いらっしゃいませ

にほんご べんきょう してきて ください
いらっしゃいませ。ずっと試運転中です。予告なく変更しまくるつもりが仕様変更については手付かずです。

2012年4月28日土曜日

貴席の価値は2

帝国ホテルにはいくつも入り口がありますが、折角なら正面玄関から入りましょ。左方にどっしり構えたランデブーラウンジの全景。この空間の非日常感を味わうのもごちそうのうち。ここはいつも人が行き交う場所なので初めての人でも気後れせずにずんずん歩いて行けます。ラウンジをすぎると左手に階段が出現。いざ中二階へ。中二階に上がると一階ラウンジを見おろせる通路に出ます。ラウンジを左手にそぞろ歩き…と!そこで右のかたをふと見ればメインダイニング『レ セゾン』の入り口が控えています。入り口では執事然とした黒服のおじさまかお姉さんが出迎えてくれます。能舞台の橋掛かりのように異空間へいざなうウェイティングスペースを通って、いざ出陣〜。

まずはシャンパンで乾杯。常時4種ほど用意されたシャンパンは、その時々でお値段も違うのでしょうがだいたいグラスで2,000円〜。プレステージとして一つだけ4,500円位のものが用意されています。以前、控えめにスパークリングワインを所望したら「発泡酒はシャンパンしか置いてませんぺこり」と言われたことがある。流石はレ セゾン。はは〜、恐れ入りやした。しかしモノは考えよう。一本1万円強の品揃えシャンパン。おうちで買って飲むとなるとそれなりに清水部隊にならないと買えない(当社比)。二千幾らで、たっかいお酒の味見が出来るならそれは儲け物。ということで飲ん兵衛夫婦は今日もゆく。
前菜 マグロと春野菜の黒胡椒ムース添え
もちろん、食前酒は頼まなくてもO.K.「ではミネラルウォーターなど?」とか聞かれてアレコレするのが面倒なら最初から「普通のお水で(結構です)」で次のステージにサクサク進みましょう。
シャンパンを愉しみながら本日の献立を黒服さんと一緒に組み立ててゆくひと時。こうした時間もごちそうのうちなので楽しまにゃ損ソン。さておまちかね、本日の饗宴はこちら。

魚料理は赤座海老のウニソース菜の花ピュレと共に

素材の味の良さに驚くとともに「おいしい」以外の言葉が見つからない見事な味付けと、美しい盛りつけ。海老にかけられたウニソースはサーブされた時にはムース状なのに、見る間に海老に纏われてソースに変身という魔法のような楽しい演出。立体的に盛られた兎の料理もソースのあまりの美味しさに心を奪われた。(ただしパンチェッタが勝って兎らしさは消えていたから、その点だけ惜しかった〜)

肉料理は兎と鶏のパンチエッタ巻き巻き
実は今回はどうしてもかなえておきたい夢がありました。それはデザートチーズを頼まずにデザートプレートを頼むこと。おいしいチーズの誘惑に打ち勝ってゲットしましたよ、チェリーとショコラのデザート!散りばめられたローストピスタチオの愉快な食感と未体験な美味しさには脱帽。本当に、こんな美味しくて不思議なピスタチオは食べたことがない。

チェリーのソルベとショコラムース!

空洞部分にグリオッティン(酒漬けチェリー)
最初にメニューを眺めている間、アミューズ、つまり先付けが二品出てきます。今回はチーズのフライとカリフラワーのムース。シャンパンが終わる頃には薦められるままに赤ワイン(ピノノワール←当然、要らなければ断っていいのよ)。無くなれば適時、違う種類のパンが次々とサーブされるし、デザートを待つ間には焼き菓子のトレイが、食後のコーヒーにはショコラのトレイがお目見えで、ああ、やっぱりデザートチーズは頼まなくて正解だったな、という分量。写真を見てお気づきの方もあろう、魚と肉は正規のお皿(アラカルト)の半量分となっています。ちょっとずついろいろ食べられる方が嬉しいものね。というわけで夢の饗宴は前回記述の通り、しめて12,000円強。ごちそうさまティエリー・ヴォワザン。(シェフは30分毎に各テーブルを回って客と堅い握手をするぞ。んがごご、とならないように注意深く迎え撃とう。健闘を祈る^^)

