキスでダダダダと閉じられていてなかなか生々しい。だけど一番目を引くのは顔つき。ものすごく腫れて人相が変わってる。トイレに立つたびに鏡に映った姿を見て「はちゃ〜」と思う。お見舞いに行くよと言ってくれた友人達に「遠いから来なくて
いいよ」とお断りしておいて良かったよ。3日くらいは水木しげるの描く妖怪みたいな顔で過ごさねばならなかった。
何と言っても脳天をカチ割っているので「大怪我したな〜」という感じは否めない。開頭した右側はなんとなく庇ってしまうし、術後一ヶ月が経過した今でも痛痒い感覚は残っているしカサブタが取れる際に毛髪がごそっと取れてハゲるのが怖い。←マジで怖いから良い子は自分でカサブタ取ったらダメだお。
特に後遺症も見られず問題なく過ごせているようでも、入院中と退院数日後の2回ほどしゃべっている最中に突然呂律が回らなくなり不安になった。リハビリは早くやる程効果が出ると聞いていたのでハッキリと話す練習に勤しんだ。とはいえ院内の階段を上り下りするような運動能力の自主トレは不自然さがないものの、誰もこない階段の踊り場で「アメンボ赤いなアイウエオ〜」とお喋りの訓練をする姿はかなり怪しげであったろうと思う。
それでも自主トレの甲斐があったのか、今の所喋るのには困らない。
唯一困っているのは大口が開けにくくなった事。正確には微妙なさじ加減で口を開けるのが難しくなってオニギリや肉の塊を口に入れる時に不自由を感じる。顎を動かす際に連動して動く頭の筋肉が無意識に手術の切開部分を庇うのか、あるいはその辺りの神経が開頭の際にイカれたか。何にしても食事の際に食べこぼししそうで一気に年寄りになった気分。不便な事と言えばそれくらいかな。

術後は「絶対大丈夫だとは思ってたけど、もし記憶を無くしたらどうしようかと思ったよ」と友人に言われた。記憶をなくす?!という発想はなかったけど、万が一という事もあるので私も正直怖かった。だけどこの血行再建手術は何度も繰り返してるという人もいるし(それはそれで大変だと思うけど)同じ症例数の豊富な病院で行う分にはそんなに恐れなくても良いみたいです。普通に帰って来られましたぞ!
今後は定期的にMRI検査などで経過をチェックされる予定。もやもや病の厄介なところは原因が不明だから次はココみたいに別の血管が再び閉じたりしてその都度血行再建術が必要になるかもしれないところ。さらに厄介だと思うのはそのために起きる悪い症状が出るか出ないかは人によってまちまちなところ。事によると今回のこの手術だってもしかすると不要だったかも、とか考えだすと実に恨めしい。お薦めされるままに&興味本位で今回は手術を受けたけど、次にまたと言われた時には余程な事がない限り「もう次はいいかな…次来たらそれはそういう運命なんだと思おう」と考える。つまりは何度も受けたいとは思わない手術でありました。そんな感じ。

2018年6月8日金曜日

猫のいる部屋 9

日本に帰国が決まった時、犬は関税に預け入れ期間があるが猫はそのまま簡易に連れ帰ることができると聞いて心が揺れた。だけど果たしてボブ=オトヒメはそれを望むだろうか?危険がいっぱいで閉じ込めざるを得ない見知らぬ異国の地へ私たちと一緒に来てもオトヒメが幸せになれるとは絶対に思えなかった。


