いらっしゃいませ

にほんご べんきょう してきて ください
いらっしゃいませ。ずっと試運転中です。予告なく変更しまくるつもりが仕様変更については手付かずです。

2012年11月16日金曜日

いつか来た道、還る道

私の知る限りでも30年来変わらぬ憧れの飲み屋。
こんな店は滅多に無い。店主はさすがに代替わりしたけどね
久しぶりに神楽坂。昔なじみとの会食場所は古民家を改装した料理屋。最近、多いですね古民家改装。神楽坂でそうした店に入るのは初めてなのでワクワクイソイソして出かけましたが、さてどうしたものでしょうか、この違和感。

十代の多感な時期に神楽坂芸者が出入りするような店(の、出入り口^^; )を眺め育った私には「神楽坂でござ〜い」と取り澄ました裏路地の小料理屋のほとんどがもはやテーマパークにしか見えない。新しいモノを敬遠してるわけではない。なぜなら取り澄ました店舗の多くは、古い建物に手を加えたものが多く、古さでいえばそれなりのもの。実際に今回うかがった料理屋は戦後昭和のかほりを色濃く残す「日本のおうち」だった。
違和感の原因はこの、オウチはお家でしかないという所にあるのかな。昔から続いてる料理屋が一線を画しているのは目に見えぬ「空気」。におい?あるいは建物に刻み込まれた「記憶」なのか?実際の花柳界の人間やそこで起きた出来事が培い醸してきた何かが古民家には欠けている。いやむしろ、古民家には古民家の歴史が諸処に刻まれており、それらが嗅ぎ取れてしまうのにお店のコンセプトは「神楽坂の小料理屋!」を全面に押し出してくるところに違和感。ということなのだろうか。
どれが古くてどれが新しい店、なんて観光客にはわからない。そこそこ歴史ある割烹で廉価なまかない風ランチを出してくれる店がむしろ「普通」と評され、体裁をそれらしく整えた店で観光地プライスな気取った料理を出す店が「お値段も神楽坂〜!」とヘンに納得され高評価を得るのは何ともムズ痒。神楽坂って本来そんな街じゃござんせんからと誰かに言ってやりたい衝動。というわけで今回のお話になった次第。^^;

お店だけではない。観光客に人気の裏路地も全てが昔から続いた道じゃないんだから驚きだ。こんな所に小路はなかったよなんて場所に、体裁を整えた裏路地がここ十年くらいでいくつか増量されているのには恐れ入る。これらも醸されている空気が昔の小路とは全然違うので歩くと居心地がなんとなく悪い。整備されてるから歩き心地だけはバツグンに良いんだけどね。
とまあ、ちょいと批判的に書いてるように見えて実はこうも思ってる。この歴史の浅い裏路地も人々が行き交ううちに醸されていくのであろうな、と。きっと誰かの大切な思い出の道になるのでしょう。道を歩くという行為は人と道に確かに何かを遺すもの。「土地の記憶」なんてシャレた言葉は私はタモリさんの口から聞いたけど、なるほど携帯を鞄にしまい耳栓?! も外して、時には道を歩く行為に没頭するのも一興でござんす。そうして歩いた道はあなたの歴史の一部となり、あなた自身もまた道の記憶に刻まれるのだ。なんちゃって。

ところでトップの写真の店。どの小路だかわかりますか?お向かいには連日大賑わいの店舗が出来ており撮影時も右手塀を回り込めば御婦人がたの入店待ち大行列ができてました。そんな場所にひっそりと残っています。創業は昭和12年。戦後に建替えて以来ずっとこの形。中学生時代の私でも夕刻にこの店の前を歩くとピリッとした異様な空気を感じ背筋の伸びる小路だったのですが…静謐は破られ新たな歴史が刻まれる

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