いらっしゃいませ

にほんご べんきょう してきて ください
いらっしゃいませ。ずっと試運転中です。予告なく変更しまくるつもりが仕様変更については手付かずです。

2018年6月2日土曜日

猫のいる部屋 7


「ミセスウエダ…。アップルヒルの農園は今もお持ちですか?私、あの頃行ったあの風景が忘れられません。また行ってみたいのですが、ご一緒しませんか?私、車を出しますから案内していただけませんか?」
「あら、素敵ね。1人になってからはもう長いこと行ってないからどうなってるかしらねぇ。リンゴの世話は人に任せっきりだったのよ。ピクニックにはまだ暑い季節だけど、あの丘の上の木陰は風がわたって気持ちいいわ。私、あの丘の風景が大好きなのよ。じゃ、お弁当を持って行きましょう。いつならご都合がいいかしら?楽しみだわ。」

基本的に遠出しないと丘などない土地だった
早速その週末に農園の入り口に車を乗り付けた。丘を見上げると作業小屋の横で機械の手入れをしている人がいる。ウエダ夫人は突然少女のように駆け出してゆきその人物に飛びついた。
「ああ、君か!やっと来た。」プロフェッサーは夫人の体をしっかりと抱きとめると口づけをして彼女の顔を何度も覗きこんだ。「やっと来た。ずっと待っていたよ。」
夫人は恥ずかしそうにこちらを見て「ほらね、待っていればいつかは会えるのよ。」と言った。
夫妻の農園の小さな家に招かれて一緒にお弁当を食べた。
「僕はね、絶対に君はここへ真っ先に来るものだと思ってたんだよ。」
「私は絶対にデイビスの家だと思ってましたよ。農園の仕事は大変だとあなた、文句ばかり言ってらしたじゃないの。」
「でもここは海こそ見えないけど瀬戸内の丘みたいだと、君が言ったんだよ。だから決めた場所じゃないか。君が一番好きな場所はここなんだと僕は思ってたんだよ。」
「何にしてもお二人がこうしてまた一緒に会えて良かったですよ。結局、居たいと願った場所がその人の居場所になるんでしょうかね?待てば会えると皆さんはおっしゃるのですが、今日のような偶然の再会を待つしかないんでしょうか?何かご存知ですか?」
「随分前に思いの強さが引き寄せると教えてくれた人がいるけれど…どうなのかしら、会いたいと強く願ってる人の方へ引き寄せられることがあるんですって。だから私はずっと強く願っていたんですけどね。」
「じゃあ僕の引き寄せる力が君よりも強かったということだね。」プロフェッサーは満足そうに夫人の手を握った。見つめ合う2人。
こうしてアップルヒルからは1人で帰路に着いた。幸せな気持ちと共に。

2018年5月30日水曜日

猫のいる部屋 6


鈍い私もなんとなくこの世界のことが飲み込めて来た。この街で友人を積極的に作っていたなら、もっと早く情報収集できて理解が早かったかもしれない。いいや、友達が多かろうが少なかろうが同じことだ。自分の知人のみんながみんな、ここへ来るとは限らないから。人はそれぞれに思い入れのある場所が違う。
頭の中を整理して、私はウエダ夫人の家を訪ねることにした。いつでもいらしてね、というお言葉に甘えて。
「まあ、嬉しいわ。ご近所に長いおつきあいのお友達はたくさんいるけど、ニューカマーとはお知り合いになれるチャンスが少ないですものね。新しいお友達は大歓迎よ。」
ウエダ夫人はウキウキと私を家に招き入れてくれた。物静かなご婦人という印象しか持っていなかったけれど、昭和の初期に海を渡って異国で暮らす勇気を思えばとても好奇心旺盛なアグレシッブな女性だったのかもしれない。
「聞きたいことがあっていらしたんでしょう?」紅茶を淹れて一息ついてからウエダ夫人は何でも聞いてちょうだいと促した。
「プロフェッサー ウエダはお元気ですか?」一度しか面識はないがウエダ夫人のご主人がこの学園都市の大学教授だったのは日本人駐在員の家族なら誰でも知っていた。
「あの人はね…私はてっきりここなんだと思ったんだけど、あの人には違ったみたいね」ふふふ、とチャーミングな笑顔でウエダ夫人は笑った。
やはりスズコさんのところと同じだ。ご主人とは一緒に暮らしていないらしい。年の頃から言って、ご主人がご存命とは思えないから待っていれば来るというものでもなさそうだけど?
「別の場所にいらしてるんでしょうか?」
「そうね、ことによると日本の生まれ故郷かもしれないわね。とても故郷のことを懐かしんでいたから。」
「ええっと、これは自分が一番思い入れのある場所に…来る、ということですか?」
「そうね、思いの強さがそうさせるのかしらね。私はね、日本はそれはもう懐かしくて思い入れもあるんだけれど、何と言ってもここはあの人と長く暮らした場所ですものね。一番ここが好きなんだわ。」
「離れてからどれくらいになりますか?場所が違ってはぐれてしまうと、もう会えないのでしょうか?」
「ここでは時間なんて無意味だわ。待っていれば来ますよ、きっと。」

