いらっしゃいませ

にほんご べんきょう してきて ください
いらっしゃいませ。ずっと試運転中です。予告なく変更しまくるつもりが仕様変更については手付かずです。
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2018年6月8日金曜日

猫のいる部屋 9

日本に帰国が決まった時、犬は関税に預け入れ期間があるが猫はそのまま簡易に連れ帰ることができると聞いて心が揺れた。だけど果たしてボブ=オトヒメはそれを望むだろうか?危険がいっぱいで閉じ込めざるを得ない見知らぬ異国の地へ私たちと一緒に来てもオトヒメが幸せになれるとは絶対に思えなかった。


結局、私たちはオトヒメをアパートに残して帰国した。アパートにはオトヒメの世話をしてくれる学生がたくさんいたけど、それでも私はオトヒメが帰らぬ同居人を心配してしばらくは寂しそうに部屋の外で待つだろうその姿を思って自分を責め続けた。オトヒメの幸せを願ったからこそのお別れだったけれど猫に人間の事情なんてわかるわけもなく、なんという酷いことをしてしまったんだろう。私はその時に、もう自分には猫を飼う資格などないのだと堅く心に決めていた。最後まで世話をする覚悟無しでどんな生き物にももう絶対に私は触れてはならない。そう決意するほどに悔恨と贖罪の念に苛まれた。それから10年も経ってから迷い猫を保護して結局再び猫と暮らせる幸せを手にいれたけれど、オトヒメとのことは決して忘れてはいけない苦い思い出になった。
その思いがあるからオトヒメのいるここへ私は来たのだろうか?
しかしそれは腑に落ちない。その後日本で一緒に暮らした猫との思い出だって同様に自分の中では大きな位置を占めている。猫に限らず日本で暮らした長い歳月よりも若い日の一瞬の煌きだったここでの生活が優っていたとは必ずしも言い切れない。私が自分でここを選んだとはとても思えないのだ。

でも知る人もいない異国のこの土地で、一体誰が私を引き寄せるだろうか?
この猫以外に!
「オトヒメ、本当にあなたが私をここに呼んでくれたの?私はあなたを置き去りにしたのに?」
真顔になってオトヒメの顔を覗き込むと「そうだとも!」と彼は嬉しそうに腹を見せて甘えた。
この世界では思いの強さが会いたい者を引き寄せるという。
オトヒメとお気に入りの場所
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おしまい

2018年6月5日火曜日

猫のいる部屋 8


会いたいと強く願った者の所へ引き寄せられる。それが本当なら強く願って待つしかない。ただし夫はまだ存命だ。ほどほどの匙加減で願わなければ。
でもちょっと待って。確かにここは私の楽しい思い出の地だが、本当に私はここに来たいと願ったろうか?思い入れのある土地はここ以外にもある。何と言っても私はここには2年しかいなかったのだ。その後の人生と照らし合わせて、ここが絶対とは考えにくい。
さりとて強い願いで私を引き寄せるような人物がこの街にいるとは思えない。夫は…未だ存命のはず。うん、そうだ。悲しいけれど彼に看取られた記憶が確かにある。この世界にはまだ私の知らない謎が隠れていそうだ。

物思いに耽る私をオトヒメがじっと見あげている。「引き寄せたのはお前だったりしてね。」おどけてオトヒメの猫の額を優しく撫でてみる。オトヒメは「そうだとも!」と満足そうに額をすり寄せてきた。

オトヒメ
どうしてオトヒメはここにいるのだろう?
どうして私と一緒にいるのだろう?

