いらっしゃいませ

にほんご べんきょう してきて ください
いらっしゃいませ。ずっと試運転中です。予告なく変更しまくるつもりが仕様変更については手付かずです。

2015年3月26日木曜日

動物園へ憩うよ

久方ぶりの動物園はいいですね。去る3月20日は上野動物公園の開園記念日だったそうで、なんと入場無料でした。新しい職場が上野公園を突っ切った先にあるもんで、この日は動物園を通りぬけて出勤しようと企んだ次第。開園は9時半。私の仕事は10時半始まりなので30〜40分は見物できるだろうと計算。
動物園の園内図
 開園直後の人の波は熊猫まっしぐらにパンダ方面へ。「パンダはムリね」と早々に諦めて一人だけ人ごみから離脱しサル山をめざす。小猿が駆け回る様子を楽しんでからシロクマとしろふくろうにご挨拶。西園に抜ける坂道ではまるまるとしたレッサーパンダを見下ろしてから一路、レムールの森へ。本日のお目当てはここに住む「クロシロエリマキキツネザル(レムール)」。通勤時にこの子達の檻だけが園の外からちらりと見えていて、ちょっと気になっていたのです。

わくわくしながら檻の前に立つと、あら居ない。まだ小屋から出てないんだ、と思って標識を読んでいると何か視線を感じる。むむ、レムールが私を見ているではないか!目が合うとやおらこちらに向けて前進してきた。なんて感動的。今朝は君に会いに来たんだよ〜、とか思ってたら彼は私の至近にある餌台に乗って低く唸り声。え、怒ってる?声をかけてみると「あーー、あーーーーぅ」と園内に響き渡る威嚇?の声。嗚呼、動物とわかりあうなんてそんなナウシカな世界を夢見た私がバカだった。彼らは大きな鳴き声とお尻の匂いでコミュニケーションを取るそうです。彼なりのご挨拶だったのか、不快の表明だったのか、私に知る術はない。


動物園の入園料は大人600円。年間パスなら2,400円。4回入ればペイできちゃう。む〜ん、買っちゃおうかな年間パス。出勤途中に動物園って素敵じゃない?と、試用期間中でいつまで勤めるかも分からない私が皮算用。

2015年3月14日土曜日

あたらしいあさ

新しい朝はいつも希望の朝であって欲しいものでござんすね。さてお仕事が変わって久方ぶりに緊張と不安と興奮と希望の入り交じった日々を送っていました。思えば学校なるものに通っていた時分には春になると進級進学があったり、なんだりかんだりでこんな風な新しい朝を定期的に迎えていたわけですよ。齢を重ねるとそうした新鮮な風をこじらす(?)ことも少なくなり、今回改めてこの強制的な空気の入れ替わりについて思いを巡らしたところ。
新しい通勤路は動物の宝庫だった
一寸法師は打ち出の小槌で小さ男から立派な成人に生まれ変わりますが、昔これについて風変わりな一説を聞いたことがある即ち、一寸法師の策略で家を放逐された美しき姫(御伽草子参照)。そのウラミツラミをこめた小槌の一撃で姫が法師を叩き潰したのが物語の真相ではないか、というもの。生まれ変わりの前段階として死は必要不可欠。「死と再生の物語」というのがその主張だったのですが、試しに御伽草子を紐解いても宰相の姫による殺人事件の記述は見当たらない。
むしろ打ち出の小槌という魔法ステッキの存在はかなりの昔から流布していたようで、何の違和感なく物語の中に溶け込んでいる。魔法のハンマーで変身をとげた物語を人々はごく自然に受け入れてきたようだ。
そもそも大黒様からして愛用している打ち出の小槌。地域によっては小槌で頭を軽く叩いて開眼させるなんて行事もチラホラ散見。無病息災や招福を願って云々とは言うけれど、招福なんてものは突き詰めればイマドキの言葉でいう「気付き」と変わらない。小槌で頭を叩くも然り、獅子舞の獅子が頭を噛むのも然り、一つの死を通して生まれ変わり即ち「開眼」をすることが本来の意味ではないかと思わされる。
そういえば大黒様はヒンドゥーにおいて破壊神シヴァの夜の姿(摩訶迦羅=大いなる暗黒)といわれている。迦羅には時間の意味もあり、意訳するなら大いなる暗黒の刻。
破壊の後にすべてが消滅する永遠の時間を越えた先にある再生。漆黒の夜の後に訪れる新しい朝。何かを打ち破って再構築をする物語には大黒様の小槌はうってつけの小道具だったのかもしれない。

さて何が言いたいかと申しますと…
今まで積み上げたものを手放して新しく作り上げるのは多少の苦しみを伴うものだけど、自分を再構築して開眼する気概を常に持ち続けたいものであります。新しい生活に飛び込んでゆく人々に幸あれかし。希望は誰かに用意されているものではなく、みずから見いだして追いかけるものだから。
目下、私の見出した希望は新しい職場に点在する沢山のランチ候補地を試しまくることだったりする。楽しいことは自分で見つけださなくちゃね。