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2018年10月30日火曜日

重複する不幸

不幸とは重なるものなのか、いや、悪い巡り合わせが重なった時に人はそれを不幸と呼ぶのであろう。本当に間の悪さというものは重なると多大な悲劇を引き起こす。

4ヶ月だけ一緒に働いた人の残務整理でこのところ大忙しだったことは細々とこぼしてきた訳ですが、今日こそ書いてやるぜコンチクショーめ。
と、書いては消し書いては消しであっという間に一月が経ってしまった。どう頑張って取り繕っても悪口になってしまうんですよ
それだけ仕事の上で酷いことをされたのでえーい書いてしまえ!と思う一方で、居なくなった人の悪口はちょいとみっともねーなと思う気持ちもある。
もとより、人に読ませる文章を書くときは私的な事は書かずなるべく一般化して書くようにと私の師匠(なぞ)もよく言っていた。ふむ

以前、聞いたことがある。能力の無い人ほど自己評価が高くなりがちなんだそうな。
その手の人は「これで完成!」のゴール地点を元々低いラインに設定しがちなので、周囲からは頑張りを認めてもらえず不平や不満を溜めやすいそうだ。自分はこんなにやってるのに!という気持ちから過大に自分の能力をアピールしがちで、結果言ってることと実力の落差から余計に周囲から認めてもらえなくなる。
裏をかえせば、自分が認めてもらえていないと感じるときは冷静に周囲を見回してフラットに自分の立ち位置を確認する必要がある。私も以前の転職時にそれを痛感していたので、冷静な視点無しに職場を変えても同じことの繰り返しになるよ、と声を大にして彼女に言いたい!
なにせ世間は狭いし、私もこの業界は長く勤めているので知り合いもいたるところにいる。彼女の新たな職場にも御多分に洩れず私の知人がいるわけだ。「ねえ、この人ってもしかして例の人じゃない?」と持ちかけられた話題の人物は…例の人でした。
私が想像した通り、新しい職場で前の職場の不平を漏らしながら(つまりは私の悪口だ^^)相変わらずトンチンカンな仕事ぶりを発揮している様子だった。
彼女は多分、永遠に新人さん。今の職場も年内には終焉を迎えそうな勢いでやらかしているらしい。

さて冒頭の「悪い巡り合わせ」というのはこのことではない。新人さんの杜撰な仕事の上にもう一人、間違った手法の仕事を重ね合わせてくれちゃった人物がいて、そのためにずっと私は修正作業にあけくれていたのです。ミスが一つだけなら傷は浅かったろうに、一つの間違いから広がる可能性の枝が二つ絡まることで実に難解なパズルとなって立ちふさがった。新人さんが関わらなければとか、段取りを理解してない学生さんが関わらなければとか、悔やんでもそれはせんなきこと。そんなことを言い出したら結局、全部一人でやるのが一番安全で間違いないということになってしまう。それは事実なんだけど(^^;)
でもそれは行き着くところ、自分の代わりがいない仕事になる。「自分にしか出来ない仕事」があることを誇らしく思う人もいるかもしれないが、私は仕事としてそれは間違っていると思う。何より、それじゃ私が休めなくなるじゃないか!
昨年、脳梗塞を起こした時に思ったのは誰にでもすぐに引き継げる形で働かねばならぬということ。人が関わることで最初の段階でどんなに面倒くさいことになったとしても、作業は割り振って行う。それを意識するのが責任を持って仕事をするということではないかと思った次第。

良き巡り合わせで、仕事を共有できる人が見つかりますように。なむなむ

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