いらっしゃいませ

にほんご べんきょう してきて ください
いらっしゃいませ。ずっと試運転中です。予告なく変更しまくるつもりが仕様変更については手付かずです。

2011年5月19日木曜日

昨日の時計はありません

以前も書きましたが、放射性廃棄物の処理方法を検討する研究(の下働き)をやってました。当時は原子力発電ありきが前提の世界だったので、放射性廃棄物をどうするかひたすら考え一生懸命取り組んでました。
当時も今も結論から言うと地中深く埋めるしか方法ないんですけどね。宇宙に放り投げるなんて話が出た時期もありますがコストの面でまるでお話にならんので速攻で立ち消えでした。まあこれはまた別のお話。

震災以降、原子力発電を見直す動きが大きくなり放射性廃棄物をとりあげた映画の上映会http://www.uplink.co.jp/100000/に参加した人達の感想がTVでもとりあげられていました。
「どうしてこんな万全ではないものを作ってしまったの?」というのは率直な感想なんでしょうけど誤解を恐れず言えばそれはある意味、原子力で痛い目を見た後の世界だから実感を伴って出た意見。いえ、意見そのものはしごくまっとうで誰しも感じる事でしょう。問題なのは少なくとも5年前の日本では「でも電気ないと困るでしょ」の一言で放射性廃棄物問題なんて有耶無耶になってしまうのが普通な世界だったということです。
便利な生活を簡単に捨てられないのはチームマイナス6%の取り組み加減を見ても一目瞭然。原子力発電が消極的ながらでも容認され続けてきた理由は便利な生活を捨てる勇気を持てない&捨てられるはずがないという認識のなせる業ではなかったのか?

な〜んてな。問題提議なんてアタシャしませんよ。昨日はどこにもありません。今日を打つのは今日の時計。節電を切実な問題とする新しい世界が動きだしたのは事実。新しい希望の朝に乾杯だ!コンチクショー

2011年5月14日土曜日

私は元気です

おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。
お久しぶりです。間が空いてしまった時の挨拶はいつだって魔女の宅急便。たとえ落ち込んだりなんかしてなくても、とりあえず書いておけばそれでO.K.

さて、折角なので魔女の宅急便に関するお話でもひとつ。
キキは魔女の血のお陰で空を飛ぶ能力がありましたね。母親に言わせると「あの子ったら空飛ぶことしか覚えなくって…」とか。
つまりキキは魔女としての他の可能性もあったんだろうなとおぼろげに推測。作中、他の魔女といえば母親が怪しい薬を調合してるし、冒頭に出て来る通りすがりのお姉さんは占いができると言っていた。そうして見ると、魔女達はそれぞれが得意の能力を伸ばして仕事に結びつけた事は想像に難くないです。
小さい頃は(つーても上映時、すでにそこそこ大きい子でしたけどね)キキが突如飛べなくなるくだりが原因不明の上、何の説明もないため不可解でしょうがなかった。でも年老いた今なら言える。能力は伸ばしてこそ才能になる、と。

ひるがえって私ら人間だって得手・不得手というくくりで見れば、誰でも何かしらの得手=能力を持って生まれて来ている。でも能力はただ持っているだけでは「センスがあるね」「あら、器用なのね」で終わる世界。研鑽を忘れればそのまま「昔はできたけど今はダメね〜」なんてことはザラにある。
才能があると言われる人達は、生まれつきの部分はもちろんあれど決してそれだけでは人に認められる域にまで達することはできなかったはずなんです。

なんでこんな事考えたかと言えば、通勤途中に「手作りのおくすり有ります」という看板の薬局があってキキのお母さんのこと思い出したからなんだけどね。

2011年3月30日水曜日

ナウシカどうでしょう

誰からも受け入れられるストーリーでアニメは申し分ない大団円。青き清浄の地への希望と期待に満ちたラストシーン。あれはあれでとても良いものです。
清々しい気持ちでアニメを見て育った子供達が大きくなったら、次は原作コミックをオススメしたい。うちの子は大泣きしましたけどね。厳しい現実というストーリーもさることながらグロくて怖くてもう読めないと途中でリタイア。ちっ、早すぎたんだ。腐ってやがる。
コミックのストーリーは冒険活劇というよりは戦記物。族長の子としての務めだった従軍をきっかけに、世界と腐海を探求する旅に出たナウシカの見つけた真実とは!というのがコミックストーリー。

