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2013年2月8日金曜日

帰蝶のゆめ

思いがけず前回の続きです。
let the cat out of the bath
まどろみの猫
私のブログを見つけたと思しき人物に対して「その人のこと好きじゃない」という発言は、その人が本当にこのブログを読んでたとしたらあんまりなんじゃない?という指摘をネットの私とリアルをリンクして知る人物から受けました。
言い訳ですけどあの話の肝は、人物特定することで互いに一挙手一投足に深読みや疑念を抱くくらいなら共に曖昧な状態でネットに向かい合う方が精神的にもいいんじゃないの?という呼びかけ。該当人物が本当にここを読んでいるのなら、荒っぽい方法ですが多少はギクリとさせながらの牽制球。だって何度も聞いてくるんだもん。実生活の話でも本人がはぐらかしてる話を何度もほじくり返すのはマナー違反ですぜ。それはつまり遠回しに「あなたには関わりのない話ですよ」という意思表示をしてるんだからさ。と、あの日言えなかった言葉をブログで言うよ f^^;)

例えて言えば
社食で友人に自分の彼氏の話をしてたとする。その後、別の場所で社内のさして親しくない人物から「ねえ、◯◯業界の彼氏がいるんでしょ?」と聞かれるシチュエーション。相手との関係性によるけれど、知らせる必要がない話というのはある。ただし社食という公の場で話をするからにはそれを誰かに聞かれて「あの人、彼氏居るみたいだね」なんて話を仲間内でされる分には、それに目くじら立てることはできない。ネットの発言ってこれっくらいのスタンスじゃないかな?と今回の事で考えました。

フォローしときますが、その人物のことはキライじゃないです。やんわり否定したことを再度聞かれちゃう事からも推して知るべしですが、波長が合わない所を指して苦手=好きじゃないと評しました。(←少しも何の慰めにもなっとらん)
でも実際問題、お互いに波長がズレる人は普通に存在します。ムリに合わせる必要もないし、かといって面と向かって「合わないね〜」という必要もない。それが現実社会。その面と向かって言わない部分をいとも簡単にあらわにする特性がネット社会にはある。「好きじゃない」と言われること自体、あまり嬉しいことではないのに「好きじゃない」と言われている自分を他の人の目にも晒す結果にもなる。
社食に置き換えれば「あの人のこと好きじゃないんだよね〜」と根回しチックにふれてまわってるようなもの。今回そうした視点が私には欠けていた、と遅ればせながら反省。同時に「コレは自分のことではないわ〜」と思う耐性もやはりネットには必要だなと再認識。あくまでも相互ファジー推奨。ご都合主義ですが。

自分の発言を不特定多数の目に晒す、という意味においてブログ発信も社食(あるいは公共スペース)での井戸端会議も同じ。他愛ないおしゃべりといえばそれまでだけど、やはり限度を越えたものは周囲を不快にさせるし顰蹙もかう。
Twitterで見かけたマザーテレサの言葉から抜粋
思考にきをつけなさい、それはいつか言葉になるから
言葉にきをつけなさい、それはいつか行動になるから
行動にきをつけなさい、それはいつか習慣になるから
習慣にきをつけなさい、それはいつか性格になるから
性格にきをつけなさい、それはいつか運命になるから
ネット弁慶(あるいはネット上のペルソナ=人格)なる言葉もありますが、思考を大げさな言葉で書き散らすうちに、いつしか行動まで怪しくなる人が確かにいます。虚像と実像がおかしな形で融合して不幸な事件に発展することもあります。ネットの自分とリアルの自分。どっちが本当の自分を表現していて、どちらが夢か幻か。はたまた全ては胡蝶の夢か。
私の答えは単純明快。どちらが夢であってもその夢を見たのは自分自身。結局、ネットも社会の一部。ネットなら匿名でなんでも言っていいなんて思うのは間違い。かたや、ネットでされた発言なら何でも聞き出していいと思うのも間違い。
つきつめて、人付き合いは思いやり、ということですかいのぅ。

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