結局、私たちはオトヒメをアパートに残して帰国した。アパートにはオトヒメの世話をしてくれる学生がたくさんいたけど、それでも私はオトヒメが帰らぬ同居人を心配してしばらくは寂しそうに部屋の外で待つだろうその姿を思って自分を責め続けた。オトヒメの幸せを願ったからこそのお別れだったけれど猫に人間の事情なんてわかるわけもなく、なんという酷いことをしてしまったんだろう。私はその時に、もう自分には猫を飼う資格などないのだと堅く心に決めていた。最後まで世話をする覚悟無しでどんな生き物にももう絶対に私は触れてはならない。そう決意するほどに悔恨と贖罪の念に苛まれた。それから10年も経ってから迷い猫を保護して結局再び猫と暮らせる幸せを手にいれたけれど、オトヒメとのことは決して忘れてはいけない苦い思い出になった。
その思いがあるからオトヒメのいるここへ私は来たのだろうか?
しかしそれは腑に落ちない。その後日本で一緒に暮らした猫との思い出だって同様に自分の中では大きな位置を占めている。猫に限らず日本で暮らした長い歳月よりも若い日の一瞬の煌きだったここでの生活が優っていたとは必ずしも言い切れない。私が自分でここを選んだとはとても思えないのだ。

でも知る人もいない異国のこの土地で、一体誰が私を引き寄せるだろうか?
この猫以外に!
「オトヒメ、本当にあなたが私をここに呼んでくれたの?私はあなたを置き去りにしたのに?」
真顔になってオトヒメの顔を覗き込むと「そうだとも!」と彼は嬉しそうに腹を見せて甘えた。
この世界では思いの強さが会いたい者を引き寄せるという。
オトヒメとお気に入りの場所
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

おしまい

2018年6月5日火曜日

猫のいる部屋 8


会いたいと強く願った者の所へ引き寄せられる。それが本当なら強く願って待つしかない。ただし夫はまだ存命だ。ほどほどの匙加減で願わなければ。
でもちょっと待って。確かにここは私の楽しい思い出の地だが、本当に私はここに来たいと願ったろうか?思い入れのある土地はここ以外にもある。何と言っても私はここには2年しかいなかったのだ。その後の人生と照らし合わせて、ここが絶対とは考えにくい。
さりとて強い願いで私を引き寄せるような人物がこの街にいるとは思えない。夫は…未だ存命のはず。うん、そうだ。悲しいけれど彼に看取られた記憶が確かにある。この世界にはまだ私の知らない謎が隠れていそうだ。

物思いに耽る私をオトヒメがじっと見あげている。「引き寄せたのはお前だったりしてね。」おどけてオトヒメの猫の額を優しく撫でてみる。オトヒメは「そうだとも!」と満足そうに額をすり寄せてきた。

オトヒメ
どうしてオトヒメはここにいるのだろう?
どうして私と一緒にいるのだろう?