どうしてみんな、達観したようなことを言うのだろう。死んだ時に一旦諦めがつくのだろうか。私は確かに若い頃にこの土地での生活を楽しんだけれど、やっぱりそれは夫がいたから楽しかったのだ。ここが死後の世界なのだとしたら「早くここへ来い!」とは確かにこの状況では願いにくいことだから「今すぐ!」とは思えないけど、もしも夫が亡くなってから別の場所に行かれしまうのだとしたら、それはちょっと切ないな。
観光農園の思い出
私がプロフェッサーウエダと会ったのは一度きり。リタイア後の隠居生活を楽しむためにご夫妻はこの街から少し離れた山間部のアップルヒルという場所に小さな果樹園を手に入れて細々と果樹園経営を始めていた。秋の収穫時期にお誘いを受けてその果樹園を訪れた時にオーバーオール姿のプロフェッサーウエダが収穫したリンゴを磨く機械の入った作業小屋を案内してくれたことがある。
とても暖かみのある穏やかな老人で夫婦が寄り添ってリンゴが磨かれていく様子を愛おしそうに眺めていたのを昨日のことのように思い出す。紅葉で金色に輝くアップルヒルの風景と相まって彼らは私の理想の老夫婦の姿だったのだ。
それなのに今は一緒にいられないだなんて。

2018年5月27日日曜日

猫のいる部屋 5


未練がましく会えることを期待してスズコさんの家の近辺を散歩している時だった。不意に後ろから声をかけられた。
「スズコの友達の…ええっとスーマ?」
振り返るとスズコさんの旦那さんのアルフレドがいた。
「そうです!スズコさんの友達の!お久しぶりですアルフレド!」
「ああ、良かった。スーマは知ってる街の名前と一緒だから思い出せましたよ。」
今度は流暢な日本語でアルフレドは話し始めた。
日系3世の彼は出会った頃にはイッセイの祖父母の話す日本語のおかげで聞きとりは可能だけど日本語を話すことはできないと言っていた。だけど帰国後3年して遊びに行った時には驚くほど日本語を話すのが上手になっていて私たち夫婦を感心させた。アルフレド曰く「妻のスズコは日本人だから年老いて英語が話せないような状況で病気になった時には僕が医師との橋渡しをしないといけない。そんな時に彼女の話す細かい症状とかを把握できないと困ると思って日本語を一生懸命勉強いたしました。」
これを聞いた時、私は思わず夫の脇腹をドンと突いて「今の聞いたか?!日本の男は自分が妻の世話になることは想定しても自分が妻の世話をするなんてこれっぽっちも想像してないでしょ?これがアメリカの男性との違いだよ!」
結局、私が夫を看取る日はこなかったのだな、と今は申し訳なく思う。
「スズコさんはお元気ですか?すっかりご無沙汰してしまって…」
「よろしければうちでお話でもしませんか?」
アルフレドはバックヤードに通じる裏木戸を開けて懐かしい友人の家へと私を先導した。
アメリカ規格としては小ぶりで簡素に該当するが日本規格なら十分な大きさの住み心地の良さそうなお家。品のいい調度品で揃えられたダイニングでよくお茶をご馳走になった。今日はその横のリビングで小さな庭(それすら日本人にしたら広い)を眺めながら聞かれるままに離れ離れになってからの話をお互いにしあった。今更だが自分が死ぬくだりを話す時になって初めて「あれ?」と異変に気付いた。この記憶ってどこから来たものかしら?今って一体いつなのかしら?