オトヒメはいわばこのアパートの猫だ。誰のものでもなかったのだ。学生街のこの街ではアパートの住人はほぼ一年毎に入れ替わる。オトヒメを置き去りにして転居した学生は実はオトヒメを置き去りにしたわけではなかった。それを知ったのはオトヒメと暮らし始めてから四ヶ月ほど経った頃だった。
オトヒメは私たちと暮らすようになった初期の頃、夜になると外へ出せと言いだし、しばらくすると帰って来るということを二日ばかり繰り返した。どこへ行くのかと二日目の晩にあとをつけると以前の飼い主と暮らしていた部屋の前でドアを開けよと鳴いていた。新しい住人が暮らす閉ざされた部屋の明かりを悲しげに見つめていたのだ。そばまで来た私に気がつくとオトヒメは「もういいんだよ」というように私の足にすり寄って、それ以来もう以前の部屋の前に座り込むことはなくなった。
そのオトヒメが帰ってこなくなったことがある。どこか狭いところから出られなくなってはいないだろうか、事故にあったろうかと心配して1週間ほどが経過した。もしオトヒメと再会できてもきっとボロボロの痩せこけた姿で発見されるだろうと思っていたのに夜半にドアの外で私たちを大声で呼ばわってから帰宅したオトヒメは毛並みもツヤツヤでシャンプーの匂いまでさせていた。むしろ失踪前よりうんと綺麗になって帰って来た。
オトヒメを気に入った誰かが自分の部屋に閉じ込めて帰れなくしていただけだったのだ。いずれ帰国する運命の私たちとしてはこれだけ丁寧にお世話してくれる人がオトヒメを大切にしてくれるならそれに越したことはない、と思った。
とりあえず首輪をなくしているので念のために新しいものを買い与えて、再びオトヒメが帰らなくなった時には「また別宅へ行ったな」と今度は安心していた。三日後、帰宅したオトヒメは首輪にメッセージをつけていた。
To the person who has been taking care of me」(僕の世話をしてくれていた人へ)で始まるその手紙はユーモアと愛に溢れ、私は今でもそれを手にすると涙が溢れる。
「僕の名前はボブです。僕は新しい部屋では幸せではありませんでした。僕は四六時中閉じ込められてしまうのです。もし、あなたが僕をとどめておきたいならどうか以下のナンバーに電話をして古い飼い主に知らせてください。そうすれば彼はもう僕を心配しないで済みますから。Thank you
私はこんなに愛情深い手紙を読んだことがありません。こんなに前の飼い主はこの猫を愛していたのに、そしてこの猫もご主人をあんなに愛していたはずなのに。猫は家に付くという。その猫の業の深さに思わず泣いた。
夫が早速電話をするとその学生は「ボブが幸せならそれが一番なのさ」と言ってくれた。
ああ、それなのに!私はオトヒメとあんな別れ方をしてしまうなんて。

2018年6月2日土曜日

猫のいる部屋 7


「ミセスウエダ…。アップルヒルの農園は今もお持ちですか?私、あの頃行ったあの風景が忘れられません。また行ってみたいのですが、ご一緒しませんか?私、車を出しますから案内していただけませんか?」
「あら、素敵ね。1人になってからはもう長いこと行ってないからどうなってるかしらねぇ。リンゴの世話は人に任せっきりだったのよ。ピクニックにはまだ暑い季節だけど、あの丘の上の木陰は風がわたって気持ちいいわ。私、あの丘の風景が大好きなのよ。じゃ、お弁当を持って行きましょう。いつならご都合がいいかしら?楽しみだわ。」

基本的に遠出しないと丘などない土地だった
早速その週末に農園の入り口に車を乗り付けた。丘を見上げると作業小屋の横で機械の手入れをしている人がいる。ウエダ夫人は突然少女のように駆け出してゆきその人物に飛びついた。
「ああ、君か!やっと来た。」プロフェッサーは夫人の体をしっかりと抱きとめると口づけをして彼女の顔を何度も覗きこんだ。「やっと来た。ずっと待っていたよ。」
夫人は恥ずかしそうにこちらを見て「ほらね、待っていればいつかは会えるのよ。」と言った。
夫妻の農園の小さな家に招かれて一緒にお弁当を食べた。
「僕はね、絶対に君はここへ真っ先に来るものだと思ってたんだよ。」
「私は絶対にデイビスの家だと思ってましたよ。農園の仕事は大変だとあなた、文句ばかり言ってらしたじゃないの。」
「でもここは海こそ見えないけど瀬戸内の丘みたいだと、君が言ったんだよ。だから決めた場所じゃないか。君が一番好きな場所はここなんだと僕は思ってたんだよ。」
「何にしてもお二人がこうしてまた一緒に会えて良かったですよ。結局、居たいと願った場所がその人の居場所になるんでしょうかね?待てば会えると皆さんはおっしゃるのですが、今日のような偶然の再会を待つしかないんでしょうか?何かご存知ですか?」
「随分前に思いの強さが引き寄せると教えてくれた人がいるけれど…どうなのかしら、会いたいと強く願ってる人の方へ引き寄せられることがあるんですって。だから私はずっと強く願っていたんですけどね。」
「じゃあ僕の引き寄せる力が君よりも強かったということだね。」プロフェッサーは満足そうに夫人の手を握った。見つめ合う2人。
こうしてアップルヒルからは1人で帰路に着いた。幸せな気持ちと共に。

