いらっしゃいませ

にほんご べんきょう してきて ください
いらっしゃいませ。ずっと試運転中です。予告なく変更しまくるつもりが仕様変更については手付かずです。

2014年8月29日金曜日

美食同源

祝い事があったのでハレの日飯。というわけで帝国ホテル地下のラ ブラスリー、今回はアラカルトからチョイスの巻。

ムニュ(コース)狙いで何度か足を運んだし、伝統料理祭り(そんなタイトルじゃないが ^^; )で名物といわれる料理も一通り口に運んだ。それではいよいよ憧れのアラカルト航路へ。というわけで前から気になってたお目当て料理に猫まっしぐらの夫婦ふたり。
ところがどっこい。乾杯の飲み物が用意される間、メニューに目を通し初志貫徹を決意、いざオーダー!となったところでまさかの品切れ宣告。今週の買い付け分がちょうど昨日出払った、とのことでギャルソンは半身をよじって嘆いてくれた。こちらも思わず「なんてこった!」と逆回転で半身よじり。こんなこともあるので目当ての料理がある時は予約時に「あれが食べたい!」とあらかじめ申し添えておくといいらしい。
さてここからがギャルソン氏の本領発揮。一緒に本日の献立を組み立て始めてくれた。まずは目当ての品が魚だったので、それに代わるメイン料理を提示。内容量のことも含めてメインに合うアントレ(前菜)やメニュー構成も提案。スマートな対応であれよと本日の会食内容が組み上がりました。百聞は一見にしかず、写真をどうぞ。
美食家のためのサラダ 2,700円を二人で
美食家のためのサラダがスンバラシかったです。量が多いのでフルサイズをお取り分けにいたしましょう、と奨められたのですが写真はその取り分けた一人前。テーブル横でドレッシングをかけてサーブしてくれたのですが、サラダの美味しさもさることながらレードルでキラキラとドレッシングを落として行く所作のなんと美しき!思わず見とれてしまった。ご注文の際は是非ご注目を!レタス、インゲン、蟹、フォアグラそして生マッシュルーム。酸味のない上品なドレッシングとフォアグラの風味がなんとも言えない美味しさで気分はもう『ガルガンチュワとパンタグリュエル』。巨人の一族になってぺろりと完食。ハーフサイズは1,600円とのことなので次の機会があったらアントレにはこれを選ぶかも。ただマッシュルームはもっと厚みがあってもよろしくてよ。生をもきゅもきゅと食べるのが好きなんで。
定番のダブルビーフコンソメ2,000円
さてスープは旦那がダブルビーフコンソメ大好き人間なので付き合いでなんとなく頼んでしまった。同じものを食べるって大事よね。最初は乗り気じゃなかったけど、でもでもやっぱり口にすると美味しい。肉々しい風味の正体が不明でコレ苦手という人もいるようですが、いっそ肉料理と位置付けてもいいんじゃないかと思うくらいのスープ。とはいえ私はお酒と一緒にスープは要らないと思ってしまうクチ。これからは旦那がスープを飲んでる間に上述のハーフサラダを頼もうっと。うひひ。
石巻産平目の詰め物 ハーフポーション 2,500円
ここで乾杯グラスが空になったので白のグラスワインを追加。そして程なくメインのポワソン登場。手の込んだ料理に思わず微笑む。なるほどこれは取り分けで形を崩すのはモッタイナイお料理。各々がハーフを頼んで正解でした。こうした相談や助言はすべてギャルソン氏が如才なくやってくれます。ありがとう、ムッシュー。
さて料理の方は刻んだオリーブの風味が楽しい一皿でした。平目そのものよりはオリーブの勝ち。単に私がオリーブ好きだからか…。
メインがポワソンで全体的にサッパリとした流れ。だけど随所にフォアグラがあったりビーフのエキスが入ったりで程よく濃厚感も得られて満足まんぞく。さてデザートはどうします?という所でふと見れば策士の旦那はチーズのためにワインをちゃっかり温存している。しまった、やられた!またしても飲み干してしまったよ。てなわけで私にはポートワインをください。
チーズ1切 600円〜
さて、フロマージュを所望すると本日のおすすめチーズを一通り口頭で説明して「しかしながら実物を見ていただいた方がよろしいでしょう」ということでワゴンが運ばれてきました。ウォッシュかシェーブルに心が動いていたのですが、お目もじしたフルムダンベールの状態の良さに思わずそちらをチョイス。やはりチーズは一期一会。チーズと面会させてくれるこういうサービスは本当にありがたいですね。目の前で丁寧に切り出してくれました。やはり所作が美し〜い。無粋なお願いをして写真を1枚撮らせていただきました。
チーズにはドライフルーツとパンが付く
光沢のあるフルムダンベール
この日、祝い事ということで食前にはシェフからアミューズが、そして食後の珈琲を頼むとキレイに盛りつけたミルフィーユのお皿がサービスされた。こうした心遣いは嬉しい。本日はアラカルト注文のお陰で積極的にお店と関わった充足感もあった。「料理のオーダーが楽しい」というのはなんとも得難いことである。
食前のグラスシャンパン、グラス白ワイン、食後酒のポートワインそして珈琲、これらのドリンク類と上記の料理をあわせて一人当たり12,000円(料理だけなら一人7,000円)くらい。お値段的にはレ セゾンのランチと遜色ない。どっちがいい?と聞かれれば、どっちも好き!ハレの日ですもの。ありがたや、と感謝して満足して食べたもの勝ちなのでございます。
以前、セゾンの黒服(給仕)の方が好きとか書いちゃったけど、やはりこちらも素敵でした。お陰で楽しい時間を過ごせた。それが何よりのご馳走。