「じゃあ、タケシは一緒じゃないんですね。きっとまだ来ないんですね。」
アルフレドはしみじみとした表情で言った。
「スズコは?彼女はどうしてますか?やはりその…ここに来ていないんですか?」
「スズコは先に行ったんですよ。僕はてっきりここで会えると思ったのですがね。…もしかしたらパリに居るかもしれません。」
懐かしむような顔でアルフレドは遠い庭を見つめた。日系人のアルフレドと日本人のスズコさんの出会いはお互いが留学していたパリだったと聞いたことがある。人は若い時に過ごした街にその魂のひとかけらを置いてくるという。魂のかけらはスズコを懐かしいパリの街に引き寄せたかもしれない。私がこの街に引き寄せられたように。
「パリには行かれないのですか?スズコさんに会いに…」
「いずれ行くかもしれません。でも今はここで彼女が来るのを待ってみます。もはや時間は無いようなものですからね。」
サマータイムの夕暮れは遅い。すっかり話し込んでしまったことに気づいて私は慌てて席を立ち猫の待つ部屋へ帰った。

2018年5月24日木曜日

猫のいる部屋 4


ラボの見知らぬ学生はぶっきらぼうな人で、何度か話しかけてみたけど自分の実験以外のことは興味なさそうに短い返事をするだけで会話が繋がらない。
「ネルソン教授は最近来てないですね。出張ですか?」
「さあね、…ネルソンのことは知らないな」
「あなたとは初めてお会いしましたよね?私は須磨と言います。」
「ああ、初めて見るね…知り合いじゃないことは確かだ。」
むわー、同室の人がコレでは辛すぎる。一緒に仕事してたサイモンやミチコはどこへ行ってしまったんだ?
打ちひしがれて夫のラボを覗く。以前、挨拶を交わしたドナルドの顔でも見てみるか。しかし夫が帰って来ない話とか、イマイチ英語でうまく説明できる気がしない。せめて夫の留学生仲間のペータがいてくれれば…オージーの彼は陽気な若者で言葉の壁をものともせずにコミュニケーションを図ってくれる人だった。通じるかどうかは別問題なのだが。
実験室の様子はどこも一緒
ペータはいなかった。フランス人留学生のべべもオランダ人留学生のヒノエもいない。唯一私の英語を根気よく聞き取ってくれる親切な日系4世のポーラも…やはりいない。
こうして考えてみるとアメリカでつるんだ友人のほとんどは留学生や移民の人たちだ。アメリカ人はいわばホームグラウンドに居るだけあって、どうしても仲間同士のおつきあいが忙しくなる。となると、結局付き合いやすいのは留学生同士になる。日系人のポーラだけはアメリカ人だけど、彼女は祖父母世代が生粋の日本人だったりするので日本人が間違いやすい英語表現を上手にフォローして聞き取ってくれるからとても話がしやすい。
彼女に話を聞いて欲しかったな…と諦めて帰りかけるとそこへドナルドがやってきた。
「何か質問があるかな?」
待ってましたよとばかりに向こうから切り出してきた。
Hi,ドナルド…タケシはここに…いないかしらね?」
「まだ見てないな〜。もしかして先に来ちゃったの?」
「?!う、うん。先に来ちゃった…みたい。」
「じゃあ、そのうち来るよ。待ってれば来る。時間はないようなものだからね。いつか解決するさ。家で待ってれば?」
「わかった。そうする。」
実際には他にも早口で色々と言われたけど、さすがに全部は聞き取れない。家で待てとの言葉を渡りに船とばかりそそくさ退散。
帰りは以前、ウエダ夫人に出くわしたスーパーにも寄ってみた。だけど今日は彼女には会えなかった。
本当に待っていればそのうち帰って来るのかな?ここでの生活は確かに楽しかったけど、夫がいないと楽しみも半減。暖炉に火を入れる季節までには帰ってきてくれるかな。暖炉は夫の仕事なのに、一緒に薪がはぜる音を聞くのが楽しみだったのに…。暖炉の横に腰掛けてぼんやりしてるとオトヒメが額をコツンと私の腕に押し付けて来た。
「待っていれば来るってさ」と頭を撫でてやるとオトヒメは「そうだとも!」とばかりに満足そうに伸びをした。

