いらっしゃいませ

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2018年6月17日日曜日

帰ってきた酔っ払い

報告が遅くなりましたが脳血管バイパス手術から無事に生還しましたよ、と。
入院期間は10日間。脳梗塞の時は退院して1週間で職場復帰しましたが、今回は外科手術ということもあり退院後は2週間の休養をとりました。てな訳で先日からお仕事復活しています。
退院後の2週間をだらだらして過ごしたせいか、はたまた脳みそいじったせいか、あんなに大好きだった仕事に対して情熱が戻ってこない。このままお家で猫のお世話してのんべんだらりと過ごしたい。払った手術代を稼がにゃならんから、そうも行かないのですが…。休暇中の仕事の事後処理のうっとおしさも手伝ってブログ更新もできないほど大忙しの毎日でしたが、仕事の愚痴はまたそのうちup予定(^^;)

さて、もしも同様の手術を控えて不安になっている人のイメージトレーニングになれば幸い&備忘録として血行再建術がどのようなものか患者の視点から書きつくるものなり。お立ち会い。
まずは手術の前日に入院。病院によっては施術の数日前に入院してから検査をしたりするみたいですが、私はあらかじめ検査を済ませていたので前日入りです。多分、余計なものを飲み食いされないよう監視の意味もある…のかな?
当日は施術の準備前に家族は来院するように言われた。お別れの挨拶をするのか?!と思ったけど手術中は万一に備えて必ず身内が病院に詰めるという決まりがあるらしい。手術は6時間を予定と言われていたけど結局8時間かかったのでその間、やることも無しに待っていた家人には本当に申し訳ない。

術後の目覚めは翌日。血圧が安定するまでは薬で眠らされ続けるぽい。なんとなく普通に目覚めてそのまま普通に入院生活が始まった。今回はリハビリも高次脳機能障害検査もなし。確か手術の翌日にはもう自力でトイレに行く許可が貰えた。ちょっとこのあたりは記憶が曖昧。丸一日断食状態だったのでお腹が空いていたけど、ここでいきなり食べると盛大なゲップと共に戻してしまうのでご注意を。水を飲んだりお腹をさすって胃腸を目覚めさせてから食べましょう。
髪の毛は剃ると聞いていたけれど剃らずにそのまま施術していた。相撲取りの鬢付け油みたいなので髪の毛を固めてあり、そこにメスを入れた跡がフランケンシュタインのように手術用ホチキスでダダダダと閉じられていてなかなか生々しい。だけど一番目を引くのは顔つき。ものすごく腫れて人相が変わってる。トイレに立つたびに鏡に映った姿を見て「はちゃ〜」と思う。お見舞いに行くよと言ってくれた友人達に「遠いから来なくて
いいよ」とお断りしておいて良かったよ。3日くらいは水木しげるの描く妖怪みたいな顔で過ごさねばならなかった。
何と言っても脳天をカチ割っているので「大怪我したな〜」という感じは否めない。開頭した右側はなんとなく庇ってしまうし、術後一ヶ月が経過した今でも痛痒い感覚は残っているしカサブタが取れる際に毛髪がごそっと取れてハゲるのが怖い。←マジで怖いから良い子は自分でカサブタ取ったらダメだお。
特に後遺症も見られず問題なく過ごせているようでも、入院中と退院数日後の2回ほどしゃべっている最中に突然呂律が回らなくなり不安になった。リハビリは早くやる程効果が出ると聞いていたのでハッキリと話す練習に勤しんだ。とはいえ院内の階段を上り下りするような運動能力の自主トレは不自然さがないものの、誰もこない階段の踊り場で「アメンボ赤いなアイウエオ〜」とお喋りの訓練をする姿はかなり怪しげであったろうと思う。
それでも自主トレの甲斐があったのか、今の所喋るのには困らない。
唯一困っているのは大口が開けにくくなった事。正確には微妙なさじ加減で口を開けるのが難しくなってオニギリや肉の塊を口に入れる時に不自由を感じる。顎を動かす際に連動して動く頭の筋肉が無意識に手術の切開部分を庇うのか、あるいはその辺りの神経が開頭の際にイカれたか。何にしても食事の際に食べこぼししそうで一気に年寄りになった気分。不便な事と言えばそれくらいかな。