2014年8月23日土曜日

むずむず脚

むずむず脚症候群をご存知ですか?どうやら私の脚がこれっぽい。
一日の終わり、夕刻から就寝中にかけて文字通り脚にムズムズした不快感がつきまとい、酷いものになると睡眠を妨げるというのだが、実はこれ40代以降の女性にそこそこ多くみられる症状だそうな。
私も数年前から時折、この症状を自覚していた。就寝中にこのムズムズというかピリピリというか、カクカクというのかワラワラというのか、とにかく変な感覚が膝裏あたりからふくらはぎにかけてわき起こり、目が覚めてしまう。これが痛むわけじゃないけど不快でなんとも落ち着かない感覚。最初は「むくみ」が原因じゃないかと思ってバナナジュースをガブ飲みしたり寝る前に膝裏からふくらはぎ全体を軽く握った拳でぺちぺちと叩くマッサージをしたり、ふくらはぎ下に枕を敷いて脚を高くして寝たりと色々やって誤摩化してきた。実際、それで症状は緩和されていた(ような気がする^^)。

先日、あるコラムでこの症状が自分だけの奇病じゃないと知ってビックリ。しかも原因は不明だそうだ。一説には腎不全や鉄分不足、パーキソン病からくるむずむずという話もあるので心当たりの方はご用心。日常生活に支障を来すような場合は放置しないで病院で診断してもらうように、とコラムは呼びかけてました。受診は睡眠障害を扱っている専門機関や同じく睡眠障害も扱っている精神科や神経内科へ、となっています。

と、まあ中高年を過ぎると身体の不調もアレコレでること。先月書いた爪の話もそうですが、人間って不調があっても慢性的なものはなんとなく折り合いつけて付き合ってしまうもの。特に女性は子育て期間中に自分のことを後回しにするクセがつく(子連れで病院に行くのが困難なので病院行かない仕様になる)ので、ともすると大病に気づかないまま手遅れになることも多い。
なんて、自分で書いておいてそれじゃ病院行くか?と聞かれれば、まあ行きませんね。日常生活に支障をきたしてませんので。主婦の日常というのもまた、結構ざっくりとした人生なので何が支障で何が正常運行なのかも定かではありませんが…。

