いらっしゃいませ

にほんご べんきょう してきて ください
いらっしゃいませ。ずっと試運転中です。予告なく変更しまくるつもりが仕様変更については手付かずです。

2018年12月24日月曜日

真冬のホラー

さて、皆さんはお隣に誰が住んでいるかをご存知ですか?
ご近所付き合いが廃れていく昨今、そうは言っても学生さん風の人が住んでるとかOL風味のお姉さんが居るとか、おぼろげにでも隣に住む人の輪郭は見えているのが普通ではないでしょうか?
そんな風に認識していた隣人が引っ越した気配もないのにある日突然別人にすり代わっていたら…今回はそんな摩訶不思議なお話です。

私がこの地に越してきたのは四半世紀も前になるでしょうか。古い住宅地にある中古物件を求めて新生活をスタートさせました。その時、隣家には老夫婦が住んでおりましてお二人には人生の先輩として色々なことを教わりながら良いお付き合いをさせて頂きました。このご夫妻はすでに鬼籍の人となり、独身の娘さん(A子さん)が家を建て替えてそこで一人暮らしを始め、もう5〜6年になるでしょうか。先月、そこへA子さんの友人が訪ねて来た。
その友人曰く、「A子さんと連絡が取れないのですが…」電話に出ないというだけではなく、電話の契約そのものが解除されているらしい。「A子さんはここに住んでますよね?」と尋ねられて、はてどう答えたものか。確かに姿を見る事は稀だけど、しかし夜になれば部屋に明かりもともるし普通に生活している様子ではある。友人に言わせると「どうも様子がおかしい」との事でしきりに安否の確認を取りたがった。とはいえ不在では仕方ない。ひとまずA子さんには友人が尋ねていらしたことを私が伝えておく運びとなった。
その夕刻、部屋の明かりがついたので早速私が訪れてインターフォンを押してみた。
…が、一向に出ません。家の中に人がいる気配はしているのに誰も出てこない。出られない理由が何かしらあるかもしれないと思い、ご友人が尋ねていらした旨のメモをポストに入れて帰宅した。
友人には私から「A子さんは帰宅したようですが出られない様子なのでメモをポストに入れておきました」と伝えると、なんと友人は即刻引き返して再度訪問してくれて家の外から必死に呼びかけた。それでもA子さんは扉を閉ざして姿を見せなかった。
そして、その翌日から隣家の窓に明かりが灯ることはなくなった。

それだけではない。夫は仕事の行き帰りに必ず隣家の様子を見るようにしていたのだが数日後の夜、二階の窓が開け放たれているのを目撃し「誰かがいることはいる」と私に報告。翌朝、私も隣の二階に目をやると…その日「今年一番の冷え込み」と言われた朝なのに窓は開け放たれていた。多分、昨夜からずっとそのままだった模様。
さあ、あなたならどうする?

町内会長さんに状況を説明して、A子さんにはお嫁に行ったお姉さんがいたはずなので連絡をしてもらうことにした。ところがそのお姉さんはとうの昔に亡くなっているという。つまりA子さんには連絡を入れる相手がいないとの由。結局、民生委員に連絡を入れて委員さんの判断で警察に来てもらった。
ところが警察は二階の開いた窓から侵入を果たしたものの、家の中には誰もおらず「死体とかが出れば別ですが、出かけてるだけかもしれないのでこれ以上のことは警察にはできません」と言って帰って行った。「あ、窓は閉めておきましたから」ですと!
えー、それだけーー?!

