いらっしゃいませ

にほんご べんきょう してきて ください
いらっしゃいませ。ずっと試運転中です。予告なく変更しまくるつもりが仕様変更については手付かずです。

2012年4月1日日曜日

大人はわかってくれない

共感覚シリーズ(つか、それらしい話じゃなかったけどさ)もいよいよ最後。ボタンを怖がる私、途中式を書きたがらない息子。これら大人が理解しがたい子供の行動話を書いていてもう一人、理解を得られずに苦しんでいた女の子の話を思い出したので投下。

その子はうちの子供の同級生で、幼稚園の時に引っ越ししてきたKちゃん。彼女は以前通ってた幼稚園では絶対に園庭で遊ばなかったそうです。それはもう頑固に外遊びを拒絶するので先生も半ばあきらめ、Kちゃんだけ教室に残って過ごす事を許していたそうな。ある日の事、隣の教室の先生がKちゃんの話に耳を傾け、その気持ちに寄り添ってこう言ってくれた。
先生「そうか、Kちゃんは外遊びがキライなんだね。」
Kちゃん「キライじゃないの。コワイの。」
先生「コワイのはおかしいよ〜。こういうのはキライって言うのね。」
Kちゃん「違うよ。キライじゃないよ。コワイのよ。」
間違った言葉を使い続けるのは幼稚園児だとよくある事。どの先生も今までKちゃんの言葉の選び方に注意を払ってこなかったけど、この日、先生は初めてKちゃんにこう聞いた。
先生「じゃあ何がコワイのか先生に教えてよ。」
するとKちゃんは窓に寄って園庭のとある場所をしっかり指さして言った。
Kちゃん「あの人、いつもあそこに立ってる髪の長い女の人。すごく怒ってる。あの人の顔見るとコワイ。そばに行きたくない。」
怒れる猫コワイ
cat fight
そこに髪の長い女の姿などありません。しかしKちゃんいわく雨の日でもずっとあそこにああして立っていると…今こうして眺めている間も、とても怒った顔をして…。
次の日からは先生も園庭で遊ぶのを嫌がるようになりましたとさ、どっとはらい。

こういうのも共感覚の一種だろうか。大人になるにつれそういう感覚は薄れると聞くが、Kちゃんが小学校の高学年の時にその後どうかとKちゃん母に尋ねた事があります。まったく偶然ですがその数日前にKちゃん母も何気なく「今でもナニか見えたりするの?」と聞いていたそうです。その時、Kちゃんはやや当惑顔でこう言ったという。
「今でも…というか、引っ越して来た日からずっと二階のトイレの前におばあさんがいるけど?」
見える人にとって、見えるという事は特別なことではないんだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