いらっしゃいませ

にほんご べんきょう してきて ください
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2014年2月15日土曜日

夜の散歩者

前回までのあらすじ
旦那の暴力をきっかけに流血沙汰(しかも旦那の血^^; )が起きた任侠の家。何故か一日置いてから出て行ってと頼まれた貞淑な妻のワタクシはやさぐれた素直さで夜の地元を徘徊するのだが…

結論から言えば、都会と違って田舎には24時間ファミレスなんてないんです。薄明かりを灯した空虚な店舗の前をいくつも通り過ぎながら、我が家はどんどん遠ざかる。寝静まった住宅地に明かりが灯る窓を見つけると「徹夜かしら?夜勤から帰宅したの?それともこれから早朝のお仕事?」なんて、そこで暮らす人々の生活に思いを巡らせたり。
街道は、たまに高速で走り抜けるスポーツタイプの車の他は大半が輸送トラックの列。スーパーの前では仮眠中と思しきトラックが突然エンジンを始動。同時にスーパーの搬入シャッターがスルスルと開き、凸崎パンを積んだトラックがソロソロと中へ入っていった。ああこんな時間から、いつもどこかで誰かが働いているんだ、ということを改めて認識したり…。
時計が五時をまわる頃、犬を連れた夫婦やジョギング姿の人々がチラホラしだし、遠くに電車の稼働音も聞こえ始める。駅へ急ぐ人の姿も見えて、その中に紛れ込めばもう私は怪しい人物じゃない。でも道行く人は皆、朝から目的ある人々。私だけが彷徨い歩くことしかできない夜の散歩者…。
歩き始めた当初は旦那の言葉を反芻して考えをまとめるつもりでいたのに、もはや歩くことだけが目的になっている。なんとなれば寒くて頭がまわらない。さらには立ち止まると気持ちが一つ所に集中しそうで、それは余計にシンドイことだった。歩き続けている方が、色んな方面に気持ちが飛んでむしろラク。イプセンの『人形の家』についてボンヤリ思い出したのもこの彷徨のさなか。

それは女子校に通っていた時のこと。伝統校と呼ばれるその学校は伝統的に「婦女子の自立とは」を題材に在学中に必ず『人形の家(前回参照)』についてレポート作成をすることが慣らいとなっていた(現在はちょうちんブルマーの伝統とともにコレも無くなった模様)。当時の私は「自我が芽生えても出てくことはないじゃん」「そもそも(時代背景的に)どうやって一人で生きてくつもりなんだ?その辺りお嬢ちゃんキャラはアマちゃんだな」「家庭に留まっても自己実現するくらいできるだろ」てな感じのことをオブラートに包んでレポート提出した記憶がある。
でも、今こそわかった。ノラは自己実現とか女性の自立とか、そんなの関係なしにただ、ただ旦那に愛想がつきたのだ、と。我が身を振り返って考える。
専業主婦、所によっては一時パートタイマーの私は結婚してからこっち、家庭の運営にじゅうぶんに貢献して来たつもり。独身時代が長かった旦那に「結婚したら金銭的な負担が増えた」なんて思わせたくない一心で経済的な負担も積極的に担ったし、笑っちゃうくらい貧乏だった留学中はロクな英語も喋れないくせに移民局に出向いて就労許可をとって一緒に遊ぶ金欲しさにガムシャラに働いた。
貯金が出来ない体質の旦那に成り代わり生活費から余剰金を貯めては「助けてードラえも〜ん」と旦那が泣きつく度に『功名が辻』よろしく、つと用立てて危機を逃れたことは一度や二度ではない。それだって元は旦那の稼ぎだし、じゅうぶん生活費を入れてくれてるから出来る事なのだと心得ていた。つまりそれを恩に着せたことは一度もない。私がパートで得たお金だって自分のために使ったことは一度もない。すべて子どもの教育費に供出してきたことは旦那も知っている。これすらも「二人の子どもだから当然」だし「旦那が私の小遣い分もきちんと生活費を出してくれるからできること」と心得てそのように対処してきた。
色んな時代を一緒に切り盛りして乗り越えた、そんな自負心が私にはあったのに、それなのに「出て行ってくれ」って…この家は俺のものという認識だったなんて、ご冥福を祈りつつ桜塚やっくん風に がっかりだよ!こんな事なら折にふれて恩に着せておけばよかったよ。

男ってやつは言わなきゃ分からん生き物だけど、女にだって自負心や自尊心、プライド、沽券、その手の感情を男以上に持ち合わせてる者は居るし、これを潰されたらもうぜってーに許さないと思う者も中にはおります。主婦仲間の愚痴大会で耳にもするけど、女のこうした自負心を平気でないがしろにする男のなんと多いことか。
俺の女、俺の家、俺の塩 ?!、そう思うのは勝手ですけど、それは「わたしたち」という意識で頑張ってきた女どもの気持ちとは相容れないし到底簡単に見過ごせる話ではありません。
ノラが家を出たのは、「夫婦で共に生きてきた気概や人生」が自分だけの幻想だったと思い知らされたから。それは自分に絶望したのではない。一緒に生きるはずだった旦那に失望したから出て行ったのだと今ならそうレポートに書いちゃうね。
んあ?私は家を出たりなんかしないわよ。だってここは私の家でもあるんですもの。購入の際は自分の貯金も叩いてるし、固定資産税だって毎年がっつり折半してるっつーのに、冗談じゃないわよ。私が家を出る時、それはこの家を売っぱらって綺麗に折半してから…つまり旦那もこの家を出る時だ。それこそが、わたしたち任侠の家。

追記
夫が出てけと言えば女房はサメザメ泣いてしおらしくなる、なんて想像してる人がいるとしたら、それはとんだ時代遅れだってばよ。そりゃショックも受けるし覚悟も要るけど、家売って折半したお金で生活立ち上げて、何処にどれくらいの部屋借りて…なんて具体的に画策してると新しい生活に夢も膨らんじゃったりなんかして、結構そういうことで楽しめるのが今時の女という生き者でござんすよ。ノラ@人形の家の時代とは格段に女の生き方は自由度が高くなってるんだから。(まあそれすらも、旦那は家のお金を半分渡してくれるという信頼の上で成り立つ夢想だと心得ておりますけどね。ぷんすか)

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