実際、近所の人間にできることはここまでです。駐車場にはA子さんのものではない他県ナンバーの車がずっと停められており、町内会長さんによるとそれは親戚と名乗る男性が時々出入りしていたのでその人の車だろうとのこと。私は老夫婦とのお付き合いの中で親戚はほとんどがすでに鬼籍に入っていると聞いていたので、強いて言えば亡くなったお姉さんの旦那さん、つまり義兄さんだろうかと思っていた。
つい先日のこと。日が落ちてから裏庭の片付けをしていた時に、隣家の玄関が開いており中で明かりもつけずに何かしている人物を発見して私は思わず「A子さん!?」と声をかけた。中からは老人が現れてそそくさと戸締りをして立ち去ろうとする。追いすがり「すみませーん、A子さんってどうかなさったんですか?」と声をかけると「にゅーいん、入院してるんだよぅ」とのこと。
老人は先代の知人で庭仕事が得意なことから昔から庭木の手入れを任されていた人だった(しかし庭師さんという訳ではない)。A子さんが家を相続した際に引き続き庭の手入れを引き受けていたことは私も知っていた。面識もあるがこの人は決して隣家の親戚などではないことを私は知っている。とは言え長らく家に出入りしていたご縁で「もうほとんど親戚みたいなもの」ではあるのでしょう。独り身のA子さんが体調を崩した時に他に頼る人もなく、彼に留守宅のことを一任したとしても不思議ではない。
でもね、留守を預かったのならそれなりのやり方つーものがあるでしょうが。人が訪ねて来たら「これこれこーゆー事情です」と説明するとか、警察沙汰にまでなってるのだから町内会には連絡入れておくとか。高齢の男性なのでそういうことに気が回らないというのはあるだろうけど、「入院ってこの近隣の病院ですか?」と聞いても「いやぁ、違う」としか答えないのでA子さんがどこにいるのかもわからず終い。
友人が心配して訪ねて来た話とポストにメモを入れた話をしても「あー、そうなの」としか言わない。「連絡を入れてあげるように伝えてください」というと
「無理無理、話せないから」
「え、そんなにお加減が悪いのですか?」
「いや、頭ははっきりしてんだけど体が動かないんでね」と、こんな感じ。

そもそも入院なら新聞を止めるのは合点が行くが、電話まで解約するのは腑に落ちない。この日もそうだったのだがこの老人はなぜかA子さんの車を乗り回している。考えてみれば「もうずっと入院してる」と言っているけどその間、友人が訪ねる日まではおそらくこの老人がA子さんの家でずっと暮らしていたのだ。だからこそA子さんの不在に近隣住民は全く気がつかなかった訳だが、はてさてこれってどういうことなんだろうか。
言い方は悪いがA子さんは相続人のいない財産を持った独り身女性なのである。何事もなければ良いのだが…といらぬ妄想が暴走する。
何よりも、ずっと隣に住んでると思ってた人が実は別人だったという事実に震えた。
あなたの隣に住む人は、それは本当に隣の家の人ですか?
私たちはそれを知る術を意外と持っていないのです。
以上、最近起きた不思議なお話でした。

2018年12月12日水曜日

カメラのある生活

悪口が続いたので、いい加減美味しいものの写真でもupするかと写真データの整理をしていた。今年も美味しいものをたくさん食べたな、と幸せ気分満喫。
死んだ猫の写真を見ても、なんだかんだで共に過ごした幸せな時間を思い出してしみじみ幸福感。写真って本当に良いものですね。

子供の頃に思い描いた未来の生活は、人々が腕時計式の無線かなんかを持っていてそいつで鉄人的なロボットか何かを動かしたりなんかしちゃう便利な世の中。蓋を開けて見ればまさかの電話がそんな便利ツールとして活躍している。しかも板切れの形で!
時計じゃなくて電話だったか〜、という驚きもさる事ながらこの携帯電話の中でも一番私達の生活を変えたのは撮影機能ではないかと思う今日この頃。
誰でも手軽に日常生活の中で決定的な瞬間や、なんてことない風景をいくらでも記録して残せる世界。
神楽坂飯店のジャンボ餃子
パシャリとすればいつでも見られるこの喜び
今年一年に撮った写真を見て、ここに私のほぼ全てが入っていると思った時の驚きは何にたとうべき?私の軌跡が入っているだけではない。何を撮ろうと思ったかを通して私という人間そのものを端的に現していると言っても過言ではない。写真にはそんな側面がある。
ま、大げさに言ってるけど結局は食べ物と動物園の動物達ばっかり写ってるわけなんですが。それが私というものさ。
写真で一年を振り返る。そんな時間もまた楽しからずや。

2018年12月4日火曜日

賀状の切れ目

師走に入ったので出遅れの感はあるものの、年賀状を準備するシーズンの到来ですね。
男の人は知らないが、女性陣には年賀状だけの付き合いという人がたくさん居る。学校、職場、ご近所さんなり、かつて同じ環境にいて仲良くしていた人と遠く離れてしまい、さりとて努力して会うほどの熱情は互いに持ち合わせてはいない関係の友人。それが年賀状友達。
今の若い人のことは知らないが、女は往々にして結婚によって取り巻く環境がガラリと変わることも多く、断ち切り難いがさりとて親交を深めることも困難な状況の関係というのは多い。強いて言えば年賀状のやり取りを止めないことで、親交を細々と繋いでいくということかもしれない。
さて、今回はそんな細い繋がりをあえてブッタ斬ってみた時のお話。