2018年5月30日水曜日

猫のいる部屋 6


鈍い私もなんとなくこの世界のことが飲み込めて来た。この街で友人を積極的に作っていたなら、もっと早く情報収集できて理解が早かったかもしれない。いいや、友達が多かろうが少なかろうが同じことだ。自分の知人のみんながみんな、ここへ来るとは限らないから。人はそれぞれに思い入れのある場所が違う。
頭の中を整理して、私はウエダ夫人の家を訪ねることにした。いつでもいらしてね、というお言葉に甘えて。
「まあ、嬉しいわ。ご近所に長いおつきあいのお友達はたくさんいるけど、ニューカマーとはお知り合いになれるチャンスが少ないですものね。新しいお友達は大歓迎よ。」
ウエダ夫人はウキウキと私を家に招き入れてくれた。物静かなご婦人という印象しか持っていなかったけれど、昭和の初期に海を渡って異国で暮らす勇気を思えばとても好奇心旺盛なアグレシッブな女性だったのかもしれない。
「聞きたいことがあっていらしたんでしょう?」紅茶を淹れて一息ついてからウエダ夫人は何でも聞いてちょうだいと促した。
「プロフェッサー ウエダはお元気ですか?」一度しか面識はないがウエダ夫人のご主人がこの学園都市の大学教授だったのは日本人駐在員の家族なら誰でも知っていた。
「あの人はね…私はてっきりここなんだと思ったんだけど、あの人には違ったみたいね」ふふふ、とチャーミングな笑顔でウエダ夫人は笑った。
やはりスズコさんのところと同じだ。ご主人とは一緒に暮らしていないらしい。年の頃から言って、ご主人がご存命とは思えないから待っていれば来るというものでもなさそうだけど?
「別の場所にいらしてるんでしょうか?」
「そうね、ことによると日本の生まれ故郷かもしれないわね。とても故郷のことを懐かしんでいたから。」
「ええっと、これは自分が一番思い入れのある場所に…来る、ということですか?」
「そうね、思いの強さがそうさせるのかしらね。私はね、日本はそれはもう懐かしくて思い入れもあるんだけれど、何と言ってもここはあの人と長く暮らした場所ですものね。一番ここが好きなんだわ。」
「離れてからどれくらいになりますか?場所が違ってはぐれてしまうと、もう会えないのでしょうか?」
「ここでは時間なんて無意味だわ。待っていれば来ますよ、きっと。」

どうしてみんな、達観したようなことを言うのだろう。死んだ時に一旦諦めがつくのだろうか。私は確かに若い頃にこの土地での生活を楽しんだけれど、やっぱりそれは夫がいたから楽しかったのだ。ここが死後の世界なのだとしたら「早くここへ来い!」とは確かにこの状況では願いにくいことだから「今すぐ!」とは思えないけど、もしも夫が亡くなってから別の場所に行かれしまうのだとしたら、それはちょっと切ないな。
観光農園の思い出
私がプロフェッサーウエダと会ったのは一度きり。リタイア後の隠居生活を楽しむためにご夫妻はこの街から少し離れた山間部のアップルヒルという場所に小さな果樹園を手に入れて細々と果樹園経営を始めていた。秋の収穫時期にお誘いを受けてその果樹園を訪れた時にオーバーオール姿のプロフェッサーウエダが収穫したリンゴを磨く機械の入った作業小屋を案内してくれたことがある。
とても暖かみのある穏やかな老人で夫婦が寄り添ってリンゴが磨かれていく様子を愛おしそうに眺めていたのを昨日のことのように思い出す。紅葉で金色に輝くアップルヒルの風景と相まって彼らは私の理想の老夫婦の姿だったのだ。
それなのに今は一緒にいられないだなんて。