さて、こうした席で時折取りざたされる話題「居心地の悪さ」について。一挙手一投足を見られ、店の人から値踏みされるようで食べた気がしなくなる、という向きには朗報。こちらは気持ちの良い接客ですこぶる評判が高いです。ギャルソンもソムリエも道を極めたエキスパートですが、彼らは審査員ではありません。客の相談に乗ってくれる人たちです。最良の組み合わせで食事を楽しむため、いわば一緒に充実したひと時を完成させるための仲間たち(?!)こうした食事はエンターテイメントでもあることよなぁ、と感じ入る時間でした。

※写真は承諾をもらって撮影しました。外食時は他にお客がいる場合は撮影しない信条ですが、こちらは席の空間が広くとられているのでその点でもやや心安いです。(お行儀悪いですけどね>撮影^^; )

2012年4月22日日曜日

貴席の価値は

アミューズ
amuse @ Imperial hotel main dining
春の レ セゾン 訪問記。その名のとおり四季折々に伺いたいお店でござんす。
前菜、魚、肉、デザートの4品が出て来るランチのコースで8,000円。かけつけ一杯のシャンパンと食事中にグラスワインなんぞ飲んだ日にゃ、お一人12,000円ほど。さあコレって高いの?安いの?というのが今回のお話。

「一万円越えのランチ」と言うと私の奥様仲間なら「きょえぇぇ〜〜〜」と叫ぶ人が多い。ま、私も聞いた瞬間は叫ぶクチだ。でもちょっと待ってプレイバック!何をもって驚嘆するのかといえば、それは「相場じゃないから」なんでしょう。じゃ、その相場って何?といえばそれは例えば職場の昼休みに仲間と出かけるビジネス街ランチ。お買い物先のデパートランチやママ友&学校絡みの役員会で繰り出すファミレスランチ。こうしたものは千円〜二千円が許容範囲と言う人がほとんどではないかと思う。つか、私がそうでっす。その比較としての「きょえぇぇ〜」ですよね?

でも考えてみて欲しい。今日びのお手軽ランチは時間を買っているようなもの。お弁当や昼餉を作る面倒と時間を省くための手間賃が食材に加算されてアノ価格をはじき出している。つまり自分でできる範囲のことを人にやってもらうからこそのあのお値段というわけ。こうしたお手軽外食が浸透しすぎたために正統な外食、すなわちハレとしての外食がないがしろにされちゃ〜いないか?「高すぎる」と敬遠され、ともすると軽蔑の眼差しを向けられることすらある。
本当ならファーストフードを含め、頻繁に外でランチをとることの方がよっぽど贅沢と思うんだけどね。そもそも、昭和育ちの私なんぞは外食はココ一番(←言っておくがカレー屋ではない!)のとっておきの時にしかしませんでしたよ。ハレだからこその天晴れ飯を頂戴する企画、それが外食@昭和スタイル。外食に対するスタンスそのものが違う時に価格の比較をしたって意味ないや。お手軽ランチの価格を基準にして外食=ハレ飯をチョイスしちゃ〜いかんのです。

とはいえ高けりゃ良いというものでもない。この内容でこの値段きょえ〜!と叫びたくなる不埒なお店が存在するのも事実。そんなのハレの日にゲリラ豪雨に遭うような不幸。自分が納得できる店に巡り会うことこそ肝心要潤。そういう意味で腹も心も同時に満たせるお薦めのお店が レ セゾン@帝国ホテル。
素人に作れない高い技術がそこにあるのは一目瞭然。玄人にしか入手できない良い食材であることも一口歴然。至福の時間であれかしと務めてくれるスタッフと空間に、ひと時粛然。どれをとってもパーフェクト。対価に見合う価値は十分すぎるほどにある。高いからエライとは限らないように、高いからと言って悪いとも限らない。ソコはちゃんとおさえて欲しい。
というわけで前置きが長くなりましたが次回はお食事の内容など公開予定。乞うご期待

