いらっしゃいませ

にほんご べんきょう してきて ください
いらっしゃいませ。ずっと試運転中です。予告なく変更しまくるつもりが仕様変更については手付かずです。

2017年5月30日火曜日

生きているのか?

おかげさまで猫も車も元気になりました。おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。と、魔女の宅急便なみにブンブン飛んでく今日この頃。

車の故障原因は燃料センサーのトラブル。旦那曰く「割とよくあること」らしくて問題部品を取り替えて工賃込みで4万円ほどのお支払い。整備不良とか致命的な欠陥を抱えているとか、そういう類じゃないから気に病むなと言われても公道走行中のエンジン停止はなかなかに修羅場だったので地味に心の傷になったっぽい。修理帰りの車を運転する手にヘンな汗が流れだす。信号停止のたびに足裏にあの嫌なエンジン停止の感覚がよみがえってきて、もー生きた心地がしない。「修理したんだから大丈夫」と自分に言い聞かせつつ気に病むモードが止まらない。

同時進行で体調不良だった猫についてもふと考えがおよぶ。せっかく元気を取り戻したのにいつ死ぬかもう死ぬかと考えながら猫と過ごすのはあまりに勿体無い話。せっかくとりとめた命なんだから、生きている限り共に過ごす時間を謳歌しなければ。人も車も猫も一緒か。今あることを楽しめなくて、なんのための一生か。帰宅する頃にはすっかり悟りを開いた修行僧の境地。いろんな不安に苛まれて、今生きているものが死んでいるようにして生きるのはもうやめだ、やめだ。明日を生きるために今日のご飯を食べるのだ!と、お釜を開けるとご飯は痛恨の炊き忘れ。オーマイガー!現実に引き戻された修行僧は阿修羅のごとく駆け出して行くのでありました。

さてここからは猫の病気の備忘録。高齢猫の4匹に1匹は腎臓を弱らせてしまうという。肝臓も腎臓も一度失われた機能は回復しません。なので弱らせたら最後、残った機能をいたわりつつ最後の時まで頑張ってもらうしかない。
うちの猫は昨年、結石による急性尿毒症を起こし腎臓に多大な負担をかけてしまったらしい。信頼できる獣医さんの処置で一命をとりとめ、すっかり元気になって以前よりずっと甘えるようになった我が家の猫ですが、腎臓が弱っていることはその時に知らされたので「次に何か来たらおわりだな」と覚悟はしていた。この一年はそれまでの素っ気無い性格だった猫人生を悔いるかのように、彼はかつてないほどスイートな時間を私たち家族と共有していた。猫をモノだと思ったらそれを失った時の喪失感は大きかろう。だから私は猫を物質ではなく時間なのだと考えるようにしていた。楽しかった時間は例え失われたとしても物質の喪失感とは少し違うはず。「あ〜、楽しかった」と懐かしみ慈しむことができる。できるだけ猫も人も楽しく過ごすよう大切に過ごした一年だった。

家族は誰も気づかなかったが私はすぐに猫の体調の変化に気づいた。「これは来る」と思ったので排尿障害の兆候を出したところですぐに病院に連れて行った。今回は結石の症状は見られなかったが血液検査で腎不全の兆候ありとの結果。脱水症状を緩和するため点滴をして血中の毒を薄める。入院を極度に拒む猫なので通院を決意←ちなみにその渦中に車が止まった(/_;)。これで回復するなら腎臓に負担をかけない食事療法に切り替えてまた騙し騙し残りの時を一緒に刻む。だけど、回復しなかった時は…その時は?

動物飼いがいつかは通らねばならぬ道。だけどいざという時に動揺して悔いを残すことがないように頭の隅に入れて置かねばならない覚悟。ペットを飼う=命を預かるという覚悟は始まりは誰も意識しないけど、ちゃんとしないといけないなと思うこと徒然な数週間でした。強くあらねばを合言葉に過ごした日々でもありましたが、そのあたりの心の葛藤や集めた豆知識などはまたの機会に。

あ、冒頭にもお知らせしたように猫も車も元気です。今日の通院は大いに拒否られて顔面を後ろ足の爪でえぐられました。今の私はブラックジャックのようになってるのよわさ。痛くても、今は猫の元気がただただ嬉しいのであります。

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