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2018年5月20日日曜日

猫のいる部屋 2


アパートの駐車場に車を停めるとオトヒメが駆け寄って来た。オトヒメはこのアパートに暮らす猫で私の数少ない友人の一人(一匹?)だ。私がまだ仕事を持たずに家で所在なく過ごしていた頃、ベランダからするりと現れて当然の顔をして私たち夫婦の部屋に入って来た猫。以来、午後のひと時を一緒に過ごす仲になった。名前はオトヒメだが彼は雄猫。彼は私の横でいつも午睡を楽しみ、引き込まれるように私も眠りこけてしまい瞬く間に午後の時間が過ぎてしまうので私は勝手にオトヒメと呼んでいた。
オトヒメは夕刻まで私たちの部屋で過ごし、日が暮れる頃そわそわしだしてドアを開けろと私に命じ自分のご主人が帰宅するのをそこで待つのが常だった。自転車で帰宅する主人の姿を認めると喜び勇んで駆け出して行く後ろ姿を羨望とともに見送ったものだった。
ベランダから現れたオトヒメ
しかし、その日オトヒメは自分のご主人の部屋には戻らなかった。そうか、飼い主の学生はもう引っ越した後だったんだ。
オトヒメと相思相愛だった飼い主は転居の際に何故かオトヒメをこのアパートに置いて行ってしまったのだった。オトヒメともお別れかと引越し風景を寂しく眺めた私だったけど、それから二ヶ月ほど経ったある日、駐車場でバッタリ遭遇したオトヒメは私と夫の元へ駆け寄って「早く、早く」と私たちを先導して部屋のドアを開けるようにせっついた。まるであの頃、オトヒメが自分のご主人相手にやっていたのと同様に。そうしてそれ以降は私たちの部屋を自分の根城に決めて、もう夕刻になっても部屋から立ち去ろうとはしなかった。
こうしてオトヒメは私たちの同居人となった。


猫と2人だけでのんびり過ごす日はしばらく続いた。季節はすっかり乾季に入って日差しが痛い。夫の不在が長いので私も「おかしい」と感じだした。夫はコールドスプリングハーバーにあるワトソン&クリック研究所での研修を受けるために単身NYに飛んでいる。夫の不在はそのためだと考えていたけど、あの研修はほんの2週間ほどだったはず。研修が終わる頃にはイースター休暇に入って私は夫と落ち合い東海岸を旅行する予定だった。私はいつになったらNYへ行くんだろう?というか、今は完全に乾季だからイースターは終わってるっぽい。そもそもね、今は四季で言うと一体いつ頃なのでしょうかね?


不審な思いにとらわれながらもこの生活は懐かしくて嫌な気持ちはしない。日々の生活は送らねばならぬのでいつものように1人でスーパーへ買い出しへ出かける。そこで私は懐かしい人と再会した。
「もしかしてミセスウエダじゃないですか?ご無沙汰しております。私は以前、大変お世話になった須磨です。」
ウエダ夫人はこの街で日本人駐在妻たちが円滑に生活するための語学教室的なサロンをボランティアで開いてくれていた日系アメリカ人のご婦人。
太平洋戦争をアメリカで体験して大変な苦労を乗り越えた日系人は畏敬の念を込めてイッセイと呼ばれる。その世代の方だ。日本語は多少怪しくなっているものの、意思の疎通が可能なので彼女からアメリカ生活の手ほどきを受けたり、サロンで人脈つくりをしたりして助けられた日本人妻はたくさんいる。
私もアパートのオーナー(この人は華僑の女性グレシャス)からミセスウエダを紹介されたので滞米生活の初期にはサロンに出入りしたものだった。バイトを始めてからはすっかりサロンからは疎遠になってしまったが。

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