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2017年11月29日水曜日

悔いのない人生

脳梗塞シリーズのラストは運命論的なもので。一つでも運命の歯車の噛み合せが悪ければ死んでいた。人生はそんな事の連続かもしれない。
早朝に夫が私の異変に気づかなければ、脳神経外科を扱う近所の病院に救急搬送されなければ、適切な処置のできる医師が不在であったなら、血栓がうまく除去できなかったら、それらの課題をクリアして今日の私がいる。
集中治療室で意識を回復した日、そこには私を含めて4人の患者がいた。ここに来たら二週間は出られないと宣告されたのは前述の通り。ただし意識不明の重体患者が新たに運ばれてくれば意識のある私は無条件で別室に移動になると聞かされ「人の不幸を祈るようなマネはできないわ」と半ば諦めていた。ところがその夜のうちに新たな患者が入ってくるどころか、私以外の全員が出て行ってしまったのだ。次々とご臨終を迎え、翌日まで生き残れたのは私だけだった。
大きな声では言えない話だが、その夜、霊安室にご遺体を運ぶ人達がやって来て「今日は多いね、緊急オペもないのにさ。それに今日って宿直3人の日でしょ、だれ?…あー、それは組み合わせが悪いねぇ」との会話が聞こえてきた。急変を知らせるブザーは夜中に何度も響き渡り、孤軍奮闘の看護師さんがピッチで医師を呼び何度も来室を乞い、指示を仰ぐのも全て私は聞いていた。だが医師が現れたのは一度だけ。不機嫌そうに指示しただけで、その後はどれだけ呼んでも誰一人として医師は集中治療室に現れなかった。私の倒れたのがもしこの日であったなら、と考えた時に初めて自分は本当に死と隣り合わせな局面にいたのだと実感した。

手術前に医師が血管破裂のリスク説明をしているのが聞こえた時も、今から思えば「これで終わりかもしれないんだ」と理解してたはずなのに、別れの言葉を交わそうとか辞世の句を読もうとか (^^;)、そんなこと一切考えなかったのはきっと心のどこかで自分は死なないと思っていたからではないかと思う。生き物は命ある限り生きることだけを考えるとは飼い猫が死にかけた時にペットの安楽死について見聞きした時にたどり着いた境地なのだが、自分がまさにそうだったわけだ。自分が死ぬなんて生きてる間は思いもしないんだ。

「病気になるのは辛いことだが、人生を振り返るチャンス」とツイッターに書いてた人がいる。入院中の私はすることもないのでクリエイティブな休息(なぞ)になるよう、自分の人生について考えてみた。ここで私の人生がおしまいだったのなら、私は何を悔いるだろうか…。
子供が小さければ後ろ髪を引かれたろうけど幸いにももう自分でどうにかやって行けそうな様子ではある。夫も多分、悠々自適に余生を過ごすだろう。両親には先立つ不孝で申し訳なく思うけど、生きてたからって私が老後の世話をしたとも思えないし期待もされてないから問題なかろう。やりかけの仕事は気にはなるけど私がいなくなってもまあなんとかするでしょう。猫は「あいつ、帰って来なくなったな」くらいのことは考えそうだが、いずれ忘れてしまうでしょう。
あれ、なんだろう。やり残したことって庭仕事くらいしか思い浮かばない。人生を振り返ると実にやりたい放題に面白おかしく過ごした愛しい日々。何これ、すごく満足して来た。なんて有難い人生だったんだろう。これからの人生もこうして感謝と喜びのうちに過ごして幕を閉じたいものだ。それにはこれからも面白おかしく生きていこうと決意を新たにした次第。

死ぬのが怖くない、とは言わない。むしろ今回のことがあったので今後再発なんかして死んだ日には「あいつ結局やっぱり脳梗塞で逝ってしまったじゃん」と言われるのが怖くてむしろ嫌だ。脳梗塞で死ぬのだけは勘弁。
かようにして今後の人生の目標ができたのでございます。脳梗塞で死ぬのはNG

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