鈍い私もなんとなくこの世界のことが飲み込めて来た。この街で友人を積極的に作っていたなら、もっと早く情報収集できて理解が早かったかもしれない。いいや、友達が多かろうが少なかろうが同じことだ。自分の知人のみんながみんな、ここへ来るとは限らないから。人はそれぞれに思い入れのある場所が違う。
頭の中を整理して、私はウエダ夫人の家を訪ねることにした。いつでもいらしてね、というお言葉に甘えて。
「まあ、嬉しいわ。ご近所に長いおつきあいのお友達はたくさんいるけど、ニューカマーとはお知り合いになれるチャンスが少ないですものね。新しいお友達は大歓迎よ。」
ウエダ夫人はウキウキと私を家に招き入れてくれた。物静かなご婦人という印象しか持っていなかったけれど、昭和の初期に海を渡って異国で暮らす勇気を思えばとても好奇心旺盛なアグレシッブな女性だったのかもしれない。
「聞きたいことがあっていらしたんでしょう?」紅茶を淹れて一息ついてからウエダ夫人は何でも聞いてちょうだいと促した。
「プロフェッサー ウエダはお元気ですか?」一度しか面識はないがウエダ夫人のご主人がこの学園都市の大学教授だったのは日本人駐在員の家族なら誰でも知っていた。
「あの人はね…私はてっきりここなんだと思ったんだけど、あの人には違ったみたいね」ふふふ、とチャーミングな笑顔でウエダ夫人は笑った。
やはりスズコさんのところと同じだ。ご主人とは一緒に暮らしていないらしい。年の頃から言って、ご主人がご存命とは思えないから待っていれば来るというものでもなさそうだけど?
「別の場所にいらしてるんでしょうか?」
「そうね、ことによると日本の生まれ故郷かもしれないわね。とても故郷のことを懐かしんでいたから。」
「ええっと、これは自分が一番思い入れのある場所に…来る、ということですか?」
「そうね、思いの強さがそうさせるのかしらね。私はね、日本はそれはもう懐かしくて思い入れもあるんだけれど、何と言ってもここはあの人と長く暮らした場所ですものね。一番ここが好きなんだわ。」
「離れてからどれくらいになりますか?場所が違ってはぐれてしまうと、もう会えないのでしょうか?」
「ここでは時間なんて無意味だわ。待っていれば来ますよ、きっと。」
どうしてみんな、達観したようなことを言うのだろう。死んだ時に一旦諦めがつくのだろうか。私は確かに若い頃にこの土地での生活を楽しんだけれど、やっぱりそれは夫がいたから楽しかったのだ。ここが死後の世界なのだとしたら「早くここへ来い!」とは確かにこの状況では願いにくいことだから「今すぐ!」とは思えないけど、もしも夫が亡くなってから別の場所に行かれしまうのだとしたら、それはちょっと切ないな。
観光農園の思い出 |
とても暖かみのある穏やかな老人で夫婦が寄り添ってリンゴが磨かれていく様子を愛おしそうに眺めていたのを昨日のことのように思い出す。紅葉で金色に輝くアップルヒルの風景と相まって彼らは私の理想の老夫婦の姿だったのだ。
それなのに今は一緒にいられないだなんて。