2018年5月27日日曜日

猫のいる部屋 5


未練がましく会えることを期待してスズコさんの家の近辺を散歩している時だった。不意に後ろから声をかけられた。
「スズコの友達の…ええっとスーマ?」
振り返るとスズコさんの旦那さんのアルフレドがいた。
「そうです!スズコさんの友達の!お久しぶりですアルフレド!」
「ああ、良かった。スーマは知ってる街の名前と一緒だから思い出せましたよ。」
今度は流暢な日本語でアルフレドは話し始めた。
日系3世の彼は出会った頃にはイッセイの祖父母の話す日本語のおかげで聞きとりは可能だけど日本語を話すことはできないと言っていた。だけど帰国後3年して遊びに行った時には驚くほど日本語を話すのが上手になっていて私たち夫婦を感心させた。アルフレド曰く「妻のスズコは日本人だから年老いて英語が話せないような状況で病気になった時には僕が医師との橋渡しをしないといけない。そんな時に彼女の話す細かい症状とかを把握できないと困ると思って日本語を一生懸命勉強いたしました。」
これを聞いた時、私は思わず夫の脇腹をドンと突いて「今の聞いたか?!日本の男は自分が妻の世話になることは想定しても自分が妻の世話をするなんてこれっぽっちも想像してないでしょ?これがアメリカの男性との違いだよ!」
結局、私が夫を看取る日はこなかったのだな、と今は申し訳なく思う。
「スズコさんはお元気ですか?すっかりご無沙汰してしまって…」
「よろしければうちでお話でもしませんか?」
アルフレドはバックヤードに通じる裏木戸を開けて懐かしい友人の家へと私を先導した。
アメリカ規格としては小ぶりで簡素に該当するが日本規格なら十分な大きさの住み心地の良さそうなお家。品のいい調度品で揃えられたダイニングでよくお茶をご馳走になった。今日はその横のリビングで小さな庭(それすら日本人にしたら広い)を眺めながら聞かれるままに離れ離れになってからの話をお互いにしあった。今更だが自分が死ぬくだりを話す時になって初めて「あれ?」と異変に気付いた。この記憶ってどこから来たものかしら?今って一体いつなのかしら?



「じゃあ、タケシは一緒じゃないんですね。きっとまだ来ないんですね。」
アルフレドはしみじみとした表情で言った。
「スズコは?彼女はどうしてますか?やはりその…ここに来ていないんですか?」
「スズコは先に行ったんですよ。僕はてっきりここで会えると思ったのですがね。…もしかしたらパリに居るかもしれません。」
懐かしむような顔でアルフレドは遠い庭を見つめた。日系人のアルフレドと日本人のスズコさんの出会いはお互いが留学していたパリだったと聞いたことがある。人は若い時に過ごした街にその魂のひとかけらを置いてくるという。魂のかけらはスズコを懐かしいパリの街に引き寄せたかもしれない。私がこの街に引き寄せられたように。
「パリには行かれないのですか?スズコさんに会いに…」
「いずれ行くかもしれません。でも今はここで彼女が来るのを待ってみます。もはや時間は無いようなものですからね。」
サマータイムの夕暮れは遅い。すっかり話し込んでしまったことに気づいて私は慌てて席を立ち猫の待つ部屋へ帰った。