術後は「絶対大丈夫だとは思ってたけど、もし記憶を無くしたらどうしようかと思ったよ」と友人に言われた。記憶をなくす?!という発想はなかったけど、万が一という事もあるので私も正直怖かった。だけどこの血行再建手術は何度も繰り返してるという人もいるし(それはそれで大変だと思うけど)同じ症例数の豊富な病院で行う分にはそんなに恐れなくても良いみたいです。普通に帰って来られましたぞ!
今後は定期的にMRI検査などで経過をチェックされる予定。もやもや病の厄介なところは原因が不明だから次はココみたいに別の血管が再び閉じたりしてその都度血行再建術が必要になるかもしれないところ。さらに厄介だと思うのはそのために起きる悪い症状が出るか出ないかは人によってまちまちなところ。事によると今回のこの手術だってもしかすると不要だったかも、とか考えだすと実に恨めしい。お薦めされるままに&興味本位で今回は手術を受けたけど、次にまたと言われた時には余程な事がない限り「もう次はいいかな…次来たらそれはそういう運命なんだと思おう」と考える。つまりは何度も受けたいとは思わない手術でありました。そんな感じ。

2018年5月14日月曜日

しばしのお別れ

検査結果を主治医から聞いた。その週の金曜に医療チーム全体のミーティングがあり、具体的な治療方針はそこで固められると言う。もちろんこちらの意思も尊重される。さしあたって退院時に行われた主治医の説明は検査結果の報告に止まった。
昨年の脳梗塞発生直後よりも明らかに塞がった血管。狭窄部の範囲も広がっているようで、現段階ではこう見えて血は通っているものの将来的には結局血行再建術が必要になる感じ。脳疾患のリスクを抱えたまま余生を過ごすにはまだ若すぎるでしょう、と言う話だった。検査の様子から鑑みて血行再建術は脳バイパス手術になるであろうこと、頭蓋骨周辺の血管(浅側頭動脈)もあまり良い状態ではないので私の場合は腕の橈骨(とうこつ)動脈を取り出して利用することになるかもしれない。施術範囲が広がり結構難易度の高い施術。

「そのままでもなんとかなるかもね〜」なんて検査結果になるやも知れぬと言う一縷の望みは叶わなかった。その上、今や猫のことが心配。ダメなんだろうなという予感とただひたすらに仕方がないという思いで帰路につく。仕方がない。仕方がないのだ。

お気に入りの場所でいつものように眠っているような姿の愛猫ディーと、そのかたわらで椅子にずっと腰掛けていた様子の息子を見て、ひたすら申し訳なかった。だけど一声鳴いて、様子を見に来る息子の気配を感じながらきっとディーは安心して逝けたのではないかと思う。息子には過酷な経験をさせてしまったけど、絶命の瞬間に信頼できるヒトを呼んでそれに応えてくれる相手がいて良かったと息子に謝意を伝えた。誰もいない時に独りで逝く情景は寂しすぎる。それは勝手な解釈と百も承知だが、ディーがいろんなことを教えてくれた。自分もこうやって病に倒れたとしても、それはただひたすらに仕方がないことなのだ。

近所にあったペット霊園に電話をして火葬を頼む。夕刻に弔いが可能とのことでそれまで涼しい部屋に移し、タオルに包んで花やおやつと一緒に連れてくるように言われた。夫は「何もこのタイミングで逝かなくても」と絶句していたが私はむしろ救われた。覚悟したのは自分の死だったが、おかげで心残りのないほどにディーを愛でてから別れたのだ。退院の日だったから他に予定もなく、弔いの時間まではたっぷりとお別れの時間を取れた。冷たい部屋で一緒に横たわって何度も撫でた。撫でるとゴロゴロと喉を鳴らす声が聞こえて、何度も「あれ?まさか生きてる?」と話しかけた。
涙はとめどなく溢れたけど、一緒に過ごせた幸せを噛み締めて感謝の気持ちでいっぱいだった。弔いってこういうことなんだ。
火葬の間、猫の写真を飾りたいという夫の提案でスマホの写真データを眺めた。幸せな記憶が次々とよみがえり、私は泣きながら笑顔になっていた。
自分の葬式の必要性は感じなかったけど写真くらい飾りたいと思われた時用にこっそりと遺影フォルダを作って「使うならコレ!」みたいな奇跡的な数枚を用意した。猫は実にいろんなことを教えてくれたのだ。

