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2013年2月26日火曜日

いつでも夢を

左足元に子供が寄り添う珍しい狛犬
隠岐の島にて
 音羽幼女殺人事件 は、発生当時「お受験殺人」として世に浸透した事件。受験に絡む母親同士のいざこざから二才の子供が殺されたとして注目を浴びたが、裁判が進むうち事件は別の様相を呈しマスコミでの名称は途中変更された。公判記録を読む限りでは、被告から一方的な念をぶつけられた被害者家族という印象を受ける。
しかしどうした事かこの事件は被告の生い立ちや境遇に対する同情、小さい子供を抱える母親が共通して持つ閉塞感に焦点が当てられたために、悩める母達の共感を集めてしまった。やがてその共感は「被害者側にも落ち度があったのでは」「被告をイジメてたんでしょ」等のいわれのない中傷を被害者側に浴びせる結果となった。

公判を読む限り詳細は以下のようである。
人付き合いの苦手な被告にも屈託なく声をかける性格の被害者の母。被告は華のある被害者母に傾倒し交流を持つが、やがて上の子の幼稚園入園を期にバランスが崩れはじめる。被害者母の交友関係は広がる一方で被告には新しい友人はできない。屈折した気持ちから被告は被害者母を嫌悪して避けるようになり、当然の帰結として両者の関係は疎遠になる。すると被告は今度は憎悪を募らせ始め、被害者母に対し異様な執着をしてその交友関係(これが主に受験関係だったのか?)に追従するようになる。この好きでもないのに必死についてまわる様子が端から見たらヘンな関係に見えたことは想像に難くない。
同じ幼稚園に子供を通わせてただけの張り切りオバサンがTVに出張った時期もあったそうで、こうした人の無責任な発言から被害者母に対する妄想を含んだ批判は起きた。いわれなく娘を殺され、身勝手で言いがかりでしかない犯行動機を被告から聞かされた被害者母の事を思うと暗澹たる気持ちになる。その上、無関係な人達からの心ない中傷。これほどの不幸があるだろうか。ただ黙して子供の冥福と被害者一家の平穏で暖かな日々を祈る他ない。

事件に巻き込まれたことのない人間には想像も及ばないことでしょうが、やられる時というのは本当に何の落ち度がなくっても、何のいわれもなくっても、まったくもって理不尽にやられてしまう。そういう性質の事件もゴマンとあるんです。それを理解してくれる人の存在が何よりも被害者の心の支えと癒しになることを私は知っています。被害者の落ち度を憶測する無責任な害や、おっと誤変換、外野が存在する一方で、苦しく理不尽な目に遭ってる状況を理解してくれる人達もまた必ず存在する。命さえ長らえれば悪い夢ばかりでなく、良い夢だって見られます。凹んで気落ちする時も、どうせ見るなら良い夢も見ましょうぜ。
前回書いた父が巻き込まれた傷害事件ですが、一地方で起きた小さな事件扱いだったにもかかわらず一度だけワイドショーで取り上げられました。ご丁寧に父宅まで取材クルーが駆けつけ、定石通りそこに張り切りオバサン登場!「いちゅかこぅなると思ってたんでぃすよぉ〜」とモザイクかけて変声で話してました。交流もない父や犯人のどんな事情を知り得ていたのか皆目見当つかないですが、この人、近所でも有名なトラブルメーカーだった。モザイクかかっていても近隣の人達からは「またアノ人は…」と長く語り草にされていたことも追記しておく。
TVにコメント出してたのはこの人だけ。節操のない人は何処でも出張って話をするし、節度ある人の大半は知らない事わからない事に対しては何も語らないものだとその時に知った。
だから、というのでもありませんが「死人に口無し」にされる前に何が起きていたかを周囲に知っておいてもらうことも必要と思いました。ネットとリアルをリンクさせる趣味を今まで持たない私でしたが、打てる時に打てるだけの手を打っておこうと暗中模索。

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