いらっしゃいませ

にほんご べんきょう してきて ください
いらっしゃいませ。ずっと試運転中です。予告なく変更しまくるつもりが仕様変更については手付かずです。

2017年9月26日火曜日

愚痴いう人々

お察しの通り、私のことですけど>愚痴いう人
前回「他者を知るは聡明、己を知るは賢明(キリッ)」と言った手前、自分のことについても掘り下げて考えて見ましょうかね。このブログもしばしば仕事の愚痴とか家庭の愚痴とかグチグチ書き散らかしてる。ブログでガス抜きしていると見せかけてところがどっこい、リアルの私なんてこの何倍も強力な毒を身近の人に吐き散らかすので迷惑千万この上なし。むしろ匿名ネット世界の方が万人に謎の配慮をしてトーンが遠慮がちになってる。

「よくまあそんなに文句が出てくるもんだ」と家人に言われるが、私としては不平ばかり言ってるつもりはない。ただ毒を吐き出す時の私はそれだけ強烈な印象を残してるんだろうなという自覚はある。言い訳をさせてもらうなら、折れそうな心をなんとか奮い立たせて頑張りたいと思う気持ちが異様な気焰を上げさせるのであります。前回書いた職場の不満にしても、「なんとかしなければ」と「これはお手上げだ」の間(はざま)でかなりな逡巡を繰り広げていた。その葛藤を排気換気する私。それを時になだめ時に𠮟咤、そして時にテケトーにあしらいながら過ごしていたのが我が夫。
女性は愚痴に助言を求めているのではない、共感を求めているのだ」とはよく聞く話だが、最近の旦那はそれをどっかで小耳に挟んだらしく殊更に「へー、それはひどいねー」ととってつけな相槌を打ってみたり、あるいはうっかり「そんな仕事は断るべきだ」と解決策を断じたり、実によく付き合ってくれた。
でも私に言わせれば旦那に共感を求めるなんて夢を追うようなこと、この年になると期待しないよ〜(^^;)。彼の助言に対しても「いや、それはだな」という反論をすることはあっても一つの意見として拝聴してるから、余計な一言で腹が立つということもない。←反論すること自体が苛立ってる風に見えるらしいけど
じゃあなんで私が家で旦那相手に愚痴を言うかといえば「好きな人とはなんでも共有したい(きゃっ)」からですよ。もちろん、共感を得て労いの言葉をもらえれば嬉しいし元気にもなる。だけど基本は「こんなことがあったという経験を共有したい」ただそれだけ。旦那が聞いてくるからという部分もあるけどね。

初めからこうだった訳ではないです。私も若い頃はご多聞にもれず、旦那に共感を求めては夢破れて喧嘩になる経験を積んできました。そこから徐々に「話題を共有できればそれでいいんじゃないかな」となり、そして今は「無理に共有しないくてもいいや」に変形しつつある。だから相手に聞く気がない兆候が見られた時は、昔なら気分を害して文句の一つも言ったけど今は話の途中でも割と平気で終わりにできる。大抵の場合は私の話をぶった切りにして旦那が何か別のことを言うので、こちらもそれを契機に話を終わりにしちゃうのですが。するとどうでしょう、旦那の方が「なんで途中で止めちゃうの」と不機嫌になる。いや、途中で別の話にしたのあなたでしょ。聞いてないから終わりにしたんですけど?
私も朝ドラや女子アナの話題を旦那から共有されようとしても困惑しかないな、と普段から思っているのでそれと対等な気持ちで旦那が上の空の時は無理に話を進めない。それだけのことなのに怒りだす旦那。何故?!

「若い時と違って無理に聞かそうと思わなくなっただけだよ」と正直に話したらそれはそれで腹が立つらしい。熟年夫婦の冷めきった妻の匂いを嗅ぎ取るのかしら。そーゆーつもりはないんですけど(^^;)思いやってるつもりなんですけど。
なんだかんだで最終的に「じゃあもう僕に職場の話は一切しないでよね!」と言う謎の逆ギレをかまされて、こちらも最近は仕事の話は愚痴ばかりと言う状況に多少引け目を感じていたので「おうよ、もう一切話すもんか」と決意したのであります。

そしたらさ、ガスが溜まるのかしらね。ものの数日で就寝中に過呼吸起こして大変なことになりました。不満を吐き出さずに働いたら一週間くらいで体調もおかしくなって、これはいよいよとてつもないストレスが体を蝕んでいるなと自分でも驚いた次第。文句を言うだけで元気に働けていたちょっと前までが遠い昔の夢のよう。
私は毒を吐いていないと自家中毒を起こしてどうかしてしまう体なんだわ。それはそれでどんなもんよ?と思いつつ時々でいいからブログで吐き出させてください (/_;)