さて、そんなこんなでいよいよ今週、血行再建手術が行われます。
何としても今月中に退院できるよう奮闘する所存。それというのも高額療養費制度の限度額は月をまたいだ分は再び支払い金額が発生するので。←同月内に収まった医療費なら限度額以上は払わなくて済むけど、月をまたぐと二ヶ月目の限度額までの支払いが発生する。
だからこの制度利用者は一ヶ月以内に入院が収まるように予定をきっちり立てましょう。これ豆知識な。

しばらく入院生活のためにブログはお休みですが、また会う日まで。
どうぞみなさまお元気で。

2018年5月7日月曜日

カテーテル検査入院

初めての検査入院。気持ちはそわそわ。
そりゃあ開頭手術に比べりゃ時間も短時間(1〜2時間)で終わるし、体に受ける負担も少ない。
気軽に受けてみてください、みたいな話だったのにいざ受けるとなったらリスク説明があって同意書にサインを求められる。脳みその血管に管を通すわけだし全くのノーリスクというわけには行かないわな。でも気軽に勧めておいて検査予約を入れた直後の同意書サインの段階になってから死ぬこともあるとか言われると…なんだかしてやられた気分なのよわさ。今更後には引けないではないか。

そもそも脳カテーテル検査ってどんなものなのかしら。脳梗塞の入院中に何人かが入れ替わりでこの検査のために同室になった。皆一泊二日の短い期間だけど、人によっては傷口が痛いと訴え続けたり、一晩中気持ちが悪いと言う人もいた。
検査前には止血のためのテープを貼るので剃毛してくるようにと言われた。でもどこまで剃ればいいの?とか疑問は尽きない。こんな時は魔法の箱に相談だ!
検索するとカテーテル検査の様子を実体験した人のブログから垣間見ることができる。
まずは剃毛は病院によって言うことが違うみたいだが概ね鼠蹊部を中心に止血テープを貼る位置に毛が無ければそれでいいらしい。脳梗塞の時にこの鼠蹊部テープは経験があるのでなんとなく検討はついた。要するに全部剃る必要はないということ。万が一不都合がある場合は施術前に看護師さんがなんとかしてくれるはずだからあまり深く考え込まずにショリショリしましょう
カテーテルを通す穴を開ける際に痛み止めのための局所麻酔をするのですが、これがチョーーー痛いと聞いていた。覚悟を決めて臨んだけどそうでもなかった。手順としては鎮静剤のガスマスクをはめられてこれのせいで酔っ払ったような気分になり、その間に局所麻酔をされたのであまり気にならなかった。むしろ鎮静剤のおかげでお酒を飲んだ時みたいになったので下戸の人ならもしかしてこれが気持ち悪くてダメだったのかな?と思った。
看護師さんが鎮静剤を入れる時に「少し眠くなりますよ」と言ったので「あ、じゃあ寝てていいんですか?」と聞くと施術中に指示が出るから完全に寝るのはやめてくださいと言われた。難しい。MRIの最中でも寝てしまう体質なので、ムムム。
酔い心地で施術開始。管が通っている感覚なのか時折鼻の奥がスーッと冷たくなる。造影剤を入れるとカーッと熱くなる。息を止めて〜と指示された時だけ言うとおりにして、後はふわふわと酔っ払いのように横たわるだけ。寝ているわけじゃないんだけど、時折いびきをかいてしまって焦る。これは筋肉が弛緩しているのか舌が気道に落ち込んでいびき音を出しているっぽい。施術後もこれはしばらく続いて病室で休んでいると不意に「ぐごっ」といびきをかいて気まずい思いをした。
そんなこんなで検査は終了。主治医が止血作業をする間、雑談もできる。

検査で死んだり重篤な後遺症がでることもあると聞いていたので、検査入院の前に私は遺書みたいなものを書いていた。基本的には家族に感謝の意をしたため、どこに何があるかとか、各種パスワードの類を提示して遺された人が困らないようにしておいた。興が乗ったので辞世の句までひねり出して準備万端整えていた。
家を出る時にはこれが最後かもしれないと覚悟して猫たちにも挨拶。存分に撫でてやり、声かけをして思い残しを無くしてから出かけた。
なんてことはない、検査は無事に済んだ。翌朝、退院の準備を整えて検査結果の報告を待つ間に夫も迎えに来てくれた。その夫に珍しく息子からメールが届く。
「今すぐ帰って来て。大声で鳴いてその後、猫が動かなくなった」