とりあえず、むずむず脚回避には「カフェイン、酒、タバコをさける」「鉄分をとる」「軽い運動」で乗り切ってください。むず脚とは関係なかったぽいけど、むくみ脚にはバナナがめちゃくちゃ効くのでコレはおすすめです。

2014年8月15日金曜日

かえりみる八月

今日は終戦記念日。こんな日くらいは少し過去を振り返ってみよう。
もちろん、私は戦争を知らない中年達さ〜♪。と、書いてて思ったけどもはや『戦争を知らない子供たち』という歌そのものを知らない子供たちが多い昨今、こういう無駄口はヤメヤメ。

自分の親世代ですら戦争は遠いガキんちょ時代の話。その体験談には祖父母世代からの伝聞も多く含まれる。曾祖父母からの伝承となるとほとんど耳に入れた記憶がない。ウラをかえせば自分が伝え聞く祖父母世代の体験は子世代に伝えないと、ほぼ完全に忘却の彼方に押し流されてしまうのだな〜…と感慨ひとしお。
8月は戦争を憶(おも)う月。子供の頃は繰り返される戦争回顧番組にうんざりしたり、悪夢のように現れる金曜ロードショーの『蛍の墓』に七転八倒したり、正直「しつこいな〜」と食傷気味に感じる時もありました。けれど終戦後69年目の今夏、原爆の日にあまりに報道各社の姿勢がさらりとしているように感じて我にかえった。こんなに原爆の日って静かでしたっけ?なんだか沈黙の夏。こうなると、それはそれで落ち着かない。

母は幼い頃に広島で被爆している。小さいながらその日の記憶はある程度鮮明だ。外で遊んでいた時に街の方角を指さして動揺しはじめた大人達の姿。遠く立ち上るキノコ雲と落下傘。ただならぬ気配に泣き出した妹と二人で家路につく途中、出迎えた祖母(私の曾祖母)から「あんたら泣くけぇ(泣くから)雲がついてきよるよ」と言われて振り返るとキノコ雲が街から広がりやがて頭上から黒い雨を降らせたこと。それからケガ人が市街地から続々と学校に搬送されてきて祖母がシーツやカーテンを引き裂き包帯を作る手伝いに駆り出されたこと。
母の体験はそれくらいのものであったが、ケガ人の救護に当たった人達は二次被爆の認定を受けたこと、被爆者手帳の交付を巡っては差別を恐れて認定拒否をする人も少なからずいたこと、そんな細々とした話は祖母から母、母から私に繋がれた。
母は今、減少の一途をたどる原爆語り部の引き継ぎ事業に駆り出されている。人々の体験話を引き継いで次の世代に繋ぐための活動で「正直、おかーさんは暗い話は苦手で辛くてシンドイ」そうだが、これも課された使命と思って参加をしている。
あまりに辛い体験のため、誰にも何も語らなかった人でも「引き継ぎであるならば」と初めて口を開くケースもあるようで、そうした使命感のようなものが伝播してシンドイ母を何とか引き止めたようだ。

どうして引き継がねばならないのか?それを考えることが大事。これはただの昔話じゃない。誰の身にも起こりうる他人事ではない話。半死半生の家族を置いて逃げなければならなかった人の一生の慟哭。通常では考えられないような大怪我をしながらも命ある限り逃げ惑った人々の群れ。一度戦争という非常事態が起きたなら、いつでも我が身にふりかかる地獄の話。どれだけ我が身に置き換えて考えられるか、どれだけ真剣になれるか。それが未来に繋げるということ。
なんとなく、なんとなく、で戦争に舵をきった歴史を忘れない。その気持ちが8月の雰囲気を持続させてきたと思いたい。来年は70年目。節目が控えてるから今年はちょっと静かにしてみました、ということだよね?報道陣営さん?!

