でもね〜、こういう生理的な嫌悪ってどうしても理解されないんですよ。対象物がムシとかなら何故かすんなり理解されるのに、あろうことかボタン。私の場合は親から「ボタンかけを面倒くさがる横着者」というレッテルを貼られ、吐き気をもよおしながらでも幼稚園の制服を自分で着るよう強要された記憶が今も残ってる。そのスパルタ式を経て、ある程度は克服できたのですが本当のことをいえば今だって苦手。気付けば私の手持ち服はカットソーが主流でシャツブラウスの類いは2枚だけ。本当に必要最小限。しかも比翼仕立てでボタンが見えないデザインのものだけという徹底ぶり。意識してたわけでもないのに、嫌なものは嫌だと拒み続けて生きてきたのだな〜と三つ子の魂百までを実感。
一方、これに類する話かどうか私にはもう一つ奇癖のようなものがありました。その昔、私の中では数に性別があったんです。昨今、共感覚という言葉で言い表されますが、いわゆる文字や数字を色や味(?!)などのまるで異なる特殊な感覚で捉える人達の存在が確認されています。それと一緒かどうかはわからねど、少なくとも幼稚園児までの私は数を想起する時に偶数奇数の他に男女別という仕分け方で認識をしていた時期があります。ガキんちょが接する数なんてせいぜいお菓子を数える1から十幾つくらいのものですが、今にして思うとその中でも素数を男だと感じてました。すなわち1,3,5,7,11辺りが普通に男子。2は宝塚風(有り体にいってリボンの騎士^^)。そしてどうしたわけか13は男でも女でもない。9はなんでかな?おばさんだな〜と感じてました。
「西洋では13は不吉な数とされている」という話を聞いた時に私としてはひどく合点がいって「あいつ、男でも女でもないからね」と感想を漏らしたことで姉からつっこみが入った。そこに至って初めてその認識が自分だけの空想世界だったことを自覚。以来そうした感覚については誰にも語らず、やがて次第に薄れて数は数字としてのみ認識するようになった。
夏の日の記憶 father, child and ... |
そうなんですよ!私はかなり幼い頃の記憶ほど、恐ろしく鮮明に刻みこまれてる。他のもっと覚えておけばいいような青春時代の思い出とかは平気で忘れてるのに!
やっぱアレかな。二十歳過ぎればただの人って奴だったんだ…なんて思う今日この頃。
実は息子に関しても数にまつわる奇妙な話があるのですが、それはまた別のお話…
実は息子に関しても数にまつわる奇妙な話があるのですが、それはまた別のお話…
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