いらっしゃいませ

にほんご べんきょう してきて ください
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2018年5月23日水曜日

猫のいる部屋 3


帰国する日本人駐在員が処分に困って置いて行った家財道具などがウエダ夫人の家のガレージには山積みになっていて「好きなものを持って行きなさい」と言ってくれた。そこでいただいたお椀は日本に持ち帰って実に30年も普段使いに使用したりなんかした。
「あらあら、そうですか。あなたはここを選んでくださったのね。とても嬉しいわ。」
ウエダ夫人はそう言ってアメリカ人らしいオーバーアクションで私の両手を取って包み込むように握ってから優しくハグしてくれた。
「こちらにはいつ頃いらっしゃったのかしら?」
サンフランシスコ地震(ロマプリータ地震)の後でした。たったの2年しかいられなかったのですがここでの暮らしは懐かしい思い出です。」
言いながら目が潤んだ。そうだ、この土地は若い頃のたった2年を過ごした大切な思い出の地だった。
「…そうですか。あなた、お越しになったばかりかもしれませんね。またいつでも会いにいらしてくださいね。」
久しぶりに知り合いと日本語で話しができた高揚感でぼうっとしたまま私は店を出た。引っ越してきたばかりの頃は夫以外の人とは話をする機会もなく、たまに日本人会のサロンでお喋りした後は帰路で何度もその日の会話を反芻したものだった。
アパートの駐車場
今もウエダ夫人の言葉を反芻しながら、まるで転居直後の何もわからずに困惑してる人を気遣う様子だったなと思った。実際にそういう人の世話を長年続けていらした方だし、初めてお会いした日には私も同様の気遣いをいただいたっけ。
惰性でここでの生活を続けてはいるものの、夫の長い不在など困惑する事態になっているのは事実。というか、夫が帰ってこない事態なんか、もっと困惑してしかるべきなのにあまり動揺してない自分に戸惑い始めた。

帰り道に少しだけ回り道して近所のスズコさんの家へ行ってみる。彼女は日系人のご主人と結婚してこの土地に住む少し年上の日本人女性。気が合ったし、互いの家を行き来してとても良いお付き合いをさせていただいた。帰国してしばらくは手紙のやり取りをしたし、帰国後3年してから再度渡米した時には遊びに行ったこともあるが、その後30年の時の経過と共に疎遠になってしまった。そんな自分の不義理が恥ずかしくて何となく「そのうち会いに行ってみよう」と先延ばしにしていた場所だけど、ウエダ夫人と話した勢いを借りてスズコさんにも会いに行ってみよう!


スズコさんの家は少し雰囲気が違っていた。大学のラボ同様に知らない人がいたりするかも…と思うと呼び鈴は押せない。しばらくモジモジしながら家の周りを未練がましく眺めていたけど、不審者と思われても何なのでその日は結局諦めて帰宅した。
駐車場に車を入れるとオトヒメが駆け寄ってきた。一緒に部屋へ戻って「結局、私の話し相手はお前だけだね」と話しかけるとオトヒメは満足そうに前脚をぺろんと毛づくろいして寝そべった。

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