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2013年2月19日火曜日

夏の夜の悪夢

dancing in the sky
自由な空へ!
 松本サリン事件 は、地下鉄サリン事件(生物兵器テロ)と並んでカルト集団オウム真理教が市民を標的に行った最悪の犯罪。事件の概要はリンクや検索で読んでいただくとして、リアルタイムの報道でその面妖な事件を見た私の感慨を書き記す。
ある夏の夜のこと、異臭発生とともに松本市の裁判所官舎周辺住民が体調を崩し死者まで発生する騒ぎが起きた。ほどなく容疑者としてマスメディアが取り上げたのが、家族共々被害を受け第一通報者となった河野さんだった。運悪く自宅に農薬を保有していた河野さんは警察から何度も取り調べをうけることになった、と聞いている。そこから彼は憶測だけで情け容赦ない注目を全国から浴びる事になった。
不可解で解決の糸口のない事件の真相を早急に解明してスッキリしたい人々の欲求が「犯人はこの人以外、考えられないでしょー」という空気を作り出した。私は報道番組で弁護士とともに身の潔白を表明する河野さんの記者会見を見て戦慄したことを今もはっきり覚えている。
河野さんの態度は毅然として話の内容も理路整然。激昂することなく誠実でしっかりした人柄をあらわしていた。「もしこれでこの人が犯人ならトンデモねー大嘘つきの大悪人ってことだし、これでこの人が犯人じゃないなら…」と言いかけて絶句した。この人が犯人でないのなら、今、この人が置かれているトンデモねー状況って一体!我が身に置き換えて、もしこんな状況に置かれたなら私はここまで毅然とした態度を貫けるだろうか。というより正気を保っていられる自信も持てない。
その後の顛末は皆様ご存知の通り。嫌疑はうやむやのまま世間の目は他の事件をおいかけ始め、オウムのさらなる悪辣な犯罪が明らかになるまで河野さんは怪しい人の汚名を着せられたまま放置された。世間は無責任に忘れ去ったとしても、不名誉を晴らせぬまま生活してゆかねばならない、そのあきらめと煩悶の入り交じる日々を思うと胸が痛む。(被害に遇われ意識を回復することのなかった奥様に、河野さんは誰を恨むことなく長年寄り添い続けた事もここに追記する。それは並大抵のことではない)

身内の話を晒すのは本意ではないが、私の父も以前、事件に巻き込まれたことがある。精神的に不安定だった人物から首に刃物を突き立てられた父は無我夢中で抵抗の末、犯人に大怪我を負わせてしまった。これは明らかな正当防衛だが、目撃者のいない事件だったために殺意の有無を調べるとの名目で、父は殺人未遂の容疑で連行されてしまったのだ。(こんな事ってあるだろかと驚嘆したが、事実起きた。)
警察署長の娘として育った母は「それが警察の仕事だから仕方ないわよ」と淡々としたものだったけれど、父の話が本当ならかなり問題のある自白の強要を受けていた。父の性格からいって毅然とした態度には程遠かった様ですが(^^;)不正行為ギリギリ?の取り調べに対して恫喝ギリギリ!?の抵抗で反撃の上、しまいにゃ憤死寸前の昏倒。こんだけ興奮しちゃう人間なら無我夢中だったというのも本当だろう、と言う結論に達してようやく容疑は晴れた。しかしイヤモウ本当に災難。

ウソをつき通して裁きを逃れる人間がいてはならない。だからこそ厳しい追及は必要。しかしそのために理不尽な状況から身も世もなくし、やってない犯行を「自白」させられてしまう人が居るのも周知の通り。
人は思いもよらぬ出来事に直面した時、その対処には実に強靭な精神力が必要になる。身が潔白であれば恐れることはない、と信じて疑わなかった私ですが、身が潔白であればこそ歯痒さと不本意さで正気を失うことになりかねない。
昨年、我が身に降り掛かった厄災から、世の中が思ったほどには単純明快でないことを学んだ。色々と思う所もあり、その件について書く気持ちが芽生え始めました。捜査継続中なので全て詳細を書くというわけにはいきませんが、今後は事件簿シリーズとして書き残したいと思っています。大げさな、と笑われるかもしれませんが、命の危険を感じる出来事が実際に起きているので、これはいわば遺言のようなものです。あるいは警察とのやりとりの中で疲弊している全国の犯罪被害者の方々への励ましと応援。そんな感じで。
とか書くと、犯人と警察の両方からマークされちゃうのかしら、私 f^^; )

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