2012年4月14日土曜日

宇宙で私だけ

前回に引き続き、お薦め漫画といえば黒田硫黄を忘れちゃーいけない。ポイントはやはり独自の作風。彼の代表作は宮崎駿が絶賛したという『茄子』にするべきか、はたまた松山ケンイチが主演をはたした『セクシーボイスアンドロボ』にするべきか、それが問題。というくらい、ネームバリューは無いのに(当社比)それなりに華やかな活躍を地味にしている漫画家さんが黒大王こと黒田硫黄だ。
セクシーボイスアンドロボ 小学館
"Anime is the life history!"
 『セクシーボイスアンドロボ』TVドラマ公式サイトのフラッシュはこちら 
絵柄の圧倒的な違いが独自性を醸す大きな要因になるのは間違いないのだが、絵だけで人はここまで惹き付けられない。やはり根底に流れる思想のようなもの、そこに共感するから人は作品や作家のファンになる。と、漫画好きとしてはそう思いたいんだけど、実際には「漫画は絵しか見ないよ〜ん。吹き出しだって長いと読まないし〜」なんて人もそれなりに多い。恋愛と一緒ね。人となりを知ってから恋におちてゆくタイプと一目惚れから始めたいというタイプとが居るけど、その違いをいかんともしがたい。んで、その一目惚れタイプの人からはウケが悪そうなのが黒田硫黄だ。絵柄は筆でさらさらと描いた、いわば鳥獣戯画風味。じゃあ読めば惚れるのか?と聞かれるとそれもややツライところ。端的に言ってその作風は「わかりにくい」。『ミシ』なんか好きだけど、どう説明したらいいかわからないみし。

じゃあ一体この人の作品の何処を推したらよいのか?考えるにそれは「視点」。読んでいて、はっとするセリフが飛び出す。誰もが思い当たるけど見落としがちな、ある日ある時の心の動き。そんなものに焦点を合わせて巧くセリフにして取り出す。そういう仕事をする人です。(わかりにく〜ぃ)以下はセクシーボイスアンドロボより抜粋。
その日その時というのは二度と来ない。その時どうだったかが巡り合わせという事だ。
もっとうまく出来る人がいればその人に投げ出していたかも。でもそれをやる人は他にいなかったの。ひとつだけわかった。明日は私のかわりは誰もいない。今救えるのは宇宙で私だけ。
共感とはバックグランドや心的状況、その他もろもろに作用されてあらわれる心の動きなんだろうけど、この漫画を読んで胸に訴えかけて来たメッセージのなんと心強かったことか。(自分が受け止めた範囲で語ってます^^;)作中、もっとも胸を打った言葉はコレ。
意志でなく才能が行く道を選ぶ。そういうことがあると思うのよ。
黒田硫黄はかくして漫画を描く道を歩んだのでしょう。体が弱くなければもっとたくさん彼の作品が読めるのに、とそこだけがなんとも口惜しいです。みんなで応援するみし!

2012年4月7日土曜日

チーム夢幻

高橋葉介の『夢幻紳士』を初めて読んだのはかれこれ四半世紀前。アニメージュから派生したコミック雑誌『リュウ』で見知ってその独特の作風に引き込まれた。しかし当時のお目当ては何と言っても 安彦良和『アリオン』  ふくやまけいこ『ゼリービーンズ』そして 吾妻ひでお『ぶらっとバニー』(どーゆーラインナップじゃ^^; )で夢幻紳士に関しては熱心なファンというわけではなかった。夢幻紳士がいろんな雑誌で二十年以上に渡って粛々と連載を続け、根強いファンがついているのも知っていた。けれども大人の階段登った私が手に取る機会はついぞ無かった。

先日、ほんの出来心で復刻版?を購入。読んでびっくり。夢幻くんってこんなだっけ?もっと無邪気で残酷な少年だったと思ったけど、出て来るのは艶っぽい青年。よく見たら私が買ったのは『夢幻外伝』の方だった。いささか行き過ぎな猟奇的シーンは私の趣味ではないけれど、初めて見た時の独自の風味は変わらず健在。他の人と違う持ち味があるのは目をひくし、その世界を維持していくのは本当に偉大なことだと思った。(夢幻紳士に関してはある意味、主人公が分裂してチームみたいになってますが…)
バブルからその崩壊に向かう時代、スプラッタやえげつないホラーがやたら流行った時期があり、高橋葉介もその潮流にのった作品を出版社の意向で出してるのかな?と思っていたが、今回あとがきも含めて読み込んで彼が根っからのオカルト・ホラーの人だと知った。中でも興味を惹かれた発言は「世の中が勧善懲悪ばかりでないことを初めて知らされるのは子供時代に読むホラー作品」というくだり。気がつかなかったけれどホラーには確かにそんな側面があったかもしれない。子供が出会う初めての不条理。だとしたら尚のこと子供時代に出会うホラーは良質のホラーであって欲しい。ちなみに夢幻外伝中、私の一番のお勧めは「水妖」。ミステリーとしてもホラーとしても読後感が素晴らしい。
あさひコミックス版
絵柄がどんどん変わるのもチーム夢幻の持ち味?
phantasy rather than fantasy
 水妖 魔実也の友人、幾内克夫は水面に女の顔が浮かんで見えるという奇癖持ち。ある時、水面の女と瓜二つの女性と出会い結婚を決意する。物の怪でないことの確認を頼まれた魔実也が発した忠告は「水面に浮かぶ女の顔は実は水底に沈む君が見上げる女の顔」というもの。幾内の下した決断は。。先が読めそうでいながら、見事などんでん返しの応酬。人が持つ狂気とそれを傍観する冷淡な探偵紳士。最後の1ページはぞっとするのになんとも美しい。美しくなければホラーじゃない!本屋さんへ急げ

