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2018年5月27日日曜日

猫のいる部屋 5


未練がましく会えることを期待してスズコさんの家の近辺を散歩している時だった。不意に後ろから声をかけられた。
「スズコの友達の…ええっとスーマ?」
振り返るとスズコさんの旦那さんのアルフレドがいた。
「そうです!スズコさんの友達の!お久しぶりですアルフレド!」
「ああ、良かった。スーマは知ってる街の名前と一緒だから思い出せましたよ。」
今度は流暢な日本語でアルフレドは話し始めた。
日系3世の彼は出会った頃にはイッセイの祖父母の話す日本語のおかげで聞きとりは可能だけど日本語を話すことはできないと言っていた。だけど帰国後3年して遊びに行った時には驚くほど日本語を話すのが上手になっていて私たち夫婦を感心させた。アルフレド曰く「妻のスズコは日本人だから年老いて英語が話せないような状況で病気になった時には僕が医師との橋渡しをしないといけない。そんな時に彼女の話す細かい症状とかを把握できないと困ると思って日本語を一生懸命勉強いたしました。」
これを聞いた時、私は思わず夫の脇腹をドンと突いて「今の聞いたか?!日本の男は自分が妻の世話になることは想定しても自分が妻の世話をするなんてこれっぽっちも想像してないでしょ?これがアメリカの男性との違いだよ!」
結局、私が夫を看取る日はこなかったのだな、と今は申し訳なく思う。
「スズコさんはお元気ですか?すっかりご無沙汰してしまって…」
「よろしければうちでお話でもしませんか?」
アルフレドはバックヤードに通じる裏木戸を開けて懐かしい友人の家へと私を先導した。
アメリカ規格としては小ぶりで簡素に該当するが日本規格なら十分な大きさの住み心地の良さそうなお家。品のいい調度品で揃えられたダイニングでよくお茶をご馳走になった。今日はその横のリビングで小さな庭(それすら日本人にしたら広い)を眺めながら聞かれるままに離れ離れになってからの話をお互いにしあった。今更だが自分が死ぬくだりを話す時になって初めて「あれ?」と異変に気付いた。この記憶ってどこから来たものかしら?今って一体いつなのかしら?



「じゃあ、タケシは一緒じゃないんですね。きっとまだ来ないんですね。」
アルフレドはしみじみとした表情で言った。
「スズコは?彼女はどうしてますか?やはりその…ここに来ていないんですか?」
「スズコは先に行ったんですよ。僕はてっきりここで会えると思ったのですがね。…もしかしたらパリに居るかもしれません。」
懐かしむような顔でアルフレドは遠い庭を見つめた。日系人のアルフレドと日本人のスズコさんの出会いはお互いが留学していたパリだったと聞いたことがある。人は若い時に過ごした街にその魂のひとかけらを置いてくるという。魂のかけらはスズコを懐かしいパリの街に引き寄せたかもしれない。私がこの街に引き寄せられたように。
「パリには行かれないのですか?スズコさんに会いに…」
「いずれ行くかもしれません。でも今はここで彼女が来るのを待ってみます。もはや時間は無いようなものですからね。」
サマータイムの夕暮れは遅い。すっかり話し込んでしまったことに気づいて私は慌てて席を立ち猫の待つ部屋へ帰った。

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