ああ、神様。昨日覚悟を決めてした挨拶が最後になるなんて。私じゃなくてあの子だったなんて。突然死ぬってこういうことなんだ。

2018年5月4日金曜日

病院へ行こう

退院後は日常生活をバタバタと送り、あっというまに三ヶ月経過。約束していたMRI検査を受けに行って、これでやれやれ一段落と思っていた私が甘かった。
検査後の診療で示された画像には、前回よりも狭窄部位が一層やせ細ってしまっている右脳の血管が写っている。右脳の血流が実際にはどうなっているのかを調べる必要があると言われた。
放射性物質を注射して脳内に流し込み、その動向を追跡して血の巡りを確認するという。あー、シンチレーションカウンターって放射線使った実験を昔やったなー。微生物に放射性物質与えて代謝の様子を調べるやつ。あれを自分の体でやる日が来るとはな…。
放射性物質注入という話の時点で拒否反応を示す人も中にはいるようだが、自分が微生物相手にやってきたことなので抵抗はなかった。てゆーか、こんなところで因果応報?
母親はヒロシマ被爆者だし、今更放射能でどうこうは思わない。検査そのものは興味もあって受けることはやぶさかではないのだが、しかし検査後の治療となると話は別だ。
医師は丁寧に今後の予想される流れについて説明してくれた。退院の際にかいつまんで聞かせてくれた話を再度ここで繰り返してくれる。
脳内の内頚動脈が塞がる原因不明の病気。塞がった血管の代わりに毛細血管が発達して血流を補い、もやもやとした陰影に見える微細血管群を形成する。しかし本来細い血管に無理をさせるので脳出血のリスクも高くなるし細い血管のせいで脳梗塞リスクも増す。要するに突然死の可能性が高くなる病気。原因不明だから治療法はないが対処療法として血行再建手術が行われる。(血行再建術の適用には各種ガイドラインがあるっぽい)

血流が確保できていれば良いが、血流検査の結果いかんでは血行再建術の必要がある。その際はカテーテル検査をして実際の血管の状況を見極めて、その上でどのような治療に当たるかを検討する。カテーテル手術で済む場合もあるし、事によると開頭手術で脳の内外の血管を繋げる場合もある。
ざっとこんな流れ。すでに工場のラインに乗せられた気持ちで、しかしながら検査をしないことには始まらんと思い速攻で検査予約を入れる。血流確保が確認できてれば当面は済む話なのだ。
検査で自分の置かれた状況を把握するのはいいだろう。だけどそれと大仰な治療を施すかどうかは別問題。突然死の可能性が高い病気と言われても、人はいつかは死ぬようにできている。死ぬ時というのはいつだって誰にとっても突然なんだから。
治療をしなければ突然死ぬかもしれないけど、死の直前まで何食わぬ顔で普段の生活ができるのであればそれは本望だ。嗚呼、私が愛したあの猫のように!
(注:この段階では愛猫はまだ存命)もし治療を受けることで100まで長生きできたとしても、体に負担をかけてまで日々衰弱しながらじっくり時間をかけて死を迎えるのであるなら意味を見出せない。それに治療というのはそう簡単なことではないと思うから逆に命を縮めることだってありうるのだ。
自然に任せるわけには行かないのだろうか?
「あんた血管が閉じてる段階ですでに体に負担かけてるわけだからさ」と夫には呆れられ、「猫だって腎不全の時に輸液をいれて治療したさ」と説得され、手術を拒否りそうな私を警戒した夫はシンチグラフ(血流検査)の診断結果を聞く時に付き添ってきた。

シンチ画像はこんな感じ
赤いのは血流ブンブン
黒いのは…しーんとしてる
結果は右脳のやつ、サボってやがる。サーモグラフのように映し出された血流は右側真っ黒。てゆーか、私は左半身をどうやって動かしているんでしょうかね?
この画像を見て説明を受けてそれでもなお「このまま何もしないという選択はありますか?」という質問をしたら夫に「この状況でバカなのー!」と怒られた。
でも医師は「そういう選択もあります」と言ってくれた。あくまでも患者の意思は尊重されるらしい。むしろそう言ってもらえたことで決心はついた。
次の段階であるカテーテル検査を受けることにして、これはもう完全に工場のラインに乗ったな、とベルトコンベアーに乗って流れていく自分を想像しながら病院を後にした。