さて一部女性ファンから熱狂的に支持される夢幻魔実也の魅力について考察してみた。よくある評価は「酷薄なのに憎めない」というもの。薄情=媚びないから格好良く見えるというのはなんとなくわかる。でもそれだけだと嫌みでイケ好かないよ。憎めないと言われる由縁はなんだろう?
考えてみるに、彼は一貫して生者と死者を分け隔てなく接している(とりわけ女性なら来る者拒まず)。この誰に対しても一貫した態度というのが万人にウケる秘訣。マジでマジで。学生時代、研究室にそういう男子学生が一人いた。チヤホヤされてる女子にも煙たがられてる女子にも(←言っておくが私のことではない!)一貫した態度を貫く彼にはどっしりした安定感があった。それが女子ウケの秘訣。
でも考えてみたら決して彼はモテモテじゃーなかったな。好かれる事とモテる事とは別の話らしい。色男になるのは、まっことムズカシイ。

2012年4月1日日曜日

大人はわかってくれない

共感覚シリーズ(つか、それらしい話じゃなかったけどさ)もいよいよ最後。ボタンを怖がる私、途中式を書きたがらない息子。これら大人が理解しがたい子供の行動話を書いていてもう一人、理解を得られずに苦しんでいた女の子の話を思い出したので投下。

その子はうちの子供の同級生で、幼稚園の時に引っ越ししてきたKちゃん。彼女は以前通ってた幼稚園では絶対に園庭で遊ばなかったそうです。それはもう頑固に外遊びを拒絶するので先生も半ばあきらめ、Kちゃんだけ教室に残って過ごす事を許していたそうな。ある日の事、隣の教室の先生がKちゃんの話に耳を傾け、その気持ちに寄り添ってこう言ってくれた。
先生「そうか、Kちゃんは外遊びがキライなんだね。」
Kちゃん「キライじゃないの。コワイの。」
先生「コワイのはおかしいよ〜。こういうのはキライって言うのね。」
Kちゃん「違うよ。キライじゃないよ。コワイのよ。」
間違った言葉を使い続けるのは幼稚園児だとよくある事。どの先生も今までKちゃんの言葉の選び方に注意を払ってこなかったけど、この日、先生は初めてKちゃんにこう聞いた。
先生「じゃあ何がコワイのか先生に教えてよ。」
するとKちゃんは窓に寄って園庭のとある場所をしっかり指さして言った。
Kちゃん「あの人、いつもあそこに立ってる髪の長い女の人。すごく怒ってる。あの人の顔見るとコワイ。そばに行きたくない。」
怒れる猫コワイ
cat fight
そこに髪の長い女の姿などありません。しかしKちゃんいわく雨の日でもずっとあそこにああして立っていると…今こうして眺めている間も、とても怒った顔をして…。
次の日からは先生も園庭で遊ぶのを嫌がるようになりましたとさ、どっとはらい。

こういうのも共感覚の一種だろうか。大人になるにつれそういう感覚は薄れると聞くが、Kちゃんが小学校の高学年の時にその後どうかとKちゃん母に尋ねた事があります。まったく偶然ですがその数日前にKちゃん母も何気なく「今でもナニか見えたりするの?」と聞いていたそうです。その時、Kちゃんはやや当惑顔でこう言ったという。
「今でも…というか、引っ越して来た日からずっと二階のトイレの前におばあさんがいるけど?」
見える人にとって、見えるという事は特別なことではないんだ。