2018年5月24日木曜日

猫のいる部屋 4


ラボの見知らぬ学生はぶっきらぼうな人で、何度か話しかけてみたけど自分の実験以外のことは興味なさそうに短い返事をするだけで会話が繋がらない。
「ネルソン教授は最近来てないですね。出張ですか?」
「さあね、…ネルソンのことは知らないな」
「あなたとは初めてお会いしましたよね?私は須磨と言います。」
「ああ、初めて見るね…知り合いじゃないことは確かだ。」
むわー、同室の人がコレでは辛すぎる。一緒に仕事してたサイモンやミチコはどこへ行ってしまったんだ?
打ちひしがれて夫のラボを覗く。以前、挨拶を交わしたドナルドの顔でも見てみるか。しかし夫が帰って来ない話とか、イマイチ英語でうまく説明できる気がしない。せめて夫の留学生仲間のペータがいてくれれば…オージーの彼は陽気な若者で言葉の壁をものともせずにコミュニケーションを図ってくれる人だった。通じるかどうかは別問題なのだが。
実験室の様子はどこも一緒
ペータはいなかった。フランス人留学生のべべもオランダ人留学生のヒノエもいない。唯一私の英語を根気よく聞き取ってくれる親切な日系4世のポーラも…やはりいない。
こうして考えてみるとアメリカでつるんだ友人のほとんどは留学生や移民の人たちだ。アメリカ人はいわばホームグラウンドに居るだけあって、どうしても仲間同士のおつきあいが忙しくなる。となると、結局付き合いやすいのは留学生同士になる。日系人のポーラだけはアメリカ人だけど、彼女は祖父母世代が生粋の日本人だったりするので日本人が間違いやすい英語表現を上手にフォローして聞き取ってくれるからとても話がしやすい。
彼女に話を聞いて欲しかったな…と諦めて帰りかけるとそこへドナルドがやってきた。
「何か質問があるかな?」
待ってましたよとばかりに向こうから切り出してきた。
Hi,ドナルド…タケシはここに…いないかしらね?」
「まだ見てないな〜。もしかして先に来ちゃったの?」
「?!う、うん。先に来ちゃった…みたい。」
「じゃあ、そのうち来るよ。待ってれば来る。時間はないようなものだからね。いつか解決するさ。家で待ってれば?」
「わかった。そうする。」
実際には他にも早口で色々と言われたけど、さすがに全部は聞き取れない。家で待てとの言葉を渡りに船とばかりそそくさ退散。
帰りは以前、ウエダ夫人に出くわしたスーパーにも寄ってみた。だけど今日は彼女には会えなかった。
本当に待っていればそのうち帰って来るのかな?ここでの生活は確かに楽しかったけど、夫がいないと楽しみも半減。暖炉に火を入れる季節までには帰ってきてくれるかな。暖炉は夫の仕事なのに、一緒に薪がはぜる音を聞くのが楽しみだったのに…。暖炉の横に腰掛けてぼんやりしてるとオトヒメが額をコツンと私の腕に押し付けて来た。
「待っていれば来るってさ」と頭を撫でてやるとオトヒメは「そうだとも!」とばかりに満足そうに伸びをした。

2018年5月23日水曜日

猫のいる部屋 3


帰国する日本人駐在員が処分に困って置いて行った家財道具などがウエダ夫人の家のガレージには山積みになっていて「好きなものを持って行きなさい」と言ってくれた。そこでいただいたお椀は日本に持ち帰って実に30年も普段使いに使用したりなんかした。
「あらあら、そうですか。あなたはここを選んでくださったのね。とても嬉しいわ。」
ウエダ夫人はそう言ってアメリカ人らしいオーバーアクションで私の両手を取って包み込むように握ってから優しくハグしてくれた。
「こちらにはいつ頃いらっしゃったのかしら?」
サンフランシスコ地震(ロマプリータ地震)の後でした。たったの2年しかいられなかったのですがここでの暮らしは懐かしい思い出です。」
言いながら目が潤んだ。そうだ、この土地は若い頃のたった2年を過ごした大切な思い出の地だった。
「…そうですか。あなた、お越しになったばかりかもしれませんね。またいつでも会いにいらしてくださいね。」
久しぶりに知り合いと日本語で話しができた高揚感でぼうっとしたまま私は店を出た。引っ越してきたばかりの頃は夫以外の人とは話をする機会もなく、たまに日本人会のサロンでお喋りした後は帰路で何度もその日の会話を反芻したものだった。
アパートの駐車場
今もウエダ夫人の言葉を反芻しながら、まるで転居直後の何もわからずに困惑してる人を気遣う様子だったなと思った。実際にそういう人の世話を長年続けていらした方だし、初めてお会いした日には私も同様の気遣いをいただいたっけ。
惰性でここでの生活を続けてはいるものの、夫の長い不在など困惑する事態になっているのは事実。というか、夫が帰ってこない事態なんか、もっと困惑してしかるべきなのにあまり動揺してない自分に戸惑い始めた。

帰り道に少しだけ回り道して近所のスズコさんの家へ行ってみる。彼女は日系人のご主人と結婚してこの土地に住む少し年上の日本人女性。気が合ったし、互いの家を行き来してとても良いお付き合いをさせていただいた。帰国してしばらくは手紙のやり取りをしたし、帰国後3年してから再度渡米した時には遊びに行ったこともあるが、その後30年の時の経過と共に疎遠になってしまった。そんな自分の不義理が恥ずかしくて何となく「そのうち会いに行ってみよう」と先延ばしにしていた場所だけど、ウエダ夫人と話した勢いを借りてスズコさんにも会いに行ってみよう!