小さい頃から友達は大事と刷り込まれてきたけれど30代のある時、ふと「付き合うべきじゃない友達もいる」と突如悟りを開いた。これは本当にある日突然、雷鳴のようにこれは付き合いを切るべき人なんだとひらいめいて断捨離よろしく3人ばかり付き合いを断ち切ったことがある。つーても、その頃にはすでに全員年賀状だけの付き合いになっていたので賀状を送らなくなったというだけのこと。
3人の共通点を挙げるならそれはギブアンドテイクではない関係だった。先方の都合の良い時にだけこちらが利用される関係。若い時にはそれも一つのバリエーションとして楽しめたので自分が利用されるだけとわかっていても気にせず付き合いを続けられた。
友情って損得勘定ではなく、何かしらの興味や魅力を相手に感じることができるから続けられるものだと思っていたから。
そういう意味では30代のある時、自分がもはや彼女らに何の魅力も興味も持ち合わせてないことに気が付いたのだと思う。それでも惰性や思い出だけで繋がっている友情があったっていいと思っている。実際にそういう関係の人もいる。だけど彼女らの関係を断ち切ったのは要は今後は1ミリだって時間と情を割く気持ちが失せたということなんだと思う。
若い頃なら笑って許せた狼藉がお前、30代になってもそのまんまなのかよという侮蔑となってしまった。そのことに気が付いたらもう友達の顔をして賀状のやり取りをすることができなくなったのだ。

ここから悪口な。
一人は長年、既婚者との同居生活を続けていて自ら音信不通になっていた人物。別の男性との結婚が決まった時に「結婚式に来て欲しい」と連絡をよこして来て交友が再開したのだが、その後生まれた子供の写真を散りばめた年賀状を見た時に説明のつかない怒りが湧き起った。(ちなみに私は他所の子の写真年賀状は肯定派。嫌いじゃない)
彼女の不倫は最初は職場同僚(既婚者)への一方的な片思いで始まったのだが、先方の奥さんが里帰り出産の不在時に家に押しかけて一度だけ抱いて欲しい?!と懇願して不倫関係に突入(本人談)。以来10年も先方の家庭を引っ掻き回してきたのに、相手の奥さんが愛想をつかして離婚話が出たところで「なんか、面倒くさくなっちゃった」と関係を解消した経緯がある。他所の家庭を壊しておいて何事もなかったように自分の家庭の幸せ満喫かよ、と今更せんなきことだし他人事なのにそれでも嫌悪感が止まらなくなった。(じゃあ地味な反省文を寄越せば良かったのか?とか考えだしたら謎は尽きないのだが)
毎年、こんな調子で彼女の年賀状を見るたびにモヤモヤするくらいならもう止めよう、とこれが断捨離のキッカケだった。翌年、賀状を送らなかったら元々自ら音信不通にするくらい薄情な奴なのですぐに彼女からも連絡は来なくなった。
後の二人は上記の彼女のとばっちりみたいなもので、あれを切るならついでにこの二人も的な流れでさよならした。
突き詰めて考えると3人とも決定項は「不倫」。なんかね、若い頃は絶対にそれを肯定はしないものの、だからといって積極的に否定することもしなかった。止めたところで止まらないのがあの手の人たちの常だったしね。
だけど今は思う。不倫の事実を知った時に彼女達を拒絶するべきだったんだ。あんたらのしてることは友達なくすようなことなんだよ、と。
私が友達やめたところで痛くも痒くもないことだろうけど、不倫に苦しめられた名も知らぬ奥さんに「元友人がすまぬ」と、元友人を止める器量のなかったあの頃の自分の贖罪を込めて関係を断ち切ることにした。
さてそのうちの一人はかれこれ15年近く賀状を送り続けてくれている。彼女は不倫経験もさることながら私に少額ではあるが借金をして踏み倒していることもあってお付き合いをやめている。借金のことは多分もう完全に忘れてるだろうけど、私としては「お金と一緒に私のことももう忘れていいよ」と思っているのだが、これだけ長く不義理を続けている私を彼女は切るつもりがないらしい。

水と油みたいに全くタイプの違う彼女とは衝突も多かったけど、それだけ印象に残る関係だったと今も思う。私との関係を断ち切りたくないと彼女が思い続けてくれているのなら、そろそろ私も「貸した金、返せよ」と返答するべきなのかな、と徒然思う師走の空。
こうして考えると年賀状をやめないというのも、それなりに効力のあるお付き合いの一つなのかもしれない。むぐぐ