報告が遅くなりましたが脳血管バイパス手術から無事に生還しましたよ、と。
入院期間は10日間。脳梗塞の時は退院して1週間で職場復帰しましたが、今回は外科手術ということもあり退院後は2週間の休養をとりました。てな訳で先日からお仕事復活しています。
退院後の2週間をだらだらして過ごしたせいか、はたまた脳みそいじったせいか、あんなに大好きだった仕事に対して情熱が戻ってこない。このままお家で猫のお世話してのんべんだらりと過ごしたい。払った手術代を稼がにゃならんから、そうも行かないのですが…。休暇中の仕事の事後処理のうっとおしさも手伝ってブログ更新もできないほど大忙しの毎日でしたが、仕事の愚痴はまたそのうちup予定(^^;)
さて、もしも同様の手術を控えて不安になっている人のイメージトレーニングになれば幸い&備忘録として血行再建術がどのようなものか患者の視点から書きつくるものなり。お立ち会い。
まずは手術の前日に入院。病院によっては施術の数日前に入院してから検査をしたりするみたいですが、私はあらかじめ検査を済ませていたので前日入りです。多分、余計なものを飲み食いされないよう監視の意味もある…のかな?
当日は施術の準備前に家族は来院するように言われた。お別れの挨拶をするのか?!と思ったけど手術中は万一に備えて必ず身内が病院に詰めるという決まりがあるらしい。手術は6時間を予定と言われていたけど結局8時間かかったのでその間、やることも無しに待っていた家人には本当に申し訳ない。
術後の目覚めは翌日。血圧が安定するまでは薬で眠らされ続けるぽい。なんとなく普通に目覚めてそのまま普通に入院生活が始まった。今回はリハビリも高次脳機能障害検査もなし。確か手術の翌日にはもう自力でトイレに行く許可が貰えた。ちょっとこのあたりは記憶が曖昧。丸一日断食状態だったのでお腹が空いていたけど、ここでいきなり食べると盛大なゲップと共に戻してしまうのでご注意を。水を飲んだりお腹をさすって胃腸を目覚めさせてから食べましょう。
髪の毛は剃ると聞いていたけれど剃らずにそのまま施術していた。相撲取りの鬢付け油みたいなので髪の毛を固めてあり、そこにメスを入れた跡がフランケンシュタインのように手術用ホチキスでダダダダと閉じられていてなかなか生々しい。だけど一番目を引くのは顔つき。ものすごく腫れて人相が変わってる。トイレに立つたびに鏡に映った姿を見て「はちゃ〜」と思う。お見舞いに行くよと言ってくれた友人達に「遠いから来なくて
いいよ」とお断りしておいて良かったよ。3日くらいは水木しげるの描く妖怪みたいな顔で過ごさねばならなかった。
何と言っても脳天をカチ割っているので「大怪我したな〜」という感じは否めない。開頭した右側はなんとなく庇ってしまうし、術後一ヶ月が経過した今でも痛痒い感覚は残っているしカサブタが取れる際に毛髪がごそっと取れてハゲるのが怖い。←マジで怖いから良い子は自分でカサブタ取ったらダメだお。
特に後遺症も見られず問題なく過ごせているようでも、入院中と退院数日後の2回ほどしゃべっている最中に突然呂律が回らなくなり不安になった。リハビリは早くやる程効果が出ると聞いていたのでハッキリと話す練習に勤しんだ。とはいえ院内の階段を上り下りするような運動能力の自主トレは不自然さがないものの、誰もこない階段の踊り場で「アメンボ赤いなアイウエオ〜」とお喋りの訓練をする姿はかなり怪しげであったろうと思う。
それでも自主トレの甲斐があったのか、今の所喋るのには困らない。
唯一困っているのは大口が開けにくくなった事。正確には微妙なさじ加減で口を開けるのが難しくなってオニギリや肉の塊を口に入れる時に不自由を感じる。顎を動かす際に連動して動く頭の筋肉が無意識に手術の切開部分を庇うのか、あるいはその辺りの神経が開頭の際にイカれたか。何にしても食事の際に食べこぼししそうで一気に年寄りになった気分。不便な事と言えばそれくらいかな。
術後は「絶対大丈夫だとは思ってたけど、もし記憶を無くしたらどうしようかと思ったよ」と友人に言われた。記憶をなくす?!という発想はなかったけど、万が一という事もあるので私も正直怖かった。だけどこの血行再建手術は何度も繰り返してるという人もいるし(それはそれで大変だと思うけど)同じ症例数の豊富な病院で行う分にはそんなに恐れなくても良いみたいです。普通に帰って来られましたぞ!
