いらっしゃいませ

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2012年3月10日土曜日

ゆく年にさよならを

年末に書きかけた駄文。区切りと思い書き直して投下するものなり。

年末大掃除は玄関だけ!と心に決めて、決めた手前しぶしぶとお掃除いたしましたよ。すると玄関クローゼットに家族分のコート、ジャンパー類がかけたままになっているのを発見。これは3月11日の夜に私がここに用意したもの。
今はこんなに悲しくて、涙も枯れ果てて…また笑顔になれる日はやってくるだろうか、と不安を抱えたあの夜。結論から言えば、まわるまわるよ時計は廻り今日はくよくよしないで今日の風に吹かれてる
あの日のことは決して忘れない、そう思っていてもクローゼットを見るまでどんな思いでここにコートを用意したかなんて思い返すこともなかった。
やまない余震と予断を許さない原発、石油コンビナート火災にデマメール。あの頃は家族全員が普段着のまま就寝し、いつでも飛び起きて避難できる状態を整えていた。

「何かありゃ(放射性物質は)当然こっちにも来るわいな〜」と、つとめて冷静に判断し行動しようと思っていた自分でも、海外研究機関がいち早く提示した飛散予測情報を昔の仕事仲間からメールで見せられた時には動揺が走った。「こんな情報を考え無しに一斉メールで垂れ流しやがって」という八つ当たり的な腹立ちが沸き起こったのも事実。あの憤りは何だったのか。

有事に備えながら「放射線量はどうしたって上がるけどメルトダウンさえ起きなければ逃げるほどのことじゃないからね」という気休めを子供達に話して聞かせていた私。今なら誰もが知っている。その時すでにメルトダウンは起きていたというのに!おめでたい事実。政府が情報を完全には提示しないことを知ってたはずなのに「メルトダウンは起きてない」その発表だけ一途に信じたのは何故?
自分の中でそれが起きたと思いたくない強い欲求があったからだと今ならそう考える。まさに盲信。人は好んで己が欲するものを信じる by ユリウス=カエサル。それを身をもって体験した出来事だった。望まない事実を直視するのは実に勇気のいることなのだ
At Pompeii
                            
一年を迎えるにあたって誰もが言う。あの日のことは決して忘れてはいけないと。
具体的には何を思い出すべきか。不安に煽られた自分のイタさ?計画停電にまつわる不便さ?私の受けた痛みは微々たるものだったけど、己が痛みを知ることは他者を悼むことにつながる。本当の絆はそうして生まれるのだと思う。痛みを拒んで絆など生まれようはずがない。絆とは共に生きる決意を促すものであって欲しい。だがしかし
ああまた誰を頼むべき。瓦礫を、被災地の瓦礫を片付けてこの国で共に生きたい。嫌がる人に強制できないことを理解した上で、それでもなお共に悼みを分かち合える世の中でありたいと思う。瓦礫を引き受けることは痛み分けではなく悼み分けなんだ。

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