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2018年4月25日水曜日

忍び寄る兆候

前回の約束どおり、私の病気発覚の経緯について書こうと思います。参考になりますれば幸い。脳梗塞のくだりは去年の重複になりますが、せっかくタグを作ったのでまとめということでご了承ください。では行ってみよ!

今から思えば一番最初の兆候は5年前の2013年に始まる。痛みに鈍感なはずの私が明け方に耐えられないほどの首から肩にかけての激痛で目が覚めるようになった。とにかく痛くて寝てられない。なのに目が覚めても痛みのせいですぐには起き上がることもできない。そんな謎の激痛に悩まされる朝が2週間ほど続いただろうか。起きて活動を開始すれば痛みは消える。不審に思いながらもこれが老化というものか…と諦めていた。腰痛は筋力の衰えからくると小耳に挟んだのでせっせと首回りの血行を良くする運動をネットで検索しては試し、肩周りの筋トレに励み、そうこうするうちに痛みは起きなくなった。これが第一フェイズ
時期的には首の痛みに悩まされることがなくなってほどなく、日中の活動中にめまいを感じるようになった。かがみこんだり首の位置を大きく動かした時にその動きの延長線に向けて投げ出されるような遠心力を感じることがある。それでふらついて転倒するというようなものではなかったけれど「ひょ〜、また来たあれだ」とこの妙な感覚をアトラクションの乗り物のように楽しんでいた。
たまたま健康診断の時期に当たったこともあり、問診の時にその話をした。すると医師は「紹介状を書くから今すぐこの足で直ちに脳外科に行って検査を受けてください」ですと。ただならぬ様子で私は急遽病院送りになった。脳外科の先生は私の話を聞いて頭痛も吐き気もないことと、めまいの様子が脳梗塞のそれとはかなり異なる風味なので緊急性はないと判断をした。しかしながらMRIの予約をして後日検査を受けるように言われて初めてのMRIを受けることとなった。
年をとると耳の平衡感覚を司る耳石という組織が自然と剥がれて目眩が起きることがあるという。事実、初めてのMRIを控えて興奮気味の私に職場の先輩は「それね、年取るとみんななるのよ。じきに慣れちゃうから大丈夫よ」と教えてくれた。ああ、だけど果たせるかな。そう教えてくれた先輩はその数年後には私と同様に脳梗塞を起こしているではないか!目眩、おそるべし。慣れちゃダメ、絶対!
さて第二フェイズの目眩も結局は検査の結果で脳に異常なしと診断された。目眩もいつしか慣れたのか感じることはほとんどなくなった。

それから時は移って昨年の8月。脳梗塞を起こす2ヶ月前に仕事で顕微鏡を覗いた私は焦点が合わないことに動揺した。全く視点が合わないのなら深刻に受け止めたろうが、この時は4x4の四角いマスが見えるはずのスライドグラスがきっちり5x5のマスになって見えた。「5x5のスライドなんて初めて見たわ〜。ところでいつものスライドはどこにあるの〜?」と聞いて周囲の人間から「5x5マスのスライドなんて、存在しねーよ」と呆れられた。これが第三フェイズ。念のため眼科で検査をしたがその時は視覚に異常は認められずに、疲れ目でぼやけて見える日があるのだろうという結論に達した。実際に困るのは顕微鏡を覗いた時だけで普段の生活には何の支障も来たさなかった。
そうやって二ヶ月後のある朝、運命の日は来た。「寝言のろれつが回ってないよ!」という夫の謎の声掛けで私は叩き起こされた。
さすがに寝言で病院送りはおかしいから、よっぽど苦しそうにしてたとか何かあったに違いないと後日、脳梗塞を起こした私がどんな様子だったかを夫に聞くと「見たことないくらい幸せな顔をしてた。だからおかしいと思った」ですと?!
普段、明け方に話しかけられたりすると私は「まだ寝られるのに起こすんじゃない!」とメチャクチャ機嫌が悪くなるらしい。しかしいつになく滑舌の悪い寝言を言う私に声をかけた時に怒らなかった、これは一大事!というのがことの顛末だったらしい。むぅ。

なんにせよ、発見が早くて救急搬送もスムーズにいき、当直の先生の適切な対応のおかげで後遺症もなく最短コースの2週間で退院できたので巡り合わせの幸運に感謝している。
本当にありがたいことでした。その後で病気が見つかった今でも、「あの時に私の人生は終わりだったかもしれないんだ」と思えばやっぱり執行猶予があるのはありがたいことだ。せっかくの猶予期間に、結局これといった準備はできてないんだけど。

次回は脳梗塞後の入院生活とかについて書きましょうかね。

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