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2011年11月28日月曜日

反芻する記憶

世の中には着道楽の人と食い道楽の人とがいる。私には姉がいますが彼女は間違いなく着道楽。そのかわり食べ物にはさほど関心がない。一方私は着たきり雀の食い道楽。着るものに関しては、裸じゃなけりゃそれでいいと思ってる。
姉曰く「食べものは食べたらそれでおわり。服なら何度でも着られるからお金は着るものにかけるべき」だそうな。この「食べたらそれでおわる」という感覚が私にはない。私にとっておいしいものの記憶は永遠。コレ大げさではなく。私の記憶の多くは食べ物とリンクして脳内に堆積されている。

アメリカごはん。ざっくりした野菜サラダに爆笑
Dinner of The Ahwahnee (Yosemite )
大学入学式の日のフルコース。お店の人が状況を察して急遽サーブしてくれたお祝いのデザートは心底嬉しかった。
ダンナとの初デートで食べた鰻。どこに座ったらいいのかわからず斜向いに腰掛けてしまった思い出。
夏休み、祖父の家で食べる朝ご飯。パンケーキとカリカリベーコンの記憶は今思えば日系アメリカ人だった祖父の子供時代を再現していたものだとわかる。祖父に刻まれた食卓の記憶は世代を越えて私にも継がれた。

日常メシの全てを記憶しているわけじゃーないけれど、イベントやなんらかのインパクトのあった日に食べたもののことは大抵思い出せるし、何を食べたかさえ思い出せば、そこから逆に記憶の糸をたぐり寄せてその日何があった、誰がどうしたという詳細を容易に思い出すことが可能だ。
そうして見ると着道楽の姉はきっと、その日来ていたドレス(^^)から記憶を引き出せるに違いない。と思って一度尋ねてみたことがあるけれど「んなわけ、ないでしょ」と却下された。記憶に関しては「あんた昔から執念深かったから」だそうだ。

そうそう、年代をさかのぼってゆくと私の記憶は確かに食べ物の恨みネタが多いのよねぇ。。そうやって培われた能力なのか、もしかして?
愛すべき食べ物のラベルを作ったので、今後はおいしいものをじゃんじゃんup してゆく予定です。乞うご期待

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