ネタバレを恐れず言えば、物語の中盤で青き清浄の地で暮らせないことまでナウシカは突き止めてしまう。そして秀逸なのはナウシカがそれを人々に明らかにしない決意をすること。絶望を胸に秘め、希望にわき返る人々を欺き続けてそれでも私達は「生きねば!」という心の叫びで物語の幕は閉じられる。

生きろ!」が主題でイマイチ万人受けしなかった「もののけ姫」は、ナウシカを読んでから見るとかなり明快なストーリーになる、 かもしれない
呪いを身に受けながら呪いと共に生きていくアシタカ。あるいは王道楽土を築くために血で汚れなければならぬクシャナやエボシ。そして滅び行く運命を知りつつその命を全うする事を願うサンやナウシカ。

SFの世界だった放射能汚染の恐怖に人々が震撼する今だからこそ、穢れを受けながらも生きて行く決心に思いを馳せたい。すでに見返りを受けていた以上、私という人間は原発事故以前に穢れていたはずなのだから。
※ 別に私は終末思想とか文明批判とか、大仰な考えは持ってません。念のため。

2011年3月26日土曜日

モノ言えば…

お久しぶりです。まさに国難な日々。言葉もありません。
この危機に自分に何ができるだろうかと考えても、結局は自分の生活を淡々と誠実に送る以外の事はできません。

過去に私は放射性物質の廃棄方法の研究に携わったこともあり、得体の知れない恐怖で途方にくれる人達に役立つ情報を発信する事ができないものかと考えました。だけど率直に言ってそれは至難の技だとツイートするより前に実生活の中で悟りました。
私の周辺では多くの人が求めていたのは「絶対安全」という保証の言葉。自分を安心させてくれる言葉だけ端的に聞きたい人の数は圧倒的に多い。

だけど科学の世界において「絶対」というのは誰もが欲しながらも得ることが稀な、夢の結晶のようなものなんです。放射性物質の特性から言っても絶対安全なんて言葉はクチが裂けたって科学者に言えるわけないんです。
その上で「でも今の所みんなが想像するようなえんがちょレベルじゃないからね」という説明があるのですが、これは単純明快な安全宣言にはなり得ないので受け入れ難く、不信不安とそれに伴う恐怖心を蔓延させてしまう。そんな風に私の目には写りました。

その一方で私はまた思うのです。「絶対安全」と誰かが言ってくれればそれで済む問題なのか?と。
恐怖を克服したいなら誰かにそれをゆだねることなく、自分で納得いくまで調べるしかない。曇りなき眼で自分が正しいと思える知識を得て、的確と思える判断をその都度自分でするしかない。結局は自分の生活を淡々と送るしかないのと同じように。

2011年3月7日月曜日

シュフの乙

私はコタツが大好きです。こたつって書くと優しい感じがするし、炬燵って書くと外が凄く寒い漢字がするね。それはともかく
愛してやまないコタツなのに我が家はコタツ禁止令が出ていた。
ひとつには旦那がコタツを憎んでいるため。理由は「出らんなくなるから」

実にふざけている!ちなみにうちの旦那はバイキング形式の食事も嫌い。
理由は「食べすぎちゃうから」

どこからツッコんだらいいか、わかりません!

コタツ禁止の二つ目の理由は猫がふとした弾みでコタツ布団に粗相をしたため。猫って一回やっちゃうと、やめらんなくなるんだよね>粗相
そんなわけで家を新築したのをきっかけに5年くらいコタツのない冬を過ごした。

まあ、コタツがあると掃除が面倒なことになったり場所をとったりなんで、無ければ無いで快適には過ごせるんですよ。でもなんか寂しい、コタツのない冬なんて。
場所ふさぎにならず旦那にも気づかれずにコタツにあたりたい、と思った私は構想5年をかけてついに実現にこぎ着けたのであります。その写真がコレだ。

ダイニングの椅子からもこっそり足を入れられるぞ
ダイニングテーブルの隅に60cmコタツを合体して省スペース化。
コタツ布団は就寝時に仕舞って猫の粗相対策&掃除も完璧。
思わぬ収穫として、この状態でコタツに入っているとダイニングの椅子でくつろぐ猫達と視線があってテーブル下の密かな猫集会に参加できる!すばらしい!

難点は一つ。旦那に気づかれずという点はクリアにならなかった。
が、そんなことは気にしなければどうということはない。余は満足じゃ。