不平不満なく生きていけるのが理想ですけどね。気持ちを切り替えていけるように頑張らないと自分で自分を不幸にしちゃうんだな、というお話でした。

2017年9月18日月曜日

黙秘な人々

嘘をつくのが平気な人は相手を選んでる。「この人は追求しない」と判断すると力づくで嘘をつくけれど、ツッコミ入れてくる相手は面倒という認識はちゃんとあるらしい。ではツッコミに対して嘘つきはどう反応するか?その答えが表題の「黙秘」だったりする。

なぜか黙っちゃうんだよね。嘘に疑問を投げかけると喋らなくなる。そこで妙な空気になって大概の人はそれ以上の追求はしない。でもさ、それで嘘つきに「やり過ごせた」と思い違いさせるのは口惜しいじゃない?成功体験?!を重ねるごとに彼らは嘘つくことをやめない体になちゃうわけ。だからというわけじゃないけれど、嘘の内容いかんでは私は遠慮なく質問ぜめにする。するとなんということでしょう。黙りこくった相手に畳み掛ける私という構図が出来上がり、まるで私がいじめっ子。実に味気無し。

今、厄介な人を相手に仕事をすることになっておりまして、その人は自称外科医なのですがとてもそうは思えない手技の持ち主。有り体に言って不器用極まりない。本物の医師が掃いて捨てるほどいる職場なのでまさかそんな嘘をつくと思わなかったけれど、あまりにも何もできない人なのでボスが上の人間に問いただしたところ「彼は医者じゃないよ〜。医学部中退って聞いたけど?」との返答。どうしてそんなすぐわかる嘘を平気でついちゃうんでしょうかね?下手をすると医学部に在籍した実績があるかどうかも怪しいレベルで何も覚えられないポンコツぶり。
100歩譲って肩書きで見栄を張っちゃった部分には目をつぶるとして(いや、かなりヤヴァイ詐称だとは思うけど)「できます」と言ったり「わかりました」と言ったことが全然できてないし、全然わかってないし。。。この人の何を信じたらいいのか、さっぱりわかりません。

フレンズによって得意なことは違うからね〜byサーバルちゃん
とは言うものの発達障害が疑わしい人と円滑に仕事をするのは本当に難しい。それが本人にもどうすることもできない脳の仕組みのせいなのか、それとも単なる訓練不足でそうなっているのかを知ることができないからもどかしい。せめてできないことは「できない」と素直に言えて、周囲もそれを認められる社会ならいいのでしょうけど
「君はできる、わかる、自分がやると言うけど、全然できてないし理解できてるかも正直怪しいから、もうこの仕事は触らせないでとボスから言われてるんですよ」←つーか、このせいで彼の仕事を私がやる羽目になって今猛烈忙しいモードに突入している。私がそこまで言っても彼は「僕の仕事」と言い張り私の後追いをやめない。見てるだけならともかく手を出したがって危険この上ないし、何度でも的外れな質問を浴びせられる地獄に陥ってました。お前は新手の天中殺なのかっ?!

横に誰かが張り付いて逐一指示を出してやらなきゃ遂行できない仕事は「僕のやった仕事」とは言えない、1ステップごとに手を止めて「次は?」と聞きにくる人間が全体の内容を理解してるとは思えない、何か一つでも人に聞かずにやり遂げられた工程があったか?そもそも外科医なら知ってるはずのことを君は何も知らなかったじゃないか?
ここにいたって彼は完全に沈黙。いじめっ子先輩気分を味わって、しかしながらこれで彼はもう私を頼ってこないと確信した。嘘つきは嘘を暴く人を好まないのだ。

その翌週、彼は別の先輩に絡んでいた。その先輩は一番最初に彼の指導を任されて真っ先に匙を投げた人物で、上の人間にしかるべき報告も上げている。「彼は何もできない」と報告したことに対してなぜそんなこと言ったんですか?」と詰め寄られた先輩は絶句していた。先輩!そこで絶句したらダメっすよ!この手の人物はまっこと、相手を選んで好き勝手なことを言い続けるようにできている。私なら「何か一つでもあなた一人でできたことってありましたっけ?」と聞き返して黙らしてやるのに。

何よりも彼はずっと「僕はできる」と自分自身に嘘をつき続けてきたのかもしれない。その嘘を否定しない人達とだけ付き合って行けるのが彼の理想郷なのかもしれないが、世の中そんなにゃ甘くないでしょう。
「他者を知るは聡明、己を知るは賢明」とタロットカードが申しておりました。嘘つく相手を選ぶズル賢さはあるみたいなのに、己を知る賢明さに欠けると多分これからも生きにくい人生になると思う。人のふり見て我がふり直そ。。