オトヒメはいわばこのアパートの猫だ。誰のものでもなかったのだ。学生街のこの街ではアパートの住人はほぼ一年毎に入れ替わる。オトヒメを置き去りにして転居した学生は実はオトヒメを置き去りにしたわけではなかった。それを知ったのはオトヒメと暮らし始めてから四ヶ月ほど経った頃だった。
オトヒメは私たちと暮らすようになった初期の頃、夜になると外へ出せと言いだし、しばらくすると帰って来るということを二日ばかり繰り返した。どこへ行くのかと二日目の晩にあとをつけると以前の飼い主と暮らしていた部屋の前でドアを開けよと鳴いていた。新しい住人が暮らす閉ざされた部屋の明かりを悲しげに見つめていたのだ。そばまで来た私に気がつくとオトヒメは「もういいんだよ」というように私の足にすり寄って、それ以来もう以前の部屋の前に座り込むことはなくなった。
そのオトヒメが帰ってこなくなったことがある。どこか狭いところから出られなくなってはいないだろうか、事故にあったろうかと心配して1週間ほどが経過した。もしオトヒメと再会できてもきっとボロボロの痩せこけた姿で発見されるだろうと思っていたのに夜半にドアの外で私たちを大声で呼ばわってから帰宅したオトヒメは毛並みもツヤツヤでシャンプーの匂いまでさせていた。むしろ失踪前よりうんと綺麗になって帰って来た。
オトヒメを気に入った誰かが自分の部屋に閉じ込めて帰れなくしていただけだったのだ。いずれ帰国する運命の私たちとしてはこれだけ丁寧にお世話してくれる人がオトヒメを大切にしてくれるならそれに越したことはない、と思った。
とりあえず首輪をなくしているので念のために新しいものを買い与えて、再びオトヒメが帰らなくなった時には「また別宅へ行ったな」と今度は安心していた。三日後、帰宅したオトヒメは首輪にメッセージをつけていた。
To the person who has been taking care of me」(僕の世話をしてくれていた人へ)で始まるその手紙はユーモアと愛に溢れ、私は今でもそれを手にすると涙が溢れる。
「僕の名前はボブです。僕は新しい部屋では幸せではありませんでした。僕は四六時中閉じ込められてしまうのです。もし、あなたが僕をとどめておきたいならどうか以下のナンバーに電話をして古い飼い主に知らせてください。そうすれば彼はもう僕を心配しないで済みますから。Thank you
私はこんなに愛情深い手紙を読んだことがありません。こんなに前の飼い主はこの猫を愛していたのに、そしてこの猫もご主人をあんなに愛していたはずなのに。猫は家に付くという。その猫の業の深さに思わず泣いた。
夫が早速電話をするとその学生は「ボブが幸せならそれが一番なのさ」と言ってくれた。
ああ、それなのに!私はオトヒメとあんな別れ方をしてしまうなんて。

2018年6月2日土曜日

猫のいる部屋 7


「ミセスウエダ…。アップルヒルの農園は今もお持ちですか?私、あの頃行ったあの風景が忘れられません。また行ってみたいのですが、ご一緒しませんか?私、車を出しますから案内していただけませんか?」
「あら、素敵ね。1人になってからはもう長いこと行ってないからどうなってるかしらねぇ。リンゴの世話は人に任せっきりだったのよ。ピクニックにはまだ暑い季節だけど、あの丘の上の木陰は風がわたって気持ちいいわ。私、あの丘の風景が大好きなのよ。じゃ、お弁当を持って行きましょう。いつならご都合がいいかしら?楽しみだわ。」

基本的に遠出しないと丘などない土地だった
早速その週末に農園の入り口に車を乗り付けた。丘を見上げると作業小屋の横で機械の手入れをしている人がいる。ウエダ夫人は突然少女のように駆け出してゆきその人物に飛びついた。
「ああ、君か!やっと来た。」プロフェッサーは夫人の体をしっかりと抱きとめると口づけをして彼女の顔を何度も覗きこんだ。「やっと来た。ずっと待っていたよ。」
夫人は恥ずかしそうにこちらを見て「ほらね、待っていればいつかは会えるのよ。」と言った。
夫妻の農園の小さな家に招かれて一緒にお弁当を食べた。
「僕はね、絶対に君はここへ真っ先に来るものだと思ってたんだよ。」
「私は絶対にデイビスの家だと思ってましたよ。農園の仕事は大変だとあなた、文句ばかり言ってらしたじゃないの。」
「でもここは海こそ見えないけど瀬戸内の丘みたいだと、君が言ったんだよ。だから決めた場所じゃないか。君が一番好きな場所はここなんだと僕は思ってたんだよ。」
「何にしてもお二人がこうしてまた一緒に会えて良かったですよ。結局、居たいと願った場所がその人の居場所になるんでしょうかね?待てば会えると皆さんはおっしゃるのですが、今日のような偶然の再会を待つしかないんでしょうか?何かご存知ですか?」
「随分前に思いの強さが引き寄せると教えてくれた人がいるけれど…どうなのかしら、会いたいと強く願ってる人の方へ引き寄せられることがあるんですって。だから私はずっと強く願っていたんですけどね。」
「じゃあ僕の引き寄せる力が君よりも強かったということだね。」プロフェッサーは満足そうに夫人の手を握った。見つめ合う2人。
こうしてアップルヒルからは1人で帰路に着いた。幸せな気持ちと共に。