スズコさんの家は少し雰囲気が違っていた。大学のラボ同様に知らない人がいたりするかも…と思うと呼び鈴は押せない。しばらくモジモジしながら家の周りを未練がましく眺めていたけど、不審者と思われても何なのでその日は結局諦めて帰宅した。
駐車場に車を入れるとオトヒメが駆け寄ってきた。一緒に部屋へ戻って「結局、私の話し相手はお前だけだね」と話しかけるとオトヒメは満足そうに前脚をぺろんと毛づくろいして寝そべった。

2018年5月20日日曜日

猫のいる部屋 2


アパートの駐車場に車を停めるとオトヒメが駆け寄って来た。オトヒメはこのアパートに暮らす猫で私の数少ない友人の一人(一匹?)だ。私がまだ仕事を持たずに家で所在なく過ごしていた頃、ベランダからするりと現れて当然の顔をして私たち夫婦の部屋に入って来た猫。以来、午後のひと時を一緒に過ごす仲になった。名前はオトヒメだが彼は雄猫。彼は私の横でいつも午睡を楽しみ、引き込まれるように私も眠りこけてしまい瞬く間に午後の時間が過ぎてしまうので私は勝手にオトヒメと呼んでいた。
オトヒメは夕刻まで私たちの部屋で過ごし、日が暮れる頃そわそわしだしてドアを開けろと私に命じ自分のご主人が帰宅するのをそこで待つのが常だった。自転車で帰宅する主人の姿を認めると喜び勇んで駆け出して行く後ろ姿を羨望とともに見送ったものだった。
ベランダから現れたオトヒメ
しかし、その日オトヒメは自分のご主人の部屋には戻らなかった。そうか、飼い主の学生はもう引っ越した後だったんだ。
オトヒメと相思相愛だった飼い主は転居の際に何故かオトヒメをこのアパートに置いて行ってしまったのだった。オトヒメともお別れかと引越し風景を寂しく眺めた私だったけど、それから二ヶ月ほど経ったある日、駐車場でバッタリ遭遇したオトヒメは私と夫の元へ駆け寄って「早く、早く」と私たちを先導して部屋のドアを開けるようにせっついた。まるであの頃、オトヒメが自分のご主人相手にやっていたのと同様に。そうしてそれ以降は私たちの部屋を自分の根城に決めて、もう夕刻になっても部屋から立ち去ろうとはしなかった。
こうしてオトヒメは私たちの同居人となった。


猫と2人だけでのんびり過ごす日はしばらく続いた。季節はすっかり乾季に入って日差しが痛い。夫の不在が長いので私も「おかしい」と感じだした。夫はコールドスプリングハーバーにあるワトソン&クリック研究所での研修を受けるために単身NYに飛んでいる。夫の不在はそのためだと考えていたけど、あの研修はほんの2週間ほどだったはず。研修が終わる頃にはイースター休暇に入って私は夫と落ち合い東海岸を旅行する予定だった。私はいつになったらNYへ行くんだろう?というか、今は完全に乾季だからイースターは終わってるっぽい。そもそもね、今は四季で言うと一体いつ頃なのでしょうかね?


不審な思いにとらわれながらもこの生活は懐かしくて嫌な気持ちはしない。日々の生活は送らねばならぬのでいつものように1人でスーパーへ買い出しへ出かける。そこで私は懐かしい人と再会した。
「もしかしてミセスウエダじゃないですか?ご無沙汰しております。私は以前、大変お世話になった須磨です。」
ウエダ夫人はこの街で日本人駐在妻たちが円滑に生活するための語学教室的なサロンをボランティアで開いてくれていた日系アメリカ人のご婦人。
太平洋戦争をアメリカで体験して大変な苦労を乗り越えた日系人は畏敬の念を込めてイッセイと呼ばれる。その世代の方だ。日本語は多少怪しくなっているものの、意思の疎通が可能なので彼女からアメリカ生活の手ほどきを受けたり、サロンで人脈つくりをしたりして助けられた日本人妻はたくさんいる。
私もアパートのオーナー(この人は華僑の女性グレシャス)からミセスウエダを紹介されたので滞米生活の初期にはサロンに出入りしたものだった。バイトを始めてからはすっかりサロンからは疎遠になってしまったが。