2018年4月30日月曜日

朝の気配

「あなたにはその自覚がないでしょうが、重篤な病気ではあるので我慢してください」
入院中に毎朝回診にくる医師は「早く退院できないか?」と聞く私にそう言った。
確かに、脳梗塞を起こした人は多かれ少なかれ脳細胞の一部が死んでしまうわけで、その死んだ部位に応じて何かしらのリハビリが必要になる。
以前も書いたが私は右脳の大脳辺縁系の一部がお釈迦になっている。この部位は元々何を担っているか現代科学では未知の領域のために、私の失われた能力が何だったかは未だに不明。思ったことが瞬時に口から垂れ流しになるところがあった私ですが、脳梗塞後は一呼吸置くようになったから、無くして良い能力が失われたのかな?
と、前向きに捉えて2週間分の点滴を打つためだけの入院生活を余儀なくされた。

実際には入院中に脳梗塞の原因となった病気を抱えていないかどうか色々な検査をすることになります。主に血栓発生源となる心臓疾患を持っていないかとか、動脈硬化の兆候はないかとか、そんな各種検査を日替わりであれこれと。でもさすがに2週間はかからない。私にとっては寝ている他にやることがない長い2週間になったけど、リハビリが必要な人にとっては回復に向けたがむしゃらな期間になったことと思う。後から聞いたことだけど、リハビリは問題発生時から時間が経過するほどに回復力が落ちるのだという。なるべく早い期間にできるだけ多くの能力を再獲得するべく奮闘する必要があるらしい。集中治療室を出た後、同室になったご婦人は歩行訓練が終わると次は計算問題、字を書く練習と入れ替わり立ち替わりリハビリの先生が現れて大忙しだった。大変な思いをしている人の前で「お家に帰りたいよー」と寝てるだけの私が言うのもおこがましいので以降は口を慎んだ。

脳に傷を負った重篤な病気だから、退院しても2週間は自宅療養を、つまりは脳梗塞の後一ヶ月は様子をみてゆっくりしてくださいとの由(退院の1週間後には予行演習してから職場復帰しちゃったけどね)。血液をサラサラにする抗血小板薬を処方され、流血しやすい体になっているから怪我に注意ということも言われた。その他には血管がキュッとなるような寒暖差のある場所に注意。それ以外はお酒を飲んでも飛行機に乗っても問題ないとのこと。退院前の諸注意はそれくらい。あとは脳の検査結果画像を指し示して脳血管の狭窄部位が認められ、それが今後引き起こすかもしれない病気の可能性について説明があって、三ヶ月後の経過観察検査予約をしてまずは退院。衝撃の病気告知の始まりなんて、こんな風に何気ない会話の中で予告されているのね。
この時は何の不安も感じずに、退院の喜びと共に生きていることに感謝して普段の生活へ帰って行った。

退院後に起きた変化といえば毎朝起き抜けに病院の朝食の匂いがすることくらい。入院中は病院の厨房から漂う朝食の香りで目覚めていたけど、あれは実はご飯の匂いではなく私の脳内で朝になると勝手に起きる不思議現象だったらしい。この不可解な生理現象はほどなく消えた。嗅覚を司る脳細胞は私の死んだ脳組織のそばにあることを後で調べて知った。脳みそって不思議。有り体に言って豆腐の味噌汁みたいな匂いだったんだけど…

さて今回のおさらい。入院中の諸注意としては早期のリハビリ!そして私のように寝てばかり生活になると顕著に筋肉が衰えるので筋トレに励みましょう。筋肉の衰えはてきめんに腰痛を引き起こします。私はご飯を食べてるだけで腰が痛くなったことに衝撃を受けて療養期間中はひたすら筋トレに励みました。
後もう一点。入院期間中に高額療養費の限度額適用申請を必ずやりましょうね。脳の外科処置は半端なくお金がかかるから、限度額以上の出費は是非とも抑えましょう。
入院のお金の話は こちらも参照ください 

2018年4月25日水曜日

忍び寄る兆候

前回の約束どおり、私の病気発覚の経緯について書こうと思います。参考になりますれば幸い。脳梗塞のくだりは去年の重複になりますが、せっかくタグを作ったのでまとめということでご了承ください。では行ってみよ!