2018年5月30日水曜日

猫のいる部屋 6


鈍い私もなんとなくこの世界のことが飲み込めて来た。この街で友人を積極的に作っていたなら、もっと早く情報収集できて理解が早かったかもしれない。いいや、友達が多かろうが少なかろうが同じことだ。自分の知人のみんながみんな、ここへ来るとは限らないから。人はそれぞれに思い入れのある場所が違う。
頭の中を整理して、私はウエダ夫人の家を訪ねることにした。いつでもいらしてね、というお言葉に甘えて。
「まあ、嬉しいわ。ご近所に長いおつきあいのお友達はたくさんいるけど、ニューカマーとはお知り合いになれるチャンスが少ないですものね。新しいお友達は大歓迎よ。」
ウエダ夫人はウキウキと私を家に招き入れてくれた。物静かなご婦人という印象しか持っていなかったけれど、昭和の初期に海を渡って異国で暮らす勇気を思えばとても好奇心旺盛なアグレシッブな女性だったのかもしれない。
「聞きたいことがあっていらしたんでしょう?」紅茶を淹れて一息ついてからウエダ夫人は何でも聞いてちょうだいと促した。
「プロフェッサー ウエダはお元気ですか?」一度しか面識はないがウエダ夫人のご主人がこの学園都市の大学教授だったのは日本人駐在員の家族なら誰でも知っていた。
「あの人はね…私はてっきりここなんだと思ったんだけど、あの人には違ったみたいね」ふふふ、とチャーミングな笑顔でウエダ夫人は笑った。
やはりスズコさんのところと同じだ。ご主人とは一緒に暮らしていないらしい。年の頃から言って、ご主人がご存命とは思えないから待っていれば来るというものでもなさそうだけど?
「別の場所にいらしてるんでしょうか?」
「そうね、ことによると日本の生まれ故郷かもしれないわね。とても故郷のことを懐かしんでいたから。」
「ええっと、これは自分が一番思い入れのある場所に…来る、ということですか?」
「そうね、思いの強さがそうさせるのかしらね。私はね、日本はそれはもう懐かしくて思い入れもあるんだけれど、何と言ってもここはあの人と長く暮らした場所ですものね。一番ここが好きなんだわ。」
「離れてからどれくらいになりますか?場所が違ってはぐれてしまうと、もう会えないのでしょうか?」
「ここでは時間なんて無意味だわ。待っていれば来ますよ、きっと。」

どうしてみんな、達観したようなことを言うのだろう。死んだ時に一旦諦めがつくのだろうか。私は確かに若い頃にこの土地での生活を楽しんだけれど、やっぱりそれは夫がいたから楽しかったのだ。ここが死後の世界なのだとしたら「早くここへ来い!」とは確かにこの状況では願いにくいことだから「今すぐ!」とは思えないけど、もしも夫が亡くなってから別の場所に行かれしまうのだとしたら、それはちょっと切ないな。
観光農園の思い出
私がプロフェッサーウエダと会ったのは一度きり。リタイア後の隠居生活を楽しむためにご夫妻はこの街から少し離れた山間部のアップルヒルという場所に小さな果樹園を手に入れて細々と果樹園経営を始めていた。秋の収穫時期にお誘いを受けてその果樹園を訪れた時にオーバーオール姿のプロフェッサーウエダが収穫したリンゴを磨く機械の入った作業小屋を案内してくれたことがある。
とても暖かみのある穏やかな老人で夫婦が寄り添ってリンゴが磨かれていく様子を愛おしそうに眺めていたのを昨日のことのように思い出す。紅葉で金色に輝くアップルヒルの風景と相まって彼らは私の理想の老夫婦の姿だったのだ。
それなのに今は一緒にいられないだなんて。