2014年8月10日日曜日

夏の高上がり

展望デッキの真下覗き窓
高い所が好きっ。山頂然り、展望台然り。高所からの眺望はそれだけで気分爽快。というわけで夏休みお出かけ企画、スカイツリーに登ったよの巻。登ったのは夏休み前のことですが、細かい事はまあいいか。

入場料は当日券で展望デッキ2,060円(日時指定券はこれに510円増し。夏休み前の平日なら指定ナシでもエレベーターにすいすい乗れましたよ)。さらに上の展望回廊を目指す人は展望デッキの売り場で1,030円のチケットを買ってね。なんで2段構えにするかな?と思うけど、実際問題「最上階は別にいいや」という人も居るからなんでしょうね。でも私に言わせればここまで来て一番上に登らないなんて、何のためのタワーかっ!てなもんでござんす。何とかの高上がりと思われましょうが、高所恐怖症でない限り、とにかく最上階に行ってみよう。全然視界が違いますから
建設中のスカイツリー
右手にうんこアサヒビール社屋

思えば子供の頃、親に連れられて東京タワーに登った時には足下を覗き込み「高いと言ってもこんなものか」と思ったおっぺけぺーな記憶を持つ私。その記憶を引きずったままで東京タワー未体験の旦那に付き従い、東京タワー詣でをしたのが2年前のこと。この時の衝撃の大きさは今も忘れない。子供の時の私は一体、ナニを見ていたのかと。
自分の足元だけを見るのと周囲全体を俯瞰(ふかん)するのは全く違う。おそらく幼少のみぎりの私は足下しか見ていなかったのでしょう。周囲を見回したとしても、当時の私は東京という街そのものとまだ縁(えにし)を結ぶ間もなくて、そこは「自分とは無関係な大人達の街」でしかなかった。それが無感動の一因だったと思う。
まづ高館にのぼれば、北上川、南部より流る大河也。衣川は和泉が城を巡りて、高館の下にて大河に落ち入る。 奥の細道
数年前、名古屋城の天守に登った時に頭に浮かんだのは上記の松尾芭蕉の平泉のくだり。天守閣からの眺望は清(すが)しくてそれだけで楽しかったのは事実だが、惜しむらくは私には中部地域の地理的な素養がまるでなく、ただ遠く見晴らして「ほぅ」と感嘆するしかなかった。芭蕉や曽良のようにその土地の歴史や記憶、あるいは現在の生活感覚を辿ることに不備であった自分をその時少し呪わしく思った。
2年前の東京タワーはそういう意味では初めて土地勘をもって高所から街に臨んだ体験。慣れ親しんだ街の平面地図を眺めるように楽しんだ後で、展望台からさらに上層の特別展望台に登った時に街の印象は驚くほど一変した。「こんな街だったろうか?!」視点の角度が変わった事で、そこには平面地図とは違う位置感覚が出現していたのだ。例えるなら動物の一定の角度から撮った写真ばかり見て育った人が初めて実物を間近に見たような衝撃?「こうだったんだ…」という感動。これを体感するためには絶対に一番上まで登るべき!

というわけで夢が枯野を駆け巡るタイムリープはここまで。肝心のスカイツリー現場に戻りますよ。展望回廊と名付けられた最上階の様子とは!?
展望回廊からの眺め
一言で述べるなら圧倒的な圧縮感。下の展望デッキからでは臨めない遥か遠くまで見晴らし、相関的に至近の景観はギュッと押し縮めて見える。一つ一つのランドマークはまるで小さな細胞組織。組織の集合体が器官になって連携し命の躍動をするように…そう、展望回廊から見る景観はこの街が活(い)きていることを感じさせる。(当社比)
スカイツリーと上野の五重塔がきれいに重なっている
足下には発掘調査中の水戸藩邸跡という珍しい写真
今はもう失われた風景
足下の景色だけを比べると、これは私に言わせればある一定の高度(レベル)を越えるとみんな同列に「ひょ〜、たっかーい」というものでしかない。レベルの違いとは俯瞰をした時に初めて表出するものなのだな。おそらくそれは世の中のいろんな物事に共通することなのかもしれないな、とそんな事を考えたひととき。皆様、よい夏休みを。