いらっしゃいませ

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2016年3月27日日曜日

続、おんなの一所

前回、人生いろいろ主婦も色々と書いてなんとなく思い出した話を問わず語り。
専業主婦時代(つーか今でも私の仕事は主婦に主軸を置いてますが)、近所のDINKS世帯と共働き世帯の仲立ちみたいなことをさせられて散々な目にあった時のことなど。

共働き夫婦のお子さんが我が家のそれと学年も近く、近所の公園で居合わせれば遊んだりもする仲。んで、ある日共働き家きょうだいの下の子が他所んちの器物破損的なことをやらかしたらしく、たまたま事件現場隣家のDINKSくんが目撃して「けしからん」と何故かうちにねじ込んで来たことがある。うちの子は全く絡んでいないにもかかわらず…。
DINKSいわく、イタズラした子の両親は不在でどうしたらいいかわからん、アンタんちの子供は悪戯っ子の友達らしいからどうにかしろ。
チョトマテクダサイ。私にもその論法はよくわからん。意図をはかりかねてよくよく話を聞けば「俺んちは子供いないから、子供がいるお母さんでなんとかしてくれ」という懇願?一応、そのきょうだいのことは知らない仲じゃないから話を聞いて両親に私から事情を伝えておきますねということでその場はまとまった。しかし事情を話した共働き家は「私にどうしろと言うの?」と聞いてくるし、そんなの子供の親としてケジメの付け方くらい考えてくれよ〜とこちらも泣きたくなった。果ては「本当にウチの子なのかしら〜」という疑念の眼差しまで向けられる。
最終的には後日、モノを壊された家主が共働き家に現れたそうで、何故かその事後処理を間に立って動くよう任された。この時の共働き家庭のお願いの言葉が「私達は仕事があるから
これは共働き夫婦に限らず、被害のあった家主も、DINKSも、関係した人物全員が共通して「あなたは仕事してない主婦だから、それくらいできるでしょ」というお考えなのが端々に見えてこれには本当に閉口した。私は確かに家庭の運営をするお母さんを職務としてやっていこうと決意してその道を選んだわけですが、私はあんたたちのお母さんになった覚えはないわい、このドアホウどもがっ!
と、あの日言えなかった言葉を今言うよ。

強烈だった思い出はPTA役員をした時にも。よくある風景ながら、仕事を理由に役員を逃げ回ってたお母さんがいた。彼女はイベント参加率100%の人で、しかも懇談会でも懇親会でも「アレはああした方がいい」「こうしてくれないと困る」と積極的に提言をする人だった。理想的ではありながら実際に行おうとすると現実的ではない話ばかりで役員を困らせる名物女だったのですが、彼女の決め台詞が「私は仕事してるからムリです。これは他のお母さんにしてもらわないと」だった。
これだけ仕事休んで、言っちゃなんだがどーでもいい懇親会にも参加率100%の彼女がやってるお仕事って何かしら…と思っていたら、友人が耳打ちしてくれた。中学の社会科の先生ですと。
ぇ!あんな社会性のない人が社会科を教えてるんかーー!

やがて学校での役員逃避問題が深刻になる中、PTAの副会長を二回もやらされそうになった時点で「こんなことをタダ働きでやっていてはダメだ」と悟り、私は外へ仕事に出るようになりましたとさ。どっとはらい。
ペアレンツ アンド ティーチャーズのアソシエーションのはずのPTAですら、お外で働く先生方から「専業主婦なんだから、やってくれてもいいでしょ」という仕事の丸投げ仕様をされて絶望したのも一因ですけどね。時には自分の子供を犠牲にするような活動を強いられることもありましたし。

私は苦々しく思ったけれど、「子供達のためだよ」と労をいとわずに活動していたお母さん達の存在だけは眩しく思いました。これは専業、兼業かかわらず、気持ちのよい働きをする人というのは居るものです。彼女達に共通してたのは子供を慈しんで育てる中で培われた辛抱強さと包容力。私にはどうも養われなかった力だが、母は強しという言葉とともに、育児は育自ってこういうことなんだなと思ったものです。しみじみ

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