2018年5月23日水曜日

猫のいる部屋 3


帰国する日本人駐在員が処分に困って置いて行った家財道具などがウエダ夫人の家のガレージには山積みになっていて「好きなものを持って行きなさい」と言ってくれた。そこでいただいたお椀は日本に持ち帰って実に30年も普段使いに使用したりなんかした。
「あらあら、そうですか。あなたはここを選んでくださったのね。とても嬉しいわ。」
ウエダ夫人はそう言ってアメリカ人らしいオーバーアクションで私の両手を取って包み込むように握ってから優しくハグしてくれた。
「こちらにはいつ頃いらっしゃったのかしら?」
サンフランシスコ地震(ロマプリータ地震)の後でした。たったの2年しかいられなかったのですがここでの暮らしは懐かしい思い出です。」
言いながら目が潤んだ。そうだ、この土地は若い頃のたった2年を過ごした大切な思い出の地だった。
「…そうですか。あなた、お越しになったばかりかもしれませんね。またいつでも会いにいらしてくださいね。」
久しぶりに知り合いと日本語で話しができた高揚感でぼうっとしたまま私は店を出た。引っ越してきたばかりの頃は夫以外の人とは話をする機会もなく、たまに日本人会のサロンでお喋りした後は帰路で何度もその日の会話を反芻したものだった。
アパートの駐車場
今もウエダ夫人の言葉を反芻しながら、まるで転居直後の何もわからずに困惑してる人を気遣う様子だったなと思った。実際にそういう人の世話を長年続けていらした方だし、初めてお会いした日には私も同様の気遣いをいただいたっけ。
惰性でここでの生活を続けてはいるものの、夫の長い不在など困惑する事態になっているのは事実。というか、夫が帰ってこない事態なんか、もっと困惑してしかるべきなのにあまり動揺してない自分に戸惑い始めた。

帰り道に少しだけ回り道して近所のスズコさんの家へ行ってみる。彼女は日系人のご主人と結婚してこの土地に住む少し年上の日本人女性。気が合ったし、互いの家を行き来してとても良いお付き合いをさせていただいた。帰国してしばらくは手紙のやり取りをしたし、帰国後3年してから再度渡米した時には遊びに行ったこともあるが、その後30年の時の経過と共に疎遠になってしまった。そんな自分の不義理が恥ずかしくて何となく「そのうち会いに行ってみよう」と先延ばしにしていた場所だけど、ウエダ夫人と話した勢いを借りてスズコさんにも会いに行ってみよう!


スズコさんの家は少し雰囲気が違っていた。大学のラボ同様に知らない人がいたりするかも…と思うと呼び鈴は押せない。しばらくモジモジしながら家の周りを未練がましく眺めていたけど、不審者と思われても何なのでその日は結局諦めて帰宅した。
駐車場に車を入れるとオトヒメが駆け寄ってきた。一緒に部屋へ戻って「結局、私の話し相手はお前だけだね」と話しかけるとオトヒメは満足そうに前脚をぺろんと毛づくろいして寝そべった。