今から思えば一番最初の兆候は5年前の2013年に始まる。痛みに鈍感なはずの私が明け方に耐えられないほどの首から肩にかけての激痛で目が覚めるようになった。とにかく痛くて寝てられない。なのに目が覚めても痛みのせいですぐには起き上がることもできない。そんな謎の激痛に悩まされる朝が2週間ほど続いただろうか。起きて活動を開始すれば痛みは消える。不審に思いながらもこれが老化というものか…と諦めていた。腰痛は筋力の衰えからくると小耳に挟んだのでせっせと首回りの血行を良くする運動をネットで検索しては試し、肩周りの筋トレに励み、そうこうするうちに痛みは起きなくなった。これが第一フェイズ
時期的には首の痛みに悩まされることがなくなってほどなく、日中の活動中にめまいを感じるようになった。かがみこんだり首の位置を大きく動かした時にその動きの延長線に向けて投げ出されるような遠心力を感じることがある。それでふらついて転倒するというようなものではなかったけれど「ひょ〜、また来たあれだ」とこの妙な感覚をアトラクションの乗り物のように楽しんでいた。
たまたま健康診断の時期に当たったこともあり、問診の時にその話をした。すると医師は「紹介状を書くから今すぐこの足で直ちに脳外科に行って検査を受けてください」ですと。ただならぬ様子で私は急遽病院送りになった。脳外科の先生は私の話を聞いて頭痛も吐き気もないことと、めまいの様子が脳梗塞のそれとはかなり異なる風味なので緊急性はないと判断をした。しかしながらMRIの予約をして後日検査を受けるように言われて初めてのMRIを受けることとなった。
年をとると耳の平衡感覚を司る耳石という組織が自然と剥がれて目眩が起きることがあるという。事実、初めてのMRIを控えて興奮気味の私に職場の先輩は「それね、年取るとみんななるのよ。じきに慣れちゃうから大丈夫よ」と教えてくれた。ああ、だけど果たせるかな。そう教えてくれた先輩はその数年後には私と同様に脳梗塞を起こしているではないか!目眩、おそるべし。慣れちゃダメ、絶対!
さて第二フェイズの目眩も結局は検査の結果で脳に異常なしと診断された。目眩もいつしか慣れたのか感じることはほとんどなくなった。

それから時は移って昨年の8月。脳梗塞を起こす2ヶ月前に仕事で顕微鏡を覗いた私は焦点が合わないことに動揺した。全く視点が合わないのなら深刻に受け止めたろうが、この時は4x4の四角いマスが見えるはずのスライドグラスがきっちり5x5のマスになって見えた。「5x5のスライドなんて初めて見たわ〜。ところでいつものスライドはどこにあるの〜?」と聞いて周囲の人間から「5x5マスのスライドなんて、存在しねーよ」と呆れられた。これが第三フェイズ。念のため眼科で検査をしたがその時は視覚に異常は認められずに、疲れ目でぼやけて見える日があるのだろうという結論に達した。実際に困るのは顕微鏡を覗いた時だけで普段の生活には何の支障も来たさなかった。
そうやって二ヶ月後のある朝、運命の日は来た。「寝言のろれつが回ってないよ!」という夫の謎の声掛けで私は叩き起こされた。
さすがに寝言で病院送りはおかしいから、よっぽど苦しそうにしてたとか何かあったに違いないと後日、脳梗塞を起こした私がどんな様子だったかを夫に聞くと「見たことないくらい幸せな顔をしてた。だからおかしいと思った」ですと?!
普段、明け方に話しかけられたりすると私は「まだ寝られるのに起こすんじゃない!」とメチャクチャ機嫌が悪くなるらしい。しかしいつになく滑舌の悪い寝言を言う私に声をかけた時に怒らなかった、これは一大事!というのがことの顛末だったらしい。むぅ。

なんにせよ、発見が早くて救急搬送もスムーズにいき、当直の先生の適切な対応のおかげで後遺症もなく最短コースの2週間で退院できたので巡り合わせの幸運に感謝している。
本当にありがたいことでした。その後で病気が見つかった今でも、「あの時に私の人生は終わりだったかもしれないんだ」と思えばやっぱり執行猶予があるのはありがたいことだ。せっかくの猶予期間に、結局これといった準備はできてないんだけど。

次回は脳梗塞後の入院生活とかについて書きましょうかね。

2018年4月18日水曜日

死に至る病

病気のことタグを作ったからにゃ、書いてみまする私の病気。なりたてのほやほやですがウィリス動脈輪閉塞症という病気になりました。通称、もやもや病。否、この通称は今や世界的にも通用する呼称となった為に2002年からは「もやもや病」の方が正式名称となっているらしい。そんなわけで病名を聞いた悪友達は一様に「またフザケてるよ、この人は」という反応ばかりで実に迷惑この上ない。こういう時は日頃の行いがものを言う。ミュージシャンの徳永英明がかかったことで注目されたことがあるので、知ってる人は知っているという病気なのですが、私が言うとにわかには信じてもらえない (/_;) 。