2018年5月17日木曜日

猫のいる部屋 1

やあ、良い子のみんな!良い子かな?
病気療養中のためしばらくお休み宣言をしたものの、興が乗ったので物語みたいなものを書いてみたら、意外にも入院前に書きあがってしまったので時限式で細々とupすることにしました。物語が完結する頃には復帰できてるんじゃないかな〜という希望的観測と共に。死後の世界を私なりに想像してみました。縁起でもないと思われる向きもございましょうが、どうかご笑納ください。
では行ってみよ!
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死んだ後に目覚めるといつもの朝が来ていた。
雨季の終わりが近いカリフォルニアの空は曇天模様。カーテンを開けると明け方に降った雨に洗われた木の幹の間から薄い霧をまとった大地が見下ろせた。

もうじきアーモンドの花が咲くだろう、そう思うと心は沸き立つ。乾季と雨季しかないこの土地では、季節が変化するものだと再認識させてくれるのは雨季から乾季へ移行するこのわずかな期間だけだ。アーモンドの花が散って本格的に乾季になれば、世界はもうそれしかないと思わせるほど太陽の季節が単調に続き、次の雨季が来るまでの間大地を焼き尽くすことになる。雨季になったらなったでこれまた毎日が曇天と霧の単調な世界になる。四季で月日を測ることはこの土地ではできない。かろうじて目白押しにやって来るイベントで歳月の流れを知ることはできるけど、あまりに単調な季節の中にいると時間の流れは掴みにくい。一体自分はどの季節に向かっているのやら…と。
アーモンドの花

牛乳とオレンジジュースをそれぞれコップに注いで朝食の支度をする。冷凍したワッフルをオーブンで温めてその上のコンロではお湯を沸かす。いつもはカリカリベーコンに目玉焼きを焼いたりするけど、今朝は独りきりだから昨夜の残りの野菜スープで簡単に済まそう。コップに残った牛乳を紅茶のカップに注いで食後のミルクティーを飲み干したら、さあ、仕事に出かけるか。

大学の駐車場まで車を走らせてバイト先のラボへ。いつもと同じ朝を迎えているはずなのに、何かおかしい気がする。違和感の理由はわからないけど何かがいつもと違う。忘れ物でもしたろうか?いや、これといって持っていくものなんか無い。ラボに行くと違和感はさらに増した。いつもと違う顔ぶれ、というか知らない人が実験室にチラホラ居る。私の所属するラボは退職間近な教授の部屋なのでもともと人が少ない。あまり英語が話せないくせに遊ぶ金欲しさに就労許可証をとってここで働き始めた私にとって職場で友達を作るのはかなりハードルが高かった。積極的にアメリカ人の友達を作ろうとはしなかったことが今は悔やまれる。とはいえ挨拶くらいはできる。こんな人、居たかしら?とおっかなびっくりで挨拶すると相手も別段気に留めた様子はなく普通に挨拶を返して再び自分の作業に没頭していた。その日は教授も現れず、数少ない仕事仲間のサイモンとミチコにも会えないまま仕事を淡々と終えた。

私の仕事は午前中だけ。なので仕事を終えるといつもは隣のラボにいる夫と誘い合わせて学食で昼食をとってから帰宅するのだが、今日は夫はいないのでスーパーで買い物をして帰宅する。帰り際に夫のラボを覗くがやはりここも見たことのない人が大勢ウロウロしている。中には知った顔もいて、その人はこちらに気づいて驚いたような顔をして笑顔で両の手を挙げてくれた。ビックリしたよのポージング。その親しみを込めた笑顔にホッとしたけど顔見知り程度の人だったので軽く会釈したらそそくさとその場を離れ、会話を交わすことはなかった。
こうしていつもと同じ昼が過ぎた。