2017年9月7日木曜日

嘘つく人々

忙しくてブログに辿り着けませんでしたよ、と。この忙しさの中でふと思うところあって珍しく時事ネタなんかを書いてみようとしたりなんかして。とはいえ時事と呼ぶには随分前の話になりまする。お題は日野皓正氏が中学生にビンタした出来事について。
「中学生の髪を掴んでビンタ」というのはなかなかにショッキング映像。現場に居合わせた人の話では教育委員会主催の体験学習として企画されたこのコンサートにはたくさんの子供達が日野皓正氏の指導の元に演奏体験をしていたとか。終盤には舞台に上がりきれない子供達が3〜4小節ばかりのささやかなソロを順繰りに譲り合って披露していたという。その中でドラムの少年だけが異様に長いソロをやめず、最初は苦笑いだった日野氏が譲るように合図をし、それでも聞かない少年に注意を促し、最後は怒りをあらわにドラムスティックを取り上げた。にも関わらず日野氏が背を向けて立ち去りかけると少年は素手でドラムを叩き出して仲間にどうしても晴れ舞台を譲らない。ここにいたって少年の髪を掴んでビンタ、という流れだったそうな。
少年はその後、日野氏のところに謝罪に来たというし取材に対しても「自分が悪かった」と答え、少年の父親まで「うちの子が悪い」と話していたそうなので決して野放図なだけの子供ではなさそう。では何故こんなことになってしまったのだろうか?

思うに彼は今まで他人から怒られた経験がなかったのかもしれない。彼に限らない。今時の若い人たちはこっぴどく叱られたりとか、怒りをあらわにされた経験が昭和wに比べて少ないんじゃないかと思う。実際にこの出来事を受けて暴力に対する賛否両論がネット上でも多数散見された。怒らない育児や教育が推奨され出してから幾久しい昨今は子供をビビらすほど怒ることに対して厳しい意見も多く、どうにも叱る事に大人も子供も過敏になりすぎの感。
子供相手に激昂すること自体が批判の的となり顰蹙を買うオジョーヒンな世の中になったけれど、これだけは言える。人を怒らせる行為がどんな結果をもたらすかを学ぶ機会を持たない子達は大人になってから苦労する。怒られた経験のない人は色んな意味で厄介者に成長するから。

はい、愚痴です。察しの良い方は「こりゃ職場の話だな」と捉えてくださってよろしくてよ。今の私の周辺は怒られたことがないまま大人になった系の厄介者率が異様に高い。それらの特徴は言動が不用意に失敬な人とか、逆に人の目にとまらないよう存在感を消してる人、何か意見されるとマジで消えていなくなる人、等々各種取り揃え。これらの人達は共通して「親に怒られたことないんですけど?」とサラリと言っちゃう。下手するとそれを自慢にすら思ってるフシがあるんだけど、それで他人をこれだけ平気で怒らせる大人に成長したんだとしたらお前さんの親は大馬鹿者だ、このスットコドッコイ!
「若者は」と一括りにして若者の悪口を言うつもりは毛頭ないが、ある時ふと気がついたのは嘘をつくことに抵抗のない人が特に若い世代に急増しているなということ。これは嘘がバレても怒られたりしなかったことの現れではないかと思う。わしら年寄り世代は嘘をつくと親に鉄拳制裁で叱られたし、嘘がバレたら相手からはボロクソに文句を言われるし、それを伝え聞いた仲間からも責められるし、骨身にしみて嘘はダメだな〜と小さいうちに学んだ(違うのか?私だけ?!)。
嘘は絶対にダメと思う理由は大概の嘘は人を苛立たせるからじゃないかと思う。でも今は嘘をつかれても怒る人は稀だ。私自身、若者の見え透いた嘘を目の当たりにするとむしろ目のやり場に困って脱力が先にくる。「以降はこの人に関わるまい」と思うのが精一杯。鉄拳制裁なんてとんでもないし、ボロクソ文句言っても…じゃなくて、その嘘を暴いたとしてもそれは大人気ないと恨まれるだけで、せいぜい仲間内やブログでヒソヒソと言い合うくらいが関の山 (^^;)。
嘘をつく方もその場さえ取り繕って乗り切れば、あとは自分の中では無かったことにできると思っているから実に軽いもの。でも嘘をつかれた方にはその嘘が心に残り続けるということを忘れてはいけない。失った信頼は取り戻せないし、回り回ってそれが悪い結果をもたらすことに気づく機会さえない。結局人は直接的に酷い目に会ったりビビったりしない限り、つまりは因果関係が目に見える形で自分に迫って来ない限り、自分の失敗は無かったことにしてしまうものらしい。
くだんのドラム少年は誰も怒ってくれなかったら「自分が悪かった」とはなかなか思えなかったかも知れませんね。

と、とりとめもなく書きましたが、今後も職場で嘘つき野郎の残した嘘混じりデータの修正に追われる毎日がしばらく続きそうです。げんなり