平たく言えばこの病気は脳の中の幹線道路みたいな主要血管が塞がってしまうというもの。原因は不明。だから根治する治療法もない(対処療法はある)。罹患する人も稀なので国の指定難病22番に列せられている。「レアものじゃん!」と友人に言われてからはちょっと気を良くする私。有病率は10万人に3〜10人と言われているものの、実際には無症候ながらこの病気を保有する人は10万人あたりで50人程と10年前の論文にある。MRI検査の普及で病人は確実に増えている模様。
結局ね、科学の発展のおかげで人はいらぬ事(?!)まで知ってしまうわけだ。裏をかえせば無症状で検査もしない人は自分が病気になってることすら知らずに普通に生活してある日突然、死に至る。それは若年であれば「あ〜、そんな病気だったんだ…」と知ることになるし、老年であれば「これが寿命だったんだよ…」で終わる話。そうしてみると「寿命が先か病気発覚が先か」な問題で結局、命あるものは常に死に向かってつき進んでいる。生きていることそのものが死に至る病であるとも言えるわけだ。←いや流石にそれは極論だろ
無責任にそんなことを考えていられるのも単に自分が老年にさしかかっているお年頃だからだとは思う。昨年、脳梗塞で入院した時に「ここで人生終わりだったとしても自分はやりたい放題やれて幸せな人生だったと思える」なんて書いていた。
でもこの病気は発症のピークが2極あって、私のように脳梗塞や脳出血をきっかけに発覚する40~50代のピークの他に幼少期に発覚するピークというのがある。若くして発症した人達にとっては寿命の一言で片付けるにはあまりにも残酷な話。若い子達の病気発見のきっかけはやはり脳梗塞だったり特有の発作だったりする。私はまだ発作未経験なので詳細はわからないが脱力や痺れ、頭痛が主な症状らしい。言ってみれば脳梗塞の予兆のような症状?これらと付き合いながら未来ある若者が自分の将来設計を考えなければならないのだとしたら、それはそれは大変な不安であろうと想像に難くない。そしてそうした子供を支えて成長を見守る親御さんの苦労や心配というのも並大抵のものではないと思う。

だからこの病気をネタにあまりフザケたことを書くわけにはいかない!と、思いつつも色々な確率について興味本位で調べてみた。
はるか以前に書いたことだが私は子供の頃に「ボタン恐怖症」なるものに罹患していた(これは克服済み)。恐怖というのは大げさだが、つまりは服に付いているあのボタンに激しい嫌悪感を抱いてどうしても触ることができなかった。吐き気すらして幼稚園児の頃はえづきながらお着替えしてた記憶がある。「なぜ?」と言われても説明がつかない。それが恐怖症というもの。虫が苦手という人に理由を問う者はいないが理解はされる。それなのに、それと同等にボタンが苦手という私の苦悩を理解してくれる人は周囲に一人もいなかった。人生の早い時期から絶望に近い孤独を知った私だった。
さて、そのボタン恐怖症は10万人に1人の確率で見られる症状らしい。あら、もやもや病よりレアなのね。こんなところでレアアイテムゲットしてるのに肝心な宝クジには当たらなかったりするのは理不尽ね、と思って調べて見たら…宝クジで一等を当てるのは1000万人に1人の確率。これは落雷に打たれる確率と一緒だという。おみそれいたしました
私ごときに当たらぬわけだわな。それでもジャンボ宝クジ、買いましたけどね。当たるといいな〜。PTSD(心的外傷後ストレス障害)や鬱症状の人に現金を与えると脳が受ける恐怖のダメージが多少緩和されるという報告もあるらしい。身も蓋もない研究だけど、この研究の肝は「人のストレスは幸福の記憶で塗り替えることが可能」ということらしい。
手術を控えた身の上としては先立つモノも必要ですし、幸福な記憶を携えて病気と向き合いたいものでありんす。