今後は定期的にMRI検査などで経過をチェックされる予定。もやもや病の厄介なところは原因が不明だから次はココみたいに別の血管が再び閉じたりしてその都度血行再建術が必要になるかもしれないところ。さらに厄介だと思うのはそのために起きる悪い症状が出るか出ないかは人によってまちまちなところ。事によると今回のこの手術だってもしかすると不要だったかも、とか考えだすと実に恨めしい。お薦めされるままに&興味本位で今回は手術を受けたけど、次にまたと言われた時には余程な事がない限り「もう次はいいかな…次来たらそれはそういう運命なんだと思おう」と考える。つまりは何度も受けたいとは思わない手術でありました。そんな感じ。
いらっしゃいませ
にほんご べんきょう してきて ください
いらっしゃいませ。ずっと試運転中です。予告なく変更しまくるつもりが仕様変更については手付かずです。
2018年6月17日日曜日
2018年6月8日金曜日
猫のいる部屋 9
日本に帰国が決まった時、犬は関税に預け入れ期間があるが猫はそのまま簡易に連れ帰ることができると聞いて心が揺れた。だけど果たしてボブ=オトヒメはそれを望むだろうか?危険がいっぱいで閉じ込めざるを得ない見知らぬ異国の地へ私たちと一緒に来てもオトヒメが幸せになれるとは絶対に思えなかった。
結局、私たちはオトヒメをアパートに残して帰国した。アパートにはオトヒメの世話をしてくれる学生がたくさんいたけど、それでも私はオトヒメが帰らぬ同居人を心配してしばらくは寂しそうに部屋の外で待つだろうその姿を思って自分を責め続けた。オトヒメの幸せを願ったからこそのお別れだったけれど猫に人間の事情なんてわかるわけもなく、なんという酷いことをしてしまったんだろう。私はその時に、もう自分には猫を飼う資格などないのだと堅く心に決めていた。最後まで世話をする覚悟無しでどんな生き物にももう絶対に私は触れてはならない。そう決意するほどに悔恨と贖罪の念に苛まれた。それから10年も経ってから迷い猫を保護して結局再び猫と暮らせる幸せを手にいれたけれど、オトヒメとのことは決して忘れてはいけない苦い思い出になった。
その思いがあるからオトヒメのいるここへ私は来たのだろうか?
しかしそれは腑に落ちない。その後日本で一緒に暮らした猫との思い出だって同様に自分の中では大きな位置を占めている。猫に限らず日本で暮らした長い歳月よりも若い日の一瞬の煌きだったここでの生活が優っていたとは必ずしも言い切れない。私が自分でここを選んだとはとても思えないのだ。
でも知る人もいない異国のこの土地で、一体誰が私を引き寄せるだろうか?
この猫以外に!
「オトヒメ、本当にあなたが私をここに呼んでくれたの?私はあなたを置き去りにしたのに?」
真顔になってオトヒメの顔を覗き込むと「そうだとも!」と彼は嬉しそうに腹を見せて甘えた。
この世界では思いの強さが会いたい者を引き寄せるという。
おしまい
2018年6月5日火曜日
猫のいる部屋 8
会いたいと強く願った者の所へ引き寄せられる。それが本当なら強く願って待つしかない。ただし夫はまだ存命だ。ほどほどの匙加減で願わなければ。
でもちょっと待って。確かにここは私の楽しい思い出の地だが、本当に私はここに来たいと願ったろうか?思い入れのある土地はここ以外にもある。何と言っても私はここには2年しかいなかったのだ。その後の人生と照らし合わせて、ここが絶対とは考えにくい。
さりとて強い願いで私を引き寄せるような人物がこの街にいるとは思えない。夫は…未だ存命のはず。うん、そうだ。悲しいけれど彼に看取られた記憶が確かにある。この世界にはまだ私の知らない謎が隠れていそうだ。
物思いに耽る私をオトヒメがじっと見あげている。「引き寄せたのはお前だったりしてね。」おどけてオトヒメの猫の額を優しく撫でてみる。オトヒメは「そうだとも!」と満足そうに額をすり寄せてきた。
どうして私と一緒にいるのだろう?
