アラフォーという言い方は定着した感があるが最初どうにもこの言葉には馴染まなかった。
自分にとって40代というのは、特に41歳の春というのは特別な意味を持っていた。すなわち憧れの人バカボンパパの歳が一つの区切りになるだろうと子供心に感じていたからだ。
アラフォーはつまりアラウンド・バカボンパパということ。
振り返り、自分はバカボンのパパに近づけただろうか?と考えるとまあ、かなり近い人間になってると思う。
昔の言葉で 不惑 といわれる年を過ぎ、自分のやり方に迷いはなくなりつつあるのにそれがどうにも矩を越えまくってて周囲から引かれまくってる。
今日、それをしみじみと実感した。
早く普通の人間になりたい。矩を越えなくなるのは孔子ですら70らしいね。
なんだ、あと30年はこれでイケルじゃん。
これでいいのだ。
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