同じ病気を抱えた人に有益な情報を、と思ったのにそうでもない読み物になってしまったことを反省しつつ、次回は病気発覚に至る経緯なんかについて書いてみたいと思います。

2018年4月7日土曜日

ディーのこと

愛猫の「ディラックの海」が儚(はかな)くなりました。
過去に2度も死にかけて、その都度覚悟を決めていたから想像してたほどには取り乱さずに済んだ。それでも失った悲しみは大きい。猫飼いがいつか通る道だから、真摯に受け止めよう。今回は猫へ捧げる追悼文です。
カメラのレンズを肉球攻撃
先住猫である「シュレーディンガーの猫」の次にやってきた猫だから「ディラックの海」。シャルトリューという猫は協会が決めた謎ルールによって、生まれた年ごとに命名の際の頭文字が決まっている。それに則れば2008年生まれのうちの子は「頭文字D」ということでかなり安易に物理学者ポール-ディラックの名を頂戴した。
ちなみに先住猫の方は元迷い猫で「半分他所の子で半分うちの子」という曖昧な立ち位置から命名された。
仲良しと言うほどではなかったけど
仲間だった二人
ディーの性格はいたって外道。なのに極度のビビリで飼い主の私たちにもなかなか心を許してくれないところがあった。そんな彼の気持ちに変化が生じたのは皮肉にも死にかけて入院生活を経験してからだと思う。
入院はひどい尿路結石を患った時のこと。石を取り除いても何故か排尿ができず、最終的には膀胱を開いて中を洗浄することになった。この時は膀胱内壁が泥の壁で覆われたような状態になっていた。尿道を短くする手術とどちらを採るか迷った末に獣医さんと相談の上行った手術でしたがこの獣医さんの的確な判断と処置のおかげでディーは命拾いした。
この入院生活で彼は相当骨身に応えて我が家のありがたみを痛感してくれたらしく、その後は全身全霊を傾けて私たち家族に甘えてくるようになった。
入院中は毎日面会に行ったけど、初日はこちらに尻を向けたまま唸り声をあげるだけで顔も見せてくれなかった。二日目にはご飯を一切食べてくれないと看護師さんから聞かされたので口元に餌を運んで語りかけてみた。やはり唸り声を出してお怒りのご様子。「ご飯食べて元気にならないと」と声がけをして彼が喜ぶポイントの顎下を指でスリスリと優しく撫でてみた。その時、今でも忘れない驚きの光景が展開された。
唸り声を止めた彼はいつもそうするように首をぐ〜と前に伸ばして、そしてみるみるうちに目にいっぱい涙を溜めて私を見つめた。反射や基礎分泌としての涙はあっても、動物は感情から涙を流すことはないと言うけれど、あの日、確かにディーは病院のケージでお家とその付属物の家族を認識して帰りたいと切に恋い焦がれたのだと思う。
退院後の彼との生活は一変した。彼は甘えることで精一杯の愛情を表現をするようになったし、またヒトの愛情を受け止めることに満足するようになった。あの涙の瞬間、彼は愛を知り、愛することを知ったことで愛される喜びをもまた知ったのだと思う。
腕立て伏せしてるといつも乗っかってきた
病気そのものはツラいことだったけど、最終的にディーが愛し愛される喜びを知ってから逝くことができて本当に良かったと思う。生き延びた後のディーとは蜜月のような時間を過ごすことができて私も本当に幸せだった。ありがとう。
2度目に死にかけたのは慢性腎不全。このあたりのことは 以前にもちょろりと書いた 。朦朧とする意識の中、私の腕の中で弱々しく体を預けるディーを見つめながら、 こうして衰弱して最後の日を迎えるのかと覚悟した日々 。あの時、いみじくも生き物は命ある限り、生きることだけ考えると悟った私だったけれど、ディーは命の限り生きることを謳歌して逝った。腎不全自体は毎日輸液を入れることで死地を脱することができた。餌も腎臓サポート食に変えて彼はみるみる元気になって通常の生活に戻ることができた。
そうして一年近く私たちと幸せに暮らした。そして最後の日はまったくいつもの通りの日常を過ごし、いつもの場所で寝転ぼうとする手前でふいに一声鳴いてそのまま絶命したと言う。

伝聞なのはその日、私は検査入院で不在だったため。いつも通りの日常を過ごす中で逝けたらそれが理想なのに…と病院で話していた私に「それって、こんな感じだよ」とまるで道筋を示すようにディーは駆け上っていった。検査結果はそれなりに衝撃的なものだったのに、ディーのおかげで何でもないことだと思えた。生きていれば死ぬ。死ぬまで生きよう。ただそれだけのことなんだ。←別にヤケクソになってる訳ではない

病気タグを作ったので今後は脳梗塞やウィリス動脈輪閉塞症について備忘録を残していく予定。誰かのお役にたてば幸い。お楽しみ?!に〜