オトヒメはいわばこのアパートの猫だ。誰のものでもなかったのだ。学生街のこの街ではアパートの住人はほぼ一年毎に入れ替わる。オトヒメを置き去りにして転居した学生は実はオトヒメを置き去りにしたわけではなかった。それを知ったのはオトヒメと暮らし始めてから四ヶ月ほど経った頃だった。
オトヒメは私たちと暮らすようになった初期の頃、夜になると外へ出せと言いだし、しばらくすると帰って来るということを二日ばかり繰り返した。どこへ行くのかと二日目の晩にあとをつけると以前の飼い主と暮らしていた部屋の前でドアを開けよと鳴いていた。新しい住人が暮らす閉ざされた部屋の明かりを悲しげに見つめていたのだ。そばまで来た私に気がつくとオトヒメは「もういいんだよ」というように私の足にすり寄って、それ以来もう以前の部屋の前に座り込むことはなくなった。
そのオトヒメが帰ってこなくなったことがある。どこか狭いところから出られなくなってはいないだろうか、事故にあったろうかと心配して1週間ほどが経過した。もしオトヒメと再会できてもきっとボロボロの痩せこけた姿で発見されるだろうと思っていたのに夜半にドアの外で私たちを大声で呼ばわってから帰宅したオトヒメは毛並みもツヤツヤでシャンプーの匂いまでさせていた。むしろ失踪前よりうんと綺麗になって帰って来た。
オトヒメを気に入った誰かが自分の部屋に閉じ込めて帰れなくしていただけだったのだ。いずれ帰国する運命の私たちとしてはこれだけ丁寧にお世話してくれる人がオトヒメを大切にしてくれるならそれに越したことはない、と思った。
とりあえず首輪をなくしているので念のために新しいものを買い与えて、再びオトヒメが帰らなくなった時には「また別宅へ行ったな」と今度は安心していた。三日後、帰宅したオトヒメは首輪にメッセージをつけていた。
「To the person who has
been taking care of me」(僕の世話をしてくれていた人へ)で始まるその手紙はユーモアと愛に溢れ、私は今でもそれを手にすると涙が溢れる。
「僕の名前はボブです。僕は新しい部屋では幸せではありませんでした。僕は四六時中閉じ込められてしまうのです。もし、あなたが僕をとどめておきたいならどうか以下のナンバーに電話をして古い飼い主に知らせてください。そうすれば彼はもう僕を心配しないで済みますから。Thank you」
私はこんなに愛情深い手紙を読んだことがありません。こんなに前の飼い主はこの猫を愛していたのに、そしてこの猫もご主人をあんなに愛していたはずなのに。猫は家に付くという。その猫の業の深さに思わず泣いた。
夫が早速電話をするとその学生は「ボブが幸せならそれが一番なのさ」と言ってくれた。
ああ、それなのに!私はオトヒメとあんな別れ方をしてしまうなんて。
2018年6月2日土曜日
猫のいる部屋 7
「ミセスウエダ…。アップルヒルの農園は今もお持ちですか?私、あの頃行ったあの風景が忘れられません。また行ってみたいのですが、ご一緒しませんか?私、車を出しますから案内していただけませんか?」
「あら、素敵ね。1人になってからはもう長いこと行ってないからどうなってるかしらねぇ。リンゴの世話は人に任せっきりだったのよ。ピクニックにはまだ暑い季節だけど、あの丘の上の木陰は風がわたって気持ちいいわ。私、あの丘の風景が大好きなのよ。じゃ、お弁当を持って行きましょう。いつならご都合がいいかしら?楽しみだわ。」
基本的に遠出しないと丘などない土地だった |
「ああ、君か!やっと来た。」プロフェッサーは夫人の体をしっかりと抱きとめると口づけをして彼女の顔を何度も覗きこんだ。「やっと来た。ずっと待っていたよ。」
夫人は恥ずかしそうにこちらを見て「ほらね、待っていればいつかは会えるのよ。」と言った。
夫妻の農園の小さな家に招かれて一緒にお弁当を食べた。
「僕はね、絶対に君はここへ真っ先に来るものだと思ってたんだよ。」
「私は絶対にデイビスの家だと思ってましたよ。農園の仕事は大変だとあなた、文句ばかり言ってらしたじゃないの。」
「でもここは海こそ見えないけど瀬戸内の丘みたいだと、君が言ったんだよ。だから決めた場所じゃないか。君が一番好きな場所はここなんだと僕は思ってたんだよ。」
「何にしてもお二人がこうしてまた一緒に会えて良かったですよ。結局、居たいと願った場所がその人の居場所になるんでしょうかね?待てば会えると皆さんはおっしゃるのですが、今日のような偶然の再会を待つしかないんでしょうか?何かご存知ですか?」
「随分前に思いの強さが引き寄せると教えてくれた人がいるけれど…どうなのかしら、会いたいと強く願ってる人の方へ引き寄せられることがあるんですって。だから私はずっと強く願っていたんですけどね。」
「じゃあ僕の引き寄せる力が君よりも強かったということだね。」プロフェッサーは満足そうに夫人の手を握った。見つめ合う2人。
こうしてアップルヒルからは1人で帰路に着いた。